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自己紹介:がてら自分整理(お仕事)

ぼんぼんと申します!
いきなり、タイトル通り自己紹介もかねて自分整理がてら
このnoteスタートさせてみたいと思います。

このnoteの目的は、言語化能力の向上かな笑

▷〜お仕事

●大学卒業後、音響専門学校へ


動機は、よくある話と少し捻れた僕。
音楽関係の仕事への憧れは、色々なパターンがあると思います。
好きなバンドがいて、バンドを初め、その流れで音楽関係の仕事をしたいとか、
両親の影響や兄弟の影響などなどあると思いますが、僕は典型的にテレビで観た
アーティストの眩しさにシビれたひとりでした。
初めて買ってもらった楽器は、アコースティックギター(弦高1cmもある1万円の)中学2年生のときでした。僕なりに、練習したし、他の楽器にも手出しましたが、当たり前ですが、あの眩しい人たちには到底及ばない、勝手に挫折しました。ただ、あの眩しい世界への道は諦めたくなく、どうしたらよいか?と考えているとき、当時の僕の目に映ったのは音楽プロデューサーでした。
(小室哲哉、小林武史さんとか)
音楽プロデューサーになりたい!でも楽典もわからないし、曲創りなんてほとんどしてない、当時の僕が考えたプロデューサー像は(エンジニアリング)技術に長けたプロデューサーになろう!そうして、中学生の僕はエンジニアという職をしることになりました。時がたち、大学卒業して音響専門学校に進学、上京しました。

●修業後、社会人1年目、MAエンジニア


進学した専門学校は、某音響専門学校なのですが、少し特殊なクラスで高専、短大、大学卒業者のみ1年間の学びというクラスでした。
そして、音響分野の中でも選考して自分の目指す学科のクラスに属すというのがよくあるパターンの中でこのクラスは、全体を満遍なく1年でギュッとするという本当に特殊なクラスでした。(もうこのクラスは無くなってます汗)
大きく、PAエンジニア、レコーディングエンジニア、MAエンジニアという世界線で、最終的に僕が選択したのは、MAエンジニアの世界でした。

選択理由
・映像の知識も役に立つだろう、好き
・映像の世界が過渡期(HD移行へ時代背景)
・正直、給与面がよかった

MA時代はまさに袋叩きの日々で、時間、曜日の感覚は無くなってました。
今では考えられな時代です汗
ただ、すごく貴重な時間、学びの多い時期だったと今だとわかります。
僕にとって技術はあくまでも武器だったので、目標を達成したら次のステップへ!と掲げた目標を達成すべく、歯を食いしばってスタジオのソファーでふて寝をする日々を過ごし、どうにか乗り越えることができました。

●音楽プロダクションへ。今思えば、プロデューサーへの一歩
(初めての転職)

数年後、掲げた目標が達成で、MAの世界から新たな目標に向けインディーズの音楽プロダクションへと転職しました。
専門時代に見つけ一緒にやってきたバンドを引き連れ、正式にマネジメント体制を整えました。プロデューサーとしての第一歩だったと思います。
余談ですが、ヴォイトレ養成もやっている事務所(アーティスト開発)で生徒も多い時800名近くいて、何故か僕もヴォイトレ講師ができるよう鍛えられました笑 
そんなこんなで、前職を生かし制作セクションを任され、本当にいろいろ自らやるしかなかっったので、制作プロデュースはもちろんツアーのブッキング、アートワーク、試行錯誤のプロモーションなどなど、がむしゃらにやってたのを今でも覚えてます。自分で言うのもアレですが、無知故に、前しか見れなかったカワイイ時代です笑 そして紆余曲折あり、ここも離れることになります。。
(このタイミングは、僕の想像にはなく簡単にいうとモメマシタ苦笑)

学びとして
・制作(エンジニアリング)を軸とした、プロデュースはありありだった。
・人の人生を左右する(アーティスト)責任感
・自ら動ける環境だからこそ、やってみる
・状況把握、必要な知識は、わからないを言えるようになろう
(調べてもいいし、聞けるように)
・上長(僕の場合は社長だった)との向き合い
・まさか、ヴォイトレするとは

●フリーランスの10ヶ月

はい、無職になりました。
(バンドメンバーのサポートはしつつ、ただ事務所のこともあるので陰ながら、、となってしまったこと、その他今考えると、、ということは多くあります。結果、このバンドは解散することに。無念。。と力不足。。)
経験を生かして、フリーで生きていく!そんな簡単ではありません。
甘いです、ほんと、甘い!日雇いバイト、ポスティングなど、先立つものがないと当たり前ですが生きてはいけません。
正直前職では僕のオリジナリティ(経験値もないのに)で前進してたので、もしかしたら時代がマッチしていたら?(これも甘い)違う未来があったかもですが、やはり勉強不足と当時の僕は思いました。もっと色々なものを観て感じて咀嚼して盗む。環境というのは、与えられるものではなく、創る。そして、取りにいかないと。
いじけていた時期もあったけど、お世話になるとこを探し出しました。
ん〜情けないけど、その時の僕の決断でした。

学びとして
・先を見据えるのはいいが、しっかり計画、ビジョンを持つ
・自分の身を置く環境への感謝
・ひとは、ひとりでは生きるのは難しい(色々なひとに本当に感謝)
・答えを出していこう

●アーティスト、レーベル担当、何でも屋となる就職
(2回目の転職)

僕を拾ってくれたのは、某音楽プロダクション。
ここでの業務は主に、レーベル企画開発、制作、アーティストマネジメントが主でした。当時、某雑貨屋にて非常に流行っていたカヴァーシリーズ。すでにヒットシリーズも抱えており、今では考えれない数字を叩き出してました。となると、そのシリーズに続くヒットを目指すのは当たり前の流れで、毎週の会議で最低ひとつは企画を出すよう心がけ、ボコボコに叩かれたものです笑 
経験はやはりウソをつかない。前職でやってきた内容を生かしながら、ここではまた違う幅でいろいろやらせてもらいました。
ザ・音楽業界と呼べる場所での仕事は、この2社での経験です。
僕の20代は、音楽業界の中で駆け抜けていきました。

学びとして
・企画、提案をすること(通すには?何を実現したいのか?など)
・分析、調査
・大手レーベルの感覚(某有名アーティストもいたので)
・著作権の扱いについて
・女性アーティストの扱いの難しさ(笑い話)
・業界っぽいな〜のぽさ(笑い話)

●音楽業界を離れることに(思いがけない3回目の転職)

だいぶ長くなるので割愛しつつ、
自己都合で(お家ごと)僕は音楽業界を離れ、東京を離れました。
簡単に言うと、実家に戻りました。人生においてあるある話ですかね。
「創る」世界と言ってしまうと、レンジ広いですがそこから離れまったく未経験の仕事をすることになります。なんとぜんぜん違う世界の不動産関係でした。
不動産のお仕事が悪いという話ではない、いろいろな「創る」はあるよねという前置きをさせていただき、ほんとーに僕には合ってないお仕事でした。
いい歳こいて、毎日お腹痛かったです。。ただ、気づきもありました。
外から関わる音楽と音の世界。エンターテイメント。
がむしゃらにやってた時には見えなかった景色がそこにはありました。

学びとして
・今までやったことがない仕事の経験
・音楽やエンタメの見え方、感じ方
・ストレスの種類は、色々ある
・名古屋は、車がないと不便
・東京っておもちゃ箱な場所なんだな

●やっぱり「創る」がしたいが。。(いろいろ見えた。4回目の転職)


続けれませんでした!
なぜ最初から地元で「創る」仕事をしなかった?は、お家ごともあり。
でも、無理ってなってしまったんですね。これが汗 探します。お仕事。
ただ、東京と違い、音楽関係のお仕事というのはやはり少ないです。
なので、音楽業界での経験を生かせる場所で「創る」世界のお仕事ができるといいなと思い就職活動開始。
アプリ系、映像関係、制作会社等活動しました。

そんな僕を拾ってくれたのは、簡単にいうと代理店(制作系)の会社でした。
面接をしてくれたひと(結果直属の上司)が、
えらく僕の経歴を気に入ってくれまして入社することになるのですが、
何の巡り合わせか、
「東京で働いていたなら東京来ない?」とのこと。
採用を検討していたセクションではなく、とのこと。
これは、本当に縁だと感じました。
そして、再度上京することに。(両親の理解も大変感謝)
僕が籍をおいた部署は、某自動車メーカーのグローバルセクション(マーケティング部)に付随するコンテンツ制作(主に映像)がメインのチームでした。
映像と音楽・音は切っても切れない関係。
存分に、MA時代から始まった音・音楽における経験を活用させてもらいました。少し見方を変え、その生かせる場所を考えると当たり前が当たり前でない場所があり、それは自身のモチベーションUPとか求められる内容に応えられる達成感とかまた音楽業界でのパフォーマンスとは違う景色を観ることができました。
結果、某自動車メーカーからオファーいただき出向し、
お仕事させてもらいこれもなかなかできる経験ではなかったです。

学びとして
・決断と行動は大事(自分にウソをつかない)
・自分の経験してきたことの可能性を模索する(広い視野でみてみる)
・必要とされる場所は、創ることができる
・ひとつカラーを創れると役に立つ
・柔軟な解釈と対応
・感謝

●経験を経て、いざっ!(5回目の転職です汗)

おい、どんだけ転職するん?と自分でも思いつつ今の会社になります。
現在は、広告や映像などに付随する音楽制作プロデュースをメインに働いております。僕は、MAという音響技術〜音楽制作、マネジメント、企画開発、映像制作、そしてマーケティングと訳のわからない職務経歴になります。改めて、好き勝手やってるなと自負しております。ただ、なんかおもろい経験値とポジティブに捉えていると言う現状で何より、モノゴトが色々な角度でみたり、考えたりできるようになりました。ひと昔前(否定ではないです)の終身雇用の時代は、転職しまくるやつは使えないみたいな話も聞きますが、逆に非常に活きることも多分にあります。
これは、僕自身が経験したことなので実感している今日このごろです。

仕事に限らず、色々な経験は、仕事だったりプライベートに跳ね返ってくる。
これからも自分に正直に好き勝手生きていければと思います。

すごく長文になってしまいましたが、
もしここまで読んでくれた方、つらつらと失礼しました。
感謝でございます!

となんだか自分の経験や気になることを自分メモとして、
書いていきたいと思います!そして言語化能力も上がればいいな笑

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