NY自宅隔離日記15(終):始まりの終わりに思うこと

世界各地と同様に、コロナウイルスが猛威を奮うニューヨーク。

3/1に最初の陽性反応者が出てから2ヶ月を迎えました。

ニューヨークを始め全米は、新規感染者と死亡者の数の減少を受け、最悪の時期を脱し、再開のために準備する基調になってきました。

とはいえ、隔離生活はまだ続いていますし、元の生活にはもう戻れないのかもしれません。

騒動の渦中で「あ、これは書かなくちゃ」と思い14回書き続けてきた日記も、これで一度区切りとなります。

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「具合の悪いお客様がいます」

真っ暗になった機内に医療従事者のボランティアを求めるアナウンスが響いた。

私はうとうとしていたが、乗る前に一番恐れていた事態の一つが起こってしまったかもしれないと一瞬身を硬くした。

私の席からは具合の悪い方がどこにいるのかは分からず、フライトアテンダントの方々も周りにいなかったので少し離れた座席にいたのかもしれない。

アナウンスは30分後にもう一度流れ、その後静かになった。

防護服もマスクも手袋もない機内かつ自分の専門かどうかもわからない急病人に対し、ボランティアに名乗りを上げる医療従事者の方々は常日頃からリスクにさらされていることを改めて感じる。

今回のコロナ騒動で、最前線で働く医師や看護師が家族への感染を恐れて自宅に帰れなかったり、差別に晒される出来事が世界中で見受けられた。

日本で、看護師が帰ってこられないようにマンションの入り口を一人の住民が封鎖したという記事を見かけたが、あれはデマだと信じたい。

できるだけ科学的知識やデータをもって怖がらなければならない。また周りに正義を振りかざすことも暴力であると私たちは自戒しなければならない。

日本到着

着陸がこんなに緊張したのも久しぶりだ。

大阪には定刻ちょうどに到着した。

暖かいと思っていた大阪はとても寒く、コートを着込む。

機内では通常の税関申告用の紙しかもらえなかったが、入国者が記入すべき用紙があると聞いていたのでペンをポケットにいれた。

税関でどれくらい足止めされるかわからなかったので急いで飛行機を降りる。

空港は誰一人おらず、アナウンスもなくしんとしており、その中をひたすら歩いた。

2時間後には家族が迎えにくる予定になっている。前を歩く人もまばらだ。

しばらく歩いた後、ちらほらと通路脇に長机が置かれており、用紙とペンが置いてあるゾーンに着いた。

どうやらこれが入国者の申告用紙らしい。

まだ出口は先なので、出口ギリギリの机で書くことにした。

ようやく空港職員らしき人が一人立っていて、手渡しで用紙を渡される。

職員の人の感染リスクが高過ぎないか、と不安になるとともに、これが今の日本の感覚なのかもなと思った。

出口が見えてきたのでようやく机で用紙を記入する。

まずは、その時既にレベル3に指定されていたイランや欧州からの渡航者でないかどうかを確認するチェック欄があり、その後個人情報、2週間の自宅隔離に関する説明や隔離先の情報について。案外記入する場所は少ない。

一番に記入し終わって税関を通る。いつもは素通りする体温検査や靴裏の消毒をするカウンターが複数設置されていて、案内する職員が急に大量に現れた。

記入した用紙を提出し、アメリカからの到着であることを伝える。

一通りチェックしてもらったのち、自宅隔離の説明をされる。

用紙には外出禁止要請のみが記載されているが、職員の人に確認したところ、公共交通機関を使わなければ買い物や散歩などには行っていいと言われた。

この辺りは聞かなければ出てこない情報だし、職員の方によって解釈の違いがありそうだ。

1分ほどの会話と、検温などの義務もない想像よりもゆるい隔離に拍子抜けしながら、あっという間に検疫を通り抜けた。

あとは通常通り入国手続きをして荷物を引き取る。

早く通り抜けすぎて荷物が全然出てこないし、家族が迎えにくるのは1時間半後だ。

まだ19時台だったが、私たちの便はこの日到着する最終便だったらしく、それもあって空港内が閑散としている。

荷物を取ってゲートをくぐる。お迎えの人たちが20人ほど待っていた。

私は仕方なく開いているスタバに入り、時間を潰すことにした。

お店の人によれば、今日はこの便のお迎えが一番の賑わいだったとのこと。

コーヒーを飲みながら帰っていく人たちを見つめる。

家族連れ、サラリーマン、学生らしき人、日本人もそうじゃない人も少しホッとした顔で空港を去っていった。

noteの下書きをしたり、家族や友人に連絡していたらいつのまにか1時間半が経ち、夫が迎えにきた。

4ヶ月ぶりの再会だ。風が強くて肌寒い駐車場に車が見えた時、ようやく帰ってきたと実感した。

「ただいま」

始まりの終わりに

その後私は2週間の自宅隔離を大阪で過ごした。

最初は念のため1日2回検温していて、体温が高いと大騒ぎしたりもしたが、結局色んなことが終わったことでどっと疲れがでたようだった。

今は特に不安なく、いつも通り元気にしている。

私が帰国した後、アメリカからの入国は更に厳しくなると共に飛行機が週に1便しかなくなってしまった。

日本にも緊急事態宣言が出され、大阪も外出自粛などが強化され、ニューヨークのようになっている。

私は住民票がないので一律給付金の対象外だったが自分なりに経済を回そうとしている。

ローカルの農家から野菜を取り寄せたり、自分の家族たちに会えない代わりに贈り物をしたり、これを機にいろんなものを買い換えた。

この騒動の中、どんどん情勢が変わることに呆然としたことも、帰国を悩んだことも、決死の思いで帰国したことも「終わったこと」になっていく。

それでも、始まる前のようには戻れない。

非日常が次第に日常になっていくのだと、少しずつ身に染み込むようにわかっていった。


あとがき

およそ1ヶ月半、私の備忘録に一緒にお付き合いいただいてありがとうございました。

隔離生活は続いていますし、今のところ6月末を目標にニューヨークに戻る準備をしていますが、どうなるかはまだわかりません。

コロナのなかった頃にはもどれないけれど、いつかまた大好きな旅行にいけますように、美味しいご飯とお酒が飲めますように、家族に会いにいけますように、そして何より皆が健康でこの苦難を乗り越えられますように。

沢山の祈りをのせて、これでNY隔離日記は終わります。

重ねてありがとうございました。

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