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過去・現在・未来をつなぐ     「未来創造セッション」(前半)

はじめに

今回は先週金曜日に所属する会社の会員様にご参加いただいた「危機を乗り越える組織の条件~未来創造セッション~」で語ったお話を書いておきたいと思います。前半と後半に分けて投稿します。タイトルにした「未来創造セッション」とは、私がここ5~6年、様々な企業様に実施してきたセッション(講義+対話+グループワーク)のことです。目的は一つ。「未来は自分(たち)で創る」を一人ひとりがアクションに移すきっかけの場にすることです。つまりマインドセット(個々人に内在している思考様式、心理状態、考え方)をより良い社会の為に意識変革する場です。志、独自の使命のような火種を一人でも多くの人が内在化することでより良い会社、組織の未来を創造し、延いてはより良い社会を次世代に引き継ぐことを可能にしていくと考えています。セッションの全体像として下記のような概念図を用いて皆さんに「いまここで語り合うことは何か」をご理解いただき参加してもらいます。何か感じるものがある方は自社、自組織のより良い未来の為に活用してみて下さい。無論、「こういう未来を創造するために生きている」と意識することができれば、現在生きている私たち現役の生きがい、働きがいにも好影響を与えます。

未来創造セッション

第1部 未来をみんなで描く前に 
~みんなが未来創造のリーダーだす!~

セッションのはじめに、この場の目的や場に臨む姿勢として、「皆さんが未来への当事者」であることを強く認識して頂くためのお話をします。時には問いかけながら対話を交えて。企業様であれば「理念」或いは「ビジョン(中小企業では無い場合もあります)」を第三者の立場から解釈をお話しします。自組織の場合には改めてリーダーとして自社の大切にすべき「何のために私たちが社会に存在するのか」を話します。経営の原理原則、或いは人間として生まれて生きて、死んでいく、その死生観や人生観も交えながら、「なぜこの理念が大切なのか?」を自身なりの解釈でお話しします。世にある理念は数多あれど、殆どは「世の為人の為道の為」の内容が書かれています。戦争があろうが今回のようなパンデミックがあろうが容易には変わることのない「不変」かつ「普遍」の企業使命や存在意義が大体書かれていますので、その意味をお伝えします。

そして理念やビジョンとは経営者や一部のリーダーだけが実践するものではなく、全員が実践してなんぼですよ、という当たり前だけどなかなか出来ていないこと、その理由や重要性をお伝えします。凡そこの部分だけでも2~3割の方の目の色は変わってくることが多いです。日頃”違和感”を感じながら働いておられる方々ですね。つまり日頃何のために働いているのか(Why)が組織文化として大切にされているかどうかに拠るわけですが、数年前と違い「理念で飯が食えるのか!」と食いついてくる方は最近では殆どおられません。目的が意識される事のない仕事への”違和感”が空気として広がっているからでしょうか…。フラットな組織構造を持とうとする動きがトレンドになりましたが、これも単なる自由を謳歌する組織というよりは自由である(無用なストレスがない)の前提となる「全員が未来、良き社会づくり、会社づくりへのリーダーである」という規律が前提にあるわけです。グレートな会社は自ずとそのような文化を形成しています。Amazonが有名ですが、全員がリーダーであるからこそ、大切にしている事だけに集中できる環境が許されるのです。規律の中の自由です。決して楽(らく)なだけの組織ではないことをきちんとお伝えしないと、勘違いして権利ばかり主張する人が生まれてきますので、そこは少しの注意が必要です。人間は弱いですので…。(「人間は弱い、悲しいほど弱い」byドラッカー先生)

また、”楽しさ”も組織文化としては重要ですが、その前提も「他者に喜んでもらうことが自分の喜び」になっていて、それが組織内でも推奨、評価されるからこそ楽しくなるのであって、ラクだけではかえって人間としての存在意義を失わせ、人生自体が空虚なものになってしまいます。「何のために生きてるんだろう?」に対する自身の貢献欲求、自己実現の欲求が実感できない場合、多くの人は承認欲求が強くなりますが、人に喜ばれる、有難うと言われる機会が自らつくれない、或いは感謝し合う文化がそこにないと、どんどん欠乏欲求だけで生きていくようになります。欠乏欲求とは衛生要因ともいわれ心理学用語ですが、「あって当たり前、無いと不満を生む」ような基本的な欲求のことです。生きていくうえでの当たり前ですから、お金であるとか、安全であるとか、今であれば公衆衛生も当たり前、これは3か月前より一段当たり前レベルは上がっていますね。何のために働いていますか?という問いに「生活のため」としか出てこない場合は、この欠乏欲求の中で生きているということになります。少なくとも仕事人生は、です。多くの会社の理念、社是は「社会への貢献」(これが会社が存在を許される唯一の理由です)の手段として共に働く仲間の「物心両面の幸福」を謳っています。素晴らしいことです。企業、組織が提供できる人間の幸福は大きく2つの種類があり、「経済的幸福」と「精神的幸福」です。生きていくためにはお金が必要です。自由であることも、お金なしには保てません。しかしこれだけでは人間は幸福にはなれません。「精神的幸福」つまり「生きがい」「働きがい」といわれるものです。働くのが辛い会社、組織はこの順番が間違っている場合が多いです。つまり「経済的幸福」が「精神的幸福」に優先されている場合です。これは重要です。人に喜んでもらうという「精神的幸福」が先、経済的幸福は他者に喜んで頂いた結果(価値を提供した結果)としての「経済的幸福」が後、です。これを経済では「対価」と言います。

第2部 【歴史・過去】 ”いま”はなぜ在るのか

いまを生きる私たちの現在の環境は、私たち現役世代だけで創造した社会ではありません。その殆どは今は亡き、或いは現役を退かれた先人、先輩の方々が努力して築いてくれた歴史・過去からの贈りものです。なかには我が国、日本に生まれて不幸だと感じる人が居るかもしれませんが、それは贅沢な話です。私たち世代は「氷河期世代」とか「ロストジェネレーション」とか言われますが、確かに辛い時期もあったし、人それぞれいまも人生の苦境の方々もおられるのも承知しています。類まれな優しさをもった私の親友も5年以上も社会復帰が出来ていません。しかし、彼には”感謝”があるので、自分なりに必死に頑張って生きています。

いまの環境を恨み、批判・批評を繰り返している人に申し上げたいのは、「だったら自分で変えるしかないですね」の一言です。他者に依存し、自身の過去に縛られているうちは、人生を宝くじにしているようなものです。自分では人生も、関わる周りの大切な人も幸せにする準備が出来ていない状態です。『嫌われる勇気』で著名な心理学者アドラーは「原因論は人を幸福にしない」と言っていたと記憶しています。私はこういう勿体ない考え方の方々をあきらめずに自分の道を切り開くきっかけを差し上げたいと本気で思っています。どんな人でも、です。私を今すぐ殺してやろう、という人だけは難しいかもしれませんが、そんな人は滅多にいません(いたらマズいですが…)。全て現在の姿、思想は何かきっかけがあったのです。因果ですね。自分と合わない考え方の人は多くいます。世の中はそのような違う人々の集合体です。でも、共通した価値観というものがあるのも人間です。弱さも共通なら、「本当はこうありたい」と願う価値観にも一つや二つ共有できるものが必ずあります。それを感じ合えば共感となるのです。「自分はこう思うけど、〇〇さんはどう思う?」「そういう価値観や考え方もあるのか!なるほど、どうしてそう思うようになったか教えて!」と、ゼロベースで相手と対話すること、一人の人間として向き合うことのみを通じて共感できることを探索します。これを地道に重ねれば、少しずつ目に見えない壁は薄くなったり、無くなっていくこともあるのです。これを避けて「あいつはこういうひとだ」と人間を勝手に種類分けして「割り切る」からいつまでも平行線なのです。一緒に居て辛いのです。この辛さを組織で解決しようと思えば、採用基準を厳格に価値観におくか、さもなければ「対話」しかありません。我々は容易に答えなど導き出せない複雑性のなかで生きていますし、生きていきます。答えのある世界はAI等のテクノロジーがやってくれます。この複雑性をに対する解決策として大人の嗜みとも言われる「割り切り」が生まれました。ただそれは「楽になることを求める精神」だと私の師匠は仰っていました。私の師は三人いますが、その一人、思想・哲学においての師、田坂広志先生の教えです。文芸評論家、亀井勝一郎の「割り切りとは、魂の弱さである」との言葉を引用しながら語られた次のメッセージ。

「我々マネジャーは、精神の厳しさを保持した「腹決め」は行うべきなのですが、精神の弱さから来る「割り切り」は、決して行うべきではないのです。(中略)もし、マネジャーが、その精神の弱さがゆえに「割り切り」を行うならば、そのマネジャーの下にいる部下は育ちません。」(田坂 広志 『なぜ、マネジメントが壁に突き当たるのか』 (PHP文庫) 

お話しがだいぶ脱線しました…実はお客様先の講演・講義でもよく脱線してしまいます…無言のメッセージを勝手に受信して、あの人にも、この人にも伝えたいこと、対話したいこと、教えて欲しいことがワッと脳内に湧いて出て…これは私の弱みです。結構悩んでいます。。。だっておいらも人間だもの、仕方ないじゃないか…いけない、これが「割り切り」です(笑)。因みにリーダーには「腹決め」が求められますが、これもAかBかを選択するわけですが、これは苦痛、煩悶を伴います。そして責任を伴います。覚悟、ですね。そういう意味で楽を求める「割り切り」とは違うのです。私の解釈で置き換えれば「割り切り」は「見棄てる」に似ています。

話しを戻します。本セッションでは未来を語り合う前に先ず、「歴史・過去」を見つめます。”いま”はなぜ在るのか、です。先人が創ってくれたのが”いま”です。つまり、未来を創るのも、”次世代の子供たち、まだ見ぬ孫世代にとっての先人”である現役世代の私たちなのです。この「思い」の繋がりで私たちはより豊かで、明るい社会創造を可能にしているのです。偉大な先輩の言葉を借りましょう。JAL再建時に日本記者クラブに招かれ稲盛和夫さんが語った記者会見より文字に起こした内容です。

思いというものは大したものではないとお思いかもしれませんが、と皆さんにお話しをしました。つまり、この現代の近代文明社会をつくったのは、人類の思いがつくり上げていったんです思いが最初にあって、そしてそれが科学技術の進歩にも。あらゆるものが順序がこの思いから端を発しています。思いがなければ何にもうまくいくはずはありません、という話を皆さんとしました。」
稲盛和夫氏 日本航空会長(当時) 2011.2.8 記者会見より筆者まとめ

同じことは昨年上梓された同氏著『心。』の中にも書かれておりますので、関心のある方は是非ご一読を。
会社・組織であれば、先人とりわけ創業の志が何であったのか、創業者の情熱の向く先はどこにあったのか、そこから始めます。理念や「創業の精神」として大切に今に伝えている企業様もあれば、忘れてしまった組織もあります。シャープは台湾の鴻海精密工業傘下になったが、単身乗り込んできた戴社長は本社機能を堺工場内に移転する際に、創業者の早川徳次氏の銅像をも旧本社から移設し、出勤時に一礼するのを欠かさないそうです。日本人社員ですらそこまでしている人は余り多くないと聞きます。台湾の方々が、日本人よりも日本統治時代の教育、特に修身等の徳目、価値観を受け継がれている印象を受けますが、日本人としては自戒もこめて情けないことです。かつて李登輝総統(当時)が、「二十二歳まで受けた教育は、まだ喉元まで詰まっているんです」と語っておられました(典拠:蔡焜燦『新装版 台湾人と日本精神』(株式会社小学館))。現在台湾を率いておられる蔡英文さんも、ツイッターを拝見していると、同じような思いを抱きます。

「思い」を過去にさかのぼって先人の志に思い至す。創業が50年以上前の会社さんであれば、その歴史的背景も交えてお話しすることもあります。先人の気持ちに寄り添うには、その当時の時代背景や「思いの土台にある精神」を知らないと恐らく訳が分かりません。
ここから始めることの重要さは、実は本セッションの目的である「未来は自分(たち)で創る」を一人ひとりがアクションに移すきっかけの場にすることに深く関わっています。結論から言えば「いま在ることに感謝する」心をもつこと、つまりいま在ることは当たり前ではないのだよ、ということです。企業の平均寿命は最近の中小企業白書によれば確か23歳くらいです。50年生き残る企業は全体の2%もなく、100年ともなれば0.5%ほどです。まさに「有り難い」のです。自分が生活の為だけに働いている、としてもここまで会社が続いてくれていることに、生活ができていることに感謝して欲しいと願います。中には給料が安い、休みが~など欠乏欲求への不満も聞かれますが、それを改善したければ、今後は未来の話になるのです。世の中に価値を提供しての対価として与えられるものだからです。これは先ほど述べましたね。現状に不満のある方でも無い方でも、次世代により良い会社、組織、そして実は一番大切なのは「どのような社会を遺したいか、引き継いで行きたいか」です。その思いの根底には「こうありたい」という価値観や哲学、精神があります。メンバー全員で次に引き継いで行きたい共通の価値観や思いを語り合い、改めて共有して目に見えない資産を目に見えるようにしていきます。このことを通じて、目に見えない資産が初めて資本へ転換されていきます。つまり未来への原動力になるのです。「報恩感謝」このことに尽きますが…。
(後半に続く)

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