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ようしらんけど・再考

なんかすごく以前にコメントをなんとか生きてる様より頂戴していたのに、1年近く放置していて、とても申し訳ない気持ちになったのもあって、続編のようなものを書いてみました。

大阪人の話の基本は「大げさ」ではあると思うのですが「ウソ」は禁じ手だと思いますね。

関西のお笑いと、関東のお笑いについて論じられた↓の文章が実に興味深くて。

https://note.com/kagakuma/n/n08e25cc82c06

関西ってのは、その「大げさ」「拡大解釈」を笑いにしている文化だということですよね。

昔のJAROのCMで「ウソ・大げさ・紛らわしい」というフレーズがありましたが、大阪人にとっては「ウソ」はアカンけど「大げさ」はおもろければアリ「紛らわしい」は鬱陶しいという感じで、それぞれ受け止め方が違うような気がします。

そのあたりが、フェルミ推定の亜種と書いたといいますか、なにかしら言うにも、完全なウソを言うのではなく「自分がこう思った根拠」というのは持っているような気はしていますね。そう考えると、アホなことを言っているようで、大阪の人間は結構理論的です。

ただややこしいのは、その大阪人トークに用いられるフェルミ推定もどきに用いられる「なんらかの根拠」というのは、客観的な正しさが担保されているわけではないということです。ここ紛らわしいですね(笑)

間違ったデータから論を導いて、結果突拍子もない結果になる、なんてのは、レトリック的には当たり前のことなのですが、そういう学術的な正しさなんてどうでもよろしくて、なまじ論理的なところがある。
昔のネタで、上沼恵美子が「私の家は大阪城」ってのがあったのですが、さすがにそれはない、と思いつつも、全盛期の上沼恵美子くらいならあるかも、とか、関西で羽振りが良ければ「大阪城でも買おうか思てるねん」くらいは冗談で言いそうなものなので、そこら編は「大げさ」の一例として挙げられるという気がするんですよね。これが、売れてない芸人が言っても面白くない。「買えそうな人」「買ってそうな人」が言うから面白いわけで。

そういう視点で見れば、この、偏見に満ちたデータ×なんとなくフェルミ推定→ギリギリぶっ飛んだ結論 という構図は、大阪の人間は無意識に身につけている、そんな気がしますね。(そもそも、この文章自体が上の公式にハマっている気もしますし)
まぁ、例によって、ようしらんけどな、という落ちになるんですけど。

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