勝手に割り引くんじゃねえ。俺の幸せだ。
散歩中。
今日も今日とてのんびり歩いていると、ふとセブンイレブンの店舗入り口横にあるのぼりが目に入りました。
「揚げ物を買うと今ならお得」と言う内容でした。
いつもなら特に気にすることなく通り過ぎてしまっていたかもしれません。
だが、今の自分は文章力強化期間中。
毎日の中で常にネタになることを探そうとアンテナを張っている状態でした。ささいな違和感を見逃すわけにはいかない。
なぜだ?何に疑問を感じたんだ、僕は。
思考を回しながら店内を物色する。
普段は倹約のためにセブンイレブンをはじめとするコンビニには寄ることはしないように決めています。
だけど今日だけは。今日だけは寄らないわけにはいかない。ビビっときている感覚に従わないわけにはいかない。
僕が僕で入るためにそうしました。
軽く買い物を終えて、改めてのぼりを見た時に、ふと1つの疑問が浮かんできました。。
得っていうのぼりが出てるけど。
得っていうのぼりが出てるけど、よく考えたら別に得じゃないよな?
「得」と言う文字に踊らされて買ってしまったら本来払うはずじゃなかった金額を払ってしまうことになるんだから。
実際、僕は「得」に踊らされて店に入って340円を使ってしまいました。
僕としたことが、何たる不覚。
揚げ物こそ買っていないものの本来なら発生するはずのなかった消費行動が発生してしまったことは紛れもない事実。
僕は事実だけ見れば、得どころか、「得」というのぼりによって損をしているんです。
表現に違和感を感じる。
金銭的な損得は一旦脇に置いておいて。
そもそも、「得」っていう表現を使うのもおかしな話だと思います。
まるで、割引されていない普段の状態に価値がないような言い方じゃないか。値段の割引によって、0だったものに初めて価値が生まれたような表現をしているように思えます。
いや、そんなはずはない。
値段以外の価値なんていくらでもあるはず。
食べ物で言ったら、産地の天然・新鮮な素材とか、生産者の方ならではのちょっとしたこだわりとか。なんでもいい。
なんだったら、企画されて、製造されて、店頭に並んでいることそのものがすごい。
企画段階で没になるものなんて、いくらでもあるからです。
存在自体がすごいことのはずです。
価値があるから、こうやって店頭に並んで、買ってくれるお客さんを待っているんだろう?
値段だけによって買ってもらっているわけじゃないだろう?
それなのに、「得」という言葉で本当に魅せるべき価値が覆い隠されてしまっている。とてももったいないことだと思います。
商品を売っているお店側にとっても、お客さんにとっても、損でしかない。
「Win-Win」ならぬ「Lose-Lose」。
名著である「7つの習慣」のコヴィー先生はきっと許してくれないでしょう。
のぼりにも「得」という表現は、「普段の状態」と比べてこそ価値がある、ということを示しています。
だが、やはりここまで書いていても思う。
実際にはそうではないはずだ。
僕が表現に違和感を感じたのは、この矛盾にあるのではないか。と解釈しています。
そのままでいい。得じゃなくていい。
絶対的に価値があるのだ。
割引なんかされていなくても。
普通の状態のままで。今のままで価値がある。
値段というラベルを貼り付けられていても関係ない。
「嫌いだ!」と投げ捨てる人もいるかもしれないが、同時に「好きだ!」と抱きしめてくれる人もいる。価値を感じてくれる人もいる。
わざわざ「得」という表現を使う必要はない。
ビビッときた僕の感覚が伝えてくれたものはこんなことでした。
と同時に、思いました。
僕らの感じる幸福も、本当は絶対的なものなのに相対的に思い込まされているんじゃないでしょうか?
今ここにいるだけで幸せは存在しているのに、色んなノイズのせいで幸せが割り引かれている(ように思い込んでいる)。
「めんどくせえ。社会死ね。」
「会社突然潰れないかなあ。」
「休日も寝ているだけで楽しくないなあ。」
だから、こんな言葉を使う人が世の中にたくさん存在しているんです。
僕は幸せを減らすほとんどの原因は今と未来・理想への不満、不安にあると思っています。僕自身、23年間ずっと悩んできて、最近確信が持ち始めることができました。
長い道のりです。
未来を見るとどうしても未来の幸せを、理想をイメージしてしまうんですよね。現実とのギャップができれば、脳が勝手にそれを埋めようとする。
楽になれるように、脳が相対的な幸せを生み出してくれるんです。
「これが幸せですよ!だってほら、安いし。気軽に手に入れられてお得ですよ!」ってわけです。
その方が都合がいいですもんね。楽ですし。
はい、これで3分クッキングの出来上がり。
それっぽい幸せの出来上がりです。
ちょっと難しい言葉だと認知的不協和って言葉で説明されます。
興味のある方は調べてみてください。
やがて、絶対的な幸せを感じることは少なくなっていく。
こういう仕組みなんじゃないか。
と今、コンビニを出て歩きながら考えている僕は思っているわけなのです。
幸せは絶対的なもの
改めて言います。
幸せは絶対的なものです。自分だけのものです。わざわざ自分で減らす必要はありません。未来なんか関係なく今、ここにあるものです。
イマを見て、本気で生きていれば自然と本物の幸せを感じます。あなたの中に幸せは眠っているからです。
未来との比較の上で成り立った偽物の幸せなんかに惑わされなくていい。もちろん、他の人の幸せとも比べる必要はありません。
僕は、何者にも、自分にも勝手に自分の幸せを減らすことは許しません。理屈も感情も関係なく、そう決めました。
僕が今感じている幸せは僕のものです。
俺の幸せだ。勝手に割引すんじゃねぇよ!
お得とか、お得じゃねえとか関係ないんだ!
思わず一人称が変わってしまいました。
珍しくいい文章が書けました。
現場からは以上です。
皆さんのお気持ちを、こっそり置いていっていただければ。小さな幸せ、これからも皆さんに与えます。