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「成長」か「要領」か。課題に対する態度一つにもその人らしさが出る

4月から大学生になった息子は、課題やテストに対する同級生たちのやり方がどうにも気になる様子。
息子は妙なところが妙に真面目で、潔癖。なので、課題をみんなで手分けして少しでも楽にすませようと努める人たちや、普段授業に出ていないからテスト前にノートをあちこちから借りて集めている人たちが全く理解できない、というのです。
「だって、そんなことしたって無駄じゃない? 労力は使うのに何も覚えられなくて、一つも自分のためになってないんだから」
正論です。そして真面目というよりは、超合理主義です。

それを聞いていた夫。そう、この人は全然違うタイプだと私は知っています。案の定、この発言です。
「俺はそういう時、すごく手際よく人のノートを集めて乗り切ってきたから、何も言えないな」

親子なのにあまりに対照的!
夫は何しろ要領の良い人。「自分の成長のため」とか考えることがなく、目の前の事態をいかに最低限の努力で乗り切るかが大事。そして、運や人とのつながりを非常にうまく活用するという意味で「効率的」な人。
一方の息子は人付き合いが上手とは言えず、そういうことに頼るのに労力を使うよりは、さっさと自分の成長につながることをしたほうがいいという意味で「効率的な人」。

ちなみに私はその間の中途半端派です。
基本的には息子の考えに賛成。せっかくの課題やテストが自分のためにならないのはもったいなすぎると思うから。
でも、課題を手分けすることで友達と予想外に仲良くなったり、ノートの貸し借りしてるうちに他のことでも助けてもらったり、そういうこともあると知っている年齢です。
だから場合によって使い分けてしまうと思います。

夫はおそらく子供のころから今のような感じだったのでしょうが、息子がこれからどうなっていくのか、興味深いところです。
今のまま突き進んでいくのもよし、数年後に「あの時はまじめだったな~」と笑って思い出すのもよし。
大学生活の小さな一場面にも、その人らしさが出るものですね。


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