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突き進め佐賀藩!近代日本の影の立役者「鍋島直正」

こんにちは!
福岡県朝倉市でデザイン事業やまちづくりの活動をしているESTADIO(エスタディオ)の坂田と言います。

ESTADIOでは、まちづくりを歴史から分析するというコンテンツをnoteにて発信しており、今回はその第1弾目の企画として、近代日本の礎を築いた佐賀藩とそのリーダー「鍋島直正」について紹介します。

佐賀の歴史にあまり詳しくない方は、
「佐賀藩ってそんなにすごいの?」
と思うかもしれませんが、実は佐賀藩こそ日本の産業革命の原点であり、近代日本の発展に計り知れない影響を与えた超スゴイ場所なんです。


佐賀の奇跡を生んだリーダー「鍋島直正」

佐賀藩は江戸時代に九州地方の肥前国(現在の佐賀県と長崎県の一部)を治めていた藩で、この時期に藩主を務めていたのが鍋島氏です。

そして、その鍋島氏の中で特に有名なのが鍋島直正(なおまさ)です。

鍋島直正

当時の日本は鎖国状態であり、外国との交流は長崎(出島)にてオランダとの交流があるのみでした。

そんな中、佐賀藩は長崎にオランダ以外の国が出入りしないように警備をする役割を幕府から与えられていましたが、経費削減を理由に勝手にその役割をサボっていたことでイギリス軍艦の侵入および人質を捉えられるという大失態を犯してしまう事件が起き、佐賀藩の幕府からの評価はだだ下がりでした。

この事件の他にも藩内で政治的な対立が起きたり、幕府の信頼を取り戻すための長崎警備の強化に莫大な費用がかかったことで財政難に陥ったりと様々なトラブルが続き、当時の佐賀藩はとにかくグダグダな状況で、藩の存続すら危ぶまれる状況でした。

そんなところに救世主の如く現れたのが「第10代佐賀藩主 鍋島直正」です。

彼は強烈なリーダーシップを発揮しながら佐賀藩を蘇らせる壮大な改革を成し遂げます。

佐賀藩民の共通ビジョン?「葉隠」とは

佐賀藩は、初代藩主鍋島直茂の影響で"武士道"を大切にしている藩でした。
この武士道精神の中心には、『葉隠』という本があります。

葉隠
https://www.nabeshima.or.jp/collection/index.php?mode=detail&heritagename=葉隠

「葉隠」って何?

「葉隠」は、武士としてどう生きるべきかを書いた本で、中でも有名な言葉は、
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
です。
これは、"いつでも主君のために命を捧げる覚悟が大事"だという意味です。

もう少し「葉隠」を深堀りをすると、以下のような内容があります。

  1. 主君への忠義
    藩主(リーダー)への忠誠心を大切にし、命を懸けて仕える。

  2. 日常生活での実践
    振る舞いを日常生活でも守り、礼儀正しく行動する。

  3. 学問と自己研鑽
    教育に力を入れ、武士たちは学問や武芸に励む。

  4. 誇りと潔さ
    誇り高く、潔く生きることを大切にする。
    困難に直面しても逃げずに立ち向かう。

「忠誠心」のような命を捧げる的な思想は、現代からするとヤバい思想に感じるかもしれませんが、当時(江戸時代末期)も他藩の人々からあまりいい印象ではなかったようで、「危ない人たち」みたいな捉えられ方をしていたという評価が存在します。

周りから危ない人たちと思われながらも屈さずに「葉隠」の思想を大事にした佐賀藩民は、これらの共通ビジョンを持つことによって藩全体の団結に成功し、その後の佐賀藩の再生にものすごいパワー与えたとされています。

西洋技術の導入による国内の産業革命

鍋島直正が行った最も画期的な改革の一つが、西洋技術の導入です。

当時、イギリスをはじめとした世界各国で産業革命が進んでいる中、日本は鎖国状態であったため国内での技術革新を進めることが一般的でした。
そんな中、鍋島直正はオランダから技術書を取り寄せたり、海外から技術者を招いたりすることで、西洋の先進技術を学び、積極的にそれら技術を佐賀藩へ導入しました。

この時にオランダから取り寄せた「科学書籍」や「技術書」は200冊を超えたそうです。

そんな感じで、鍋島直正は積極的にオランダから西洋の技術を導入していたことで、それを侮辱する意味合いで「蘭癖大名 らんぺきだいみょう」というあだ名を付けられていたそうです。

ですが、鍋島直正はそんな周りからの評価は気にせず、次々に日本初の技術導入に成功し、佐賀藩は日本の産業革命ともいえるほどの偉業を成し遂げます。

例えば、佐賀藩はこの時に日本初の反射炉を建設しました。

1850年に完成したこの反射炉は高温で鉄を溶かすための炉で、これにより高品質の鉄を大量生産できるようになり、佐賀藩はこの反射炉を使って大砲や船舶の製造に力を入れました。

具体的な成果としては、1863年には「鋼鉄製の大砲」を製造しました。
これは当時の日本ではめちゃくちゃ画期的なことで、これにより大砲を外国からの輸入に頼らずに済むようになりました。

佐賀藩製の大砲
https://social-studies33.com/2018/07/26/お台場に設置された佐賀藩の鉄製大砲/

その後も西洋技術の導入を続け、最強の大砲"アームストロング砲"の製造に成功したり、日本初の蒸気機関の導入によって船の動力を高めたりしたことで、佐賀藩の再生のみならず、後の日本の軍事力発展に大きな影響を与えました。

他にも農耕において新しい農法や品種の導入をするなど、鍋島直正はとにかく積極的に新たな技術や知識を活用しており、これらが功を奏したことで佐賀藩は経済的にも潤い始めました。

日本最初の「義務教育」を導入した教育改革

鍋島直正はただ技術を導入するだけでなく、人材育成にも力を入れました。

当時の日本には義務教育のような制度はありませんでしたが、鍋島直正は佐賀藩に「弘道館」という教育機関を設立し、藩内の全ての子供に教育を受けさせることを奨励しました。

日本全体で義務教育が正式に導入されたのは1872年であることに対し、佐賀藩の「弘道館」の設立は1857年であり、これは佐賀藩が他の地域より15年も早く義務教育を行っていたことになります。

また「弘道館」を設立することで、ただ子供が勉強をでする環境を整備しただけでなく、子供の成績に応じて親の出世などに影響する仕組みを作るなど、競争による学力の向上にも注力しました。

後に「弘道館」は、早稲田大学の創設者であり内閣総理大臣としても活躍した「大隈重信」や、法務大臣として近代日本の司法制度の基礎を築いた「江藤新平」などの明治維新後の新政府で活躍する人材も輩出しており、この教育改革は佐賀藩の繁栄のみならず近代日本の礎を築くことに貢献しました。

ちなみに、鍋島直正は教育の分野として、西洋医療の導入も積極的に行っており、有名な事例としては天然痘のワクチンを初めて日本に導入しました。

西洋の医療に関する知識や文化がない当時の日本では、あえてウイルスを体にいれることであらかじめ抗体を作る的なワクチンの仕組みが理解されるわけもなかったので、鍋島直正はワクチンの安全性と効果を証明するために自らの子供にワクチンを接種させたというエピソードも有名です。

これらの取り組みについて

これらの複数の佐賀藩の取り組みは、各種歴史書をはじめ佐賀県の公式ホームページでも紹介されていますので、もっと詳細が気になるという方はぜひ見てみてください。
佐賀県公式ホームページ「佐賀藩の取り組み」

佐賀県 公式ホームページ

現代への影響

佐賀藩のこれらの取り組みは、現代にも大きな影響を与えています。

まずひとつは、日本全体の産業化の波に乗るための基盤を築いたことです。
佐賀藩で培われた技術や知識が、他の藩や地域にも広まり、日本全体の工業化が急速に進みました。
鎖国をしていたことでただでさえ世界から取り残されていた当時の日本にとって、佐賀藩が独自で世界の技術を導入しながら近代化を進めていたことはとても大きな意味を持ちました。

さらに、鍋島直正による以下のようなリーダーシップは、現代のリーダーシップ論として政治のリーダーたちにとっても良いお手本となっています。

  1. 先を見通す力

  2. みんなの意見を大切にする

  3. 教育の重要性を理解する

そして、佐賀藩の教育改革後に日本全体で導入された"義務教育"は現代でもほとんど形を変えておらず、「弘道館」の実践的な教育は現代の学校教育にも反映されています。

佐賀藩が再生した要因

まちづくりという観点で歴史を振り返るうえで、なぜ佐賀藩が再生したかを分析します。

共通のビジョンと精神的基盤
「葉隠の存在」

佐賀藩の藩士たちは「葉隠」という武士道精神の教えに基づいた共通のビジョンを持っていました。
「葉隠」には、忠誠心や自己鍛錬の重要性が説かれており、この精神が藩士たちの行動指針となったことで、藩全体に統一された価値観が生まれ団結力が強化されました。

共通のビジョンが大事ということは、価値観はむしろ多様性がないほうがいい?
という風に捉えられてしまうかもしれませんが、むしろ逆で、一般的にはヤバいと思われるような思想でも佐賀藩民は受け入れることができたという部分が大きな要因になっているように感じます。

価値観の多様性とは、何かを否定するのではなく多くを受け入れるという意味合いで捉えると、佐賀藩民の皆さんの価値観の多様だったことで「葉隠」という共通ビジョンを持つことができたのではないかと考えています。
(この話だけでなく価値観の多様性という領域はとても難しい領域だと感じているので引き続き勉強します!)

革新的なリーダーシップ
「鍋島直正の指導力」

鍋島直正は、藩の財政危機を打開するために積極的に新しい産業を導入しました。
彼の先見の明と行動力は、藩士たちに強いリーダーシップを示し、目標に向かって団結して努力する基盤を作り上げました。

鍋島直正のリーダーとしての特徴は、「みんなでこれしよう」みたいな雰囲気作りが上手だったように感じます。

産業革命と教育改革にのいずれにしても、リーダーの鍋島直正が「みんなでこれをしていれば佐賀の未来は良くなる」という雰囲気を作れたことで、佐賀藩民はより一層団結することができて、それが強大なパワーを発揮したように感じました。

外部からの技術導入
「西洋技術の取り入れ」

佐賀藩はオランダから技術書を取り寄せたり、外国人技術者を招いたりして、西洋の先進技術を積極的に導入しました。
これにより反射炉の建設や鉄製大砲、蒸気機関の製造など、具体的な技術革新が行われ、産業の発展に直結しました。

外部の情報に耳を傾けるというのは、取り残されないという意味でとても大切なムーブだと感じています。
当時の日本は自らのことをアジアの大国と思っていたそうで、鎖国を正当化していたという環境面からも「自分たちこそ正解。ほかから学ぶことなんてない」
みたいな雰囲気だったんじゃないかなと感じますが、この雰囲気にのまれなかったことが大きな意味を持ってると感じます。

教育と人材育成
「弘道館の設立」

佐賀藩に設立された弘道館では、数学や物理、化学などの洋学教育が行われました。
ここで学んだ学生たちは年間約500人に上り、彼らが技術者や知識人として藩の産業振興に貢献したことをはじめ、後の日本の政治を引っ張る人材育成にも貢献しました。
高度な教育環境が、藩だけでなく国全体のの技術力と知識水準を向上させました。

これらを簡単にまとめると

みんなが共通のビジョン持っている&なにをしたらいいか示してくれる強烈なリーダーがいることで、組織としてエグいほどのパワーを発揮できた。
そんでもって、よそもんとか言わずに外部の新しい情報に耳を傾けながら近代化を進めるだけでなく、未来のために若者への教育環境も整備したことが再生の要因になった。

みたいな感じかと考えています。

終わりに

以上、現代日本の礎を築いた佐賀藩とそのリーダー「鍋島直正」についてでした。

佐賀藩が再生した要因は、"衰退した地域の再生"というまちづくりの観点でも学べることだらけだなぁと感じています。
というかむしろ、現代で衰退している地域って佐賀藩から学べる再生要因(共通ビジョン、強烈リーダー、外部の受け入れ、教育投資)がほとんど実践できてないように感じています。

もし、まちづくりの活動をされている方は、自分の地域がどうなのか比較してみるといいかもしれません。

と、まぁそんなこんなで、実は佐賀藩が日本の産業革命の原点であり、現代の日本の発展に大きな影響を与えたことが少しでも伝われば嬉しいです。

「薩長土肥」という言葉を聞いたことありませんか?
薩摩
長州
土佐
肥前
の頭文字をとった言葉で、幕末維新期に活躍した藩(雄藩)を指す言葉です。
肥前とは佐賀のことで、「明治維新すげえ」と思ってる僕としては、このメンツと同列に並んでる佐賀のことが超羨ましいです。

なんか、現代の佐賀って魅力度ランキングが低かったり地味なイメージで取り扱われることが多いですよね。
お笑いコンビ"さや香"の漫才で
「佐賀は出られるけど入られへん」
というネタが全国で大ウケしてたりと、まぁみんなのそういうイメージが現在の佐賀の平均的な評価なのかなと客観的にも感じています。
(ちなみに失礼ネタが好きな僕はこの漫才ネタは超大好きですw)

だけどそんな佐賀って日本の歴史に燦然と輝く偉大な存在ってことをもっと多くの方に知ってほしいです。

歴史に興味がない方はなんとも思わないかもしれませんが、これらの事実はめちゃめちゃ誇りを持っていいと思います。まじですごいです。日本に超いい影響与えてます。

佐賀県民の方は、
「なんかいま東京や大阪がでしゃばってるけど、鎖国してた時に佐賀がいち早く近代化してなかったら多分お前らやばかったぞ」
くらいに思っても全然間違いじゃないと思います。(負け惜しみみたいに聞こえるかもですがw)

現時点の佐賀にも、
サガン鳥栖
佐賀バルーナーズ
呼子のイカ
有田焼
武雄温泉
などなど、思い浮かべるだけでも素晴らしい魅力はたくさんありますが、せっかくならこの機会に「佐賀は歴史もめちゃめちゃ素晴らしい」ということを佐賀の魅力として認識してもらえると嬉しいです。

佐賀さいこう!

あと、個人的な感想なのでどうでもいいんですが、人類の歴史において社会を変えるレベルのリーダーって、いわゆる改革派なので敵を作ってしまいがちで、"社会は変わるけど暗殺される"みたいな無念な最期を迎えることが多いと思うんです。
世界史だとブルートゥスに暗殺された「カエサル」やインドの独立後に暗殺された「ガンディー」だったり、日本史でも「織田信長」や「吉田松陰」は暗殺されてますよね。
だけど、「鍋島直正」はめちゃめちゃ改革とかしてるのに、人生の最後までかなり平穏に過ごしてたっぽくて、これマジでスゴいことだと感じてます。

もちろん「鍋島直正」がスゴいというのもありますが、彼を暗殺とか失職に追い込むことなくみんなで支え続けた佐賀民の団結力も同じかそれ以上くらいでめっちゃスゴいと思います。
まちづくりの活動してると、この「民の団結」みたいな部分が一番むずいなと感じます。


ESTADIO Presents
まちづくりの歴史シリーズ

このコンテンツは、地方でまちづくりの活動を行う歴史好きの人間が「まちづくりを歴史で分析する」シリーズです。

人類の歴史から、まちづくりの参考になる事例を紹介しながら、
「まちはどうやって再生してきたか」
「まちが衰退する時はどんな問題を抱えてきたか」
「まちが変わる時はどんな傾向があるか」
など、まちづくりにおいて歴史に学べることをひたすらに探求しています。

▼このシリーズの企画運営▼
ESTADIO(エスタディオ)
福岡県朝倉市でデザイン事業やまちづくり活動を行っています。
https://estadiodesign.com

▼この記事を書いた人▼
坂田 拓也

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