頭の中で旅行しがち
頭の中で旅行しがち
今日は、ふと、福岡の方に意識が飛んでいっていた。
頭の中で川端通り商店街、櫛田神社の山鉾、の辺りをウロウロフワフワ。
近頃は福岡に飛んでいくことが多いけど、少し前は京都に頻繁に飛んでいっていた。
ここ6年ほど一人旅には出ていない。だからなのか、日常生活を送りながら頭の裏では、過去に行ったことのある場所にグィーンと飛んでいっているときがある。
器用でしょ?私だけではないだろうけど。私の場合は、頭の後ろがグィーンって飛んでいっている感覚かな。変なこと書いてるな、自分。
私が飛んでいっている場所は過去に行ったことのある場所や景色の中だけなので「楽しかった記憶を思い返している」とも言えるのだけど、感覚的にはそれとは少し違う気がしたので「飛んでいく」という言葉にしてみた。
決して「超能力!幽体離脱~!」が使えるとかそういう話ではなくて。
そういう話は好きだけど。
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福岡と東京
なんで最近は福岡ばかりに飛んでいくのかな。
福岡に限らず、飛んでいくときは、その時の自分にしっくりくる場所を選んでいる気がする。
なぜそこをセレクトしているのか理由はわからないけど、「しっくりくる」という言葉がちょうど合っていて。
今日は実験をしてみることにした。
「なんか今はそこじゃない」っていう場所にあえて飛んで行ってみたらどう感じるのかな?
そこで、福岡でウロウロウロしていたところで、「東京へ行ってみよう!」と飛んでいってみた。
東京に行った。スカイツリーを下から仰ぎ見れて、また、墨田区の下町景色を眺められる場所にいた。
さっきまで感じていた居心地の良さはなくて、足の裏が寒くてザワザワした。
色で例えると東京は寒色で、福岡は温かいクリーム色のように感じた。色に例えてみたけど、東京はスカイツリーの色に、福岡は梅が枝餅の色に影響されている気もする。
ここだけみると、東京の評価を下げているようにみえるけど、東京は好きだし、よく東京に飛んでいっていた時期もあるんだから。
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海と木と
そういえば、一昨年と去年は「海」に頻繁に行きたい時期だった。
海が呼んでいると言ってもいいくらいに行きたくて、よく実際に地元の海辺に足を運んでいた。
波の音を聴きながら歩き、漂着物の観察をして過ごす。短時間の滞在でも、充分な癒やしだった。波の音を聴いて砂浜を歩くだけで、感じているモヤモヤが洗い流される。
頻繁に海に行きたがるのは、単なるストレス発散の意味以外の理由もある気がしていた。
そのときはなんでかわからなくて言葉に表そうとしなかったけど、いま振り返ると【その時期の私のエネルギーのバランスを取るために、「海の要素」が必要でだったから】ではないだろうか。
そういや、海の時期の前は「川原」の時期だったな。
さて、今年は海に行きたいと感じなくて、全く行っていない。
じゃあ今は何に惹かれるのかと問うと、【木や緑に惹かれる時期】だと返ってくる。
木のおもちゃの遊び場や新築の木の匂いをかぎにいったりしていて、木の癒やしを感じているこの頃だ。
海は川よりもヌルくて浄め冷やしてくれる感じで、木はヌックリと温めてくれる感じ…これは、私の勝手な感想ね。
この、惹かれる対象が【川原→海→木】と変化したこと自体も、まさにバランスをとろうとしているみたいだ。
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軽い縁でいい。
と、まぁ、こんな風に。
スゥッと、ある場所を思い出す時や無性に行きたい場所がある時は、そこが今の自分にピッタリなパワースポット、ラッキースポットなのではないかと思った。
実際に足を運んで行けなくても、頭の中でその場所を想像していると、心身のエネルギーのバランスを取ろうとしているような感じがするから。
バランスを取るためのチューニング先が多いほど、きめ細やかなバランス調整ができるのではないだろうか。
だから「行ったことのある場所」を増やしながら生きていたいなと思う。
色んな場所で色んな体験をして。
ただ行っただけでも、その場所と縁を繋げれると思う。縁と言うとガッシリしていなきゃいけない感じがするけど、行ったことがあるというだけの、軽〜いつながりで私はいいんだ。
もし、居心地の悪いところだったら「」ノーサンキュウ〜」と言って、お返ししたらよいよい。よよいのよい。
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あとがき
自分の感じることに心を傾けて、考えてでた想いを言葉にしてみた。時間がかかったけど楽しかった。
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