jjpyon

現在職業漂流中。いい大人だけど「働く」ことについていまだに考え、迷い、漂ってます。

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最近の記事

「見る」のと「やる」のは違う――「読む」こと、「書く」ことも

こうしてnoteを書いてみるようになって、改めて「読む」こと「書く」ことについて考えています。 「読む」のも「書く」のも、誰でも普通にしていることだけれど、簡単ではないと思い知りました。とくに「書く」ことは、一筋縄ではいかない! まず、書きたいことがないといけない。書きたいことはあっても、思考や感情に自分で輪郭をつけていかないと、文章にならない。 ようやく文章になっても、読んでくれる人に伝わるかどうかはまた別の問題…… でも、難しくて当然、そう簡単にできなくて当然なんだな

    • それは、私の価値観だよね?

      子育て中、いらいらモヤモヤした時に自分に言い聞かせていた言葉について書いています。 1「じゃあ、自分はどうだったのか?」   2「その心配は誰のため?」 今日はその3です。 この言葉には、先月まで続いていた受験期に特に助けられました。というか、この言葉であきらめがついた、という感じです。 高3になっても、息子はどうも勉強に身が入っていない。おおっぴらにサボっていることもあれば、いかにも勉強している風を装いつつ別のことをしていたり…… で、親は頭にきますよね。あと半年しか

      • その心配は誰のため? 八割がた、自分のため

        子育て中に苦しくなった時、よく自分に投げかけていた「じゃあ、自分はどうだったのさ?」という問いのことを前回書いたのですが、そういう言葉があと二つあります。 一つは「その心配は誰のため?」という問いです。 母親というのは常に心配しています。しかも私はもともと心配性で慎重派。それが子供のこととなれば、もうあきれるくらい細かいことまで気になります。 小さい頃ならまだしも、中学生になっても「昨日授業で○○使うって言ってたけど、ちゃんと持ってたかな?」「雨降る予報なのに、傘持ってい

        • じゃあ、自分はどうだったのか? と考えてみると少し冷静になれる

          息子が高校を卒業したというのに、いまだに「卒母」とはいかず、そんな自分にため息をつく日々。これまでの子育て中も事あるごとに自分に投げかけてきた言葉を、また思い出しています。 「じゃあ、自分はどうだったのさ?」という問いかけです。 大学生活が始まった息子。そもそも社交性に乏しく、人とワイワイ楽しくやることにあまり興味がありません。大学でも「早く友達作ろう」とか「とりあえずサークルに入って顔見知り増やそう」とか、そんな様子が全くない。 淡々と授業に行き、終わったらマッハで帰って

        「見る」のと「やる」のは違う――「読む」こと、「書く」ことも

        • それは、私の価値観だよね?

        • その心配は誰のため? 八割がた、自分のため

        • じゃあ、自分はどうだったのか? と考えてみると少し冷静になれる

          春――きっとベランダからの祈りがいっぱいの季節

          週に何度かごみ捨てに行く朝、マンションの中庭でときおり行き合う女の子がいます。私がごみ捨てに行く時間にちょうど登校していくランドセルを背負った女の子です。 1年生ではなさそうだけど、だぶん小学校低学年。近所にある公立小学校へ行くには時間が早いし、かわいいセーラー服風の制服を着て革靴をはいているので、私立学校に通っているのでしょう。 その子が私と行き合う直前くるっと後ろを振り返り、にこっと笑って、手を振るのです。おそらくベランダから見送っているお母さんに向かって。 その様子

          春――きっとベランダからの祈りがいっぱいの季節

          桜の記憶――いるだけで、誰かの光になること

          あっという間に桜の花は終わり、柔らかい緑色の葉が芽吹き始めました。はらはらと散る桜を見ると、ふと思い出す春の風景は父がまだ赤ちゃんだった私の息子を抱いてお花見をしている姿です。 きれいでせつない記憶に、胸が少し苦しくなります。けれど大切な思い出です。 父はその同じ年の夏に亡くなりました。だからお花見の頃にはもう相当に体調が悪く、入院と入院の合間でしたが、1歳にもならない孫と一緒に近所の土手の桜並木を見に行くと言い出しました。 結構な人が出ている中、「なんだか今年の桜はいつ

          桜の記憶――いるだけで、誰かの光になること

          今日の気づき~ 確かなこと の正体は、今できること

          一田憲子さんの『もやもやしたら、習慣かえてみたら?』の中の赤木明登さん・智子さん夫妻のページにあった言葉を読み、心の底からその通りだなと思いました。 この先どうなるのかと考えすぎると、不安のほうが先に立つ。なるべく間違えないように、安心できるように、正解を探したくなる。 だから不必要にじだばたして、本当の目的を忘れそうになります。 「一歩先のことなんて、誰にもわからない。そう腹をくくって、地味で当たり前かもしれないけれど、自分の手でできる習慣を探す」 本当に、それが大事。

          今日の気づき~ 確かなこと の正体は、今できること

          新しい環境を受け入れる心構えを、18歳男子から学んだ

          ユルくていい感じの甥っ子の様子に「もっと力抜いていいんだ」と気づかされた春でしたが、もう一人、息子の友達A君と久々に顔を合わせた時にも、はっとしたことがありました。 A君と息子は幼稚園からの付き合い。といっても、ずっと親しかったわけではありません。小学校低学年までは毎日のように遊んでいましたが、その後はクラスも分かれ、部活も分かれ、好きなことも違うし、高校の間はほとんど交流のない時期もあったと思います。今どきの子たちだから、時々は他の友達も含めてLINEで連絡を取っていたよ

          新しい環境を受け入れる心構えを、18歳男子から学んだ

          力の抜けた甥っこを見て、まだまだだなあ私、と思った

          3月に息子が高校を卒業して、私自身も「卒母」という節目をかなり意識しています。そんな春、コロナ禍もあって長く顔を合わせていなかった弟家族(弟、義妹、甥)久々に再会して、楽しい時間を過ごしました。 甥っ子はうちの息子より二つ年上の大学3年生。小さい頃から穏やかでかわいい子。口数が少ないのでおとなしいのかと思いきや、結構なマイペースで、他人の思惑や周囲の空気は良くも悪くもあまり気に留めない感じ。 最後に会った高校生の頃は、おそらくマイペースが最高潮に達していて、ちょっと頑なな

          力の抜けた甥っこを見て、まだまだだなあ私、と思った

          決めて動く、ことが最初の一歩

          「仮でもいいからとにかく結論を出す」ことが大事と知り、先日はアニメの『ゆびさきと恋々』まで参考になるなあと思ったのでした。 もう一つ思い出したのは、コテンラジオの深井龍之介さんの「15分考えたら必ず答えが出る」という話です。 それって深井さんみたいに頭の回転の超速い人だからじゃないの~? と半信半疑だったのですが、「15分本気で考えて、ともかくその時点での結論を出してさっさと行動を起こす」ことと解釈すれば、「仮でもいいから結論を出す」という最近私が感化された考え方と似ている

          決めて動く、ことが最初の一歩

          「仮でもいいから結論を出す」ことが大事――イツオミさんの質問も同じ効果?

          悩むと考えるは違う、と知って「なるほど!」と思った私がもう一つ目から鱗だったのは「仮でもいいから結論を出す」という考え方でした。 悩むとは、答えなんて出ないと思いながら、ああでもないこうでもないとぐずぐず考えていること。 考えるとは、答えを出すという意志のもとで検討して何らかの結論を出すこと。 その結論は完璧である必要はなく、熟考を重ねたうえでというよりは、今の段階ではこれを思いついた、という程度でいい。とにかく仮でも結論を出せば、「だったら次はこれ」という行動へ自然と結

          「仮でもいいから結論を出す」ことが大事――イツオミさんの質問も同じ効果?

          「悩む」=「考える」ではない と意識してみた

          安宅和人さんの『イシューからはじめよ』を読んでいました。 ビジネスや現実の問題への応用は、今の私には正直結びつく例を思いつけなかったけれど、前書きの「考えると悩むはまったく違う」という言葉は、私の現実にもばっちりと当てはまりました。 安宅さんによると 「悩む」=答えが出ない前提のもとに「考えるフリ」をすること 「考える」=答えが出る前提のもとに建設的に考えを組み立てること とのこと 例えば、仕事のことで「悩む」のは…… 「今の仕事イマイチだし、ほかの働き方を探してみたほう

          「悩む」=「考える」ではない と意識してみた

          「卒母の春」と「50代のこれから」

          この春、息子が高校を卒業して大学生になりました。 高校の卒業式に出席して感じた「子育て終了」感は思ったよりも複雑で、その正体についてしばらく考えていました。 ここまで元気に育ってくれてよかったという安堵、子供が広い世界に巣立っていくことへの小さな寂しさ。そういう感情はまあ予想通りでしたが、同時に「責任感」のようなものと、「自由を求める気持ち」を感じました。 責任感、のようなもの 子育て終了期なのに、どうして「責任感」なのか? それは自分の役割が「一人の子供の母親」から、「

          「卒母の春」と「50代のこれから」

          努力についてしつこく考察――あの人だって努力してるんだ、という謎の安心感

          先日、私は「努力」というものにとらわれているのかも……と思うきっかけになった出来事があり、しつこく努力のことを考えつづけています。 その過程で、実のところ自分は怖いから努力にこだわっているのかもしれないと思い当たりました。 何が怖いのか? 「自分にその力がないこと」「自分は特別な人間でもなんでもないこと」をはっきり認めることがです。 身近でも、「この人すごいな」という人を見ると、自分はなんて能無しなんだろうとか、なんてダメなんだと落ち込みます。けれど彼らが実は訓練したり準

          努力についてしつこく考察――あの人だって努力してるんだ、という謎の安心感

          努力とか、考えたことのない人のほうが努力している

          私は「努力」が好きである。 「努力」は美しくて、貴くて、大切で、人にとって必要なものだと思っている。自分もそれなりの「努力」をして50年ほど生きてきたつもりでいる。 だから自分以外の人もついそういう目で見てしまう。 イチロー選手だって大谷選手だってこんなに努力しているという話を聞けば「ほらやっぱり」「どんな天才も努力はしているんだ」と満足する。 あまり努力が好きでなさそうな夫や息子を見ると、「なんでもっと努力して成長しようとしないのか!?」とモヤモヤする。 私の場合、自分

          努力とか、考えたことのない人のほうが努力している

          2024大学受験レポート~深刻になりすぎず、行き当たりばったりも一つのやり方

          共通テストで高得点を取って早稲田大学へ行くという目論見が外れ、急遽一般受験に切り替えて幸運にも目的を果たすことができた息子。その受験を見ていて気付いたことを前回、主に共通テストについて書きました。 ①共通テスト対策は効果あり ②共通テスト利用入試への出願は複数の角度から検討 ③出願先は厳選する ④共通テストでとにかく一校確保できるのは大きい 続きは主に気持ちの面の話です。 ⑤やる気ゼロの時の最低ルーティンを決めておく 元々熱心ではなかったけれど、夏前にコロナにり患して体

          2024大学受験レポート~深刻になりすぎず、行き当たりばったりも一つのやり方