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今日も僕の日々を作り上げる

「今度こそ、このきれいな部屋を保とう!!」

さて、
“三日坊主”とは僕のためにある言葉かもしれない、、、
そんなことを考えて生きてきた。


その日、
惨状を見かねた母は、僕の部屋を掃除してくれた。
そして、
先ほどの決意を抱く。

「今度こそ、、、」

残念ながらというか、案の定というか、
4日後には、きれいな部屋は乱れ始めていく。

.
.
.

子どものころから、ずっとだった。
おもちゃは、ちらけっぱなし。
机の中の道具箱は、ぐちゃぐちゃ。

子ども心に思うわけです。

「こんなんじゃいけない」
「つぎの学期は絶対にきれいに使おう」
「きれいなほうが気分いいから、片づけなきゃ」

でも、、、
気づけばこの惨状。

自分が情けない。
恥ずかしい。
なんでできないんだろう。。。

「次こそは」
「今度こそは」

「僕はなんてダメなんだ」
の永遠のループを繰り返し、繰り返し、
またその日を迎える。

.
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やがて、

年齢的にも大人になり、
かつてのように母親が片づけることもなくなったけれど、
僕のダメさは相変わらず。

さすがに、子どもの頃ほどの惨状ではないけれど、
それでも乱雑に散らかった部屋にいる自分。

そんなんなので、掃除もままならず、
清潔とはとても言えない生活の日々。

あの永遠のループは、
片付けに限らず、僕の内面や活動でも繰り返されていた。


勉強も
「次こそは」

仕事も
「今度こそ」

人間関係も
「何とかしなきゃ」

そう、あれもこれも、、、


そして、
「僕はダメだ」
「僕はダメだ」
「僕はダメだ」

世の中から取り残されている気分だった。
実際、同年代の人たちに、とてもついていけなかった。

襲われる不安。
閉ざされた未来。

カラダ モ ココロ モ オモイ


僕はもがき続けた。
あのループの中でもがき続けた。

.
.
.

でも、
不思議だった。

僕は“もがき続けた”。

なぜだか分からないけど、“もがき続けた”。


あきらめなかった

「つぎこそは」と必ず思った。

「今度こそ」と性懲りもなく繰り返した。

「僕はダメだ」と思っても、
また繰り返した、、、


もう一度言うけれど、不思議だった。
絶望的な気分になりながらも、

必ず
「次こそは」
と思うことが僕はできた。

.
.
.

そして、
ようやく、

その時がきたんだ。

一念発起

僕はベッドから立ち上がり、
ゴミ袋を手に抱え、

次々と放り込む。

部屋を空っぽにする勢いで放り込む。

放り込む。

洗剤をぶちまけるようにかけて、
長年の汚れを
ゴシゴシ、ゴシゴシ。

今までお世話になったベッドも解体した。
長年のテーブルも捨てた。

お金に余裕があるわけではなかったけど、


僕は部屋を一新した。


それは、僕自身の一新でもあった。

.
.
.

その日を境に、
僕は清潔を心がけるようになった。なれた。

どんなに忙しくても、
毎週、部屋を掃除して、
雑巾もかけて
清潔を心がけるように。。。


整理整頓、
清潔を保つこと、

それは、
僕自身を作り上げることだった。

掃除や片付けをするたびに、
僕は、
自分の日常を、
そして人生を、「作り上げているんだ」と感じる。


おおげさかもしれないけれど、

僕はそれまで、“ただ生きてきた”。
けれどその日を境に、
ぼくは、“生きることをつくる”ようになった。


清潔にすることは、僕のルールに。
あれほど、できなかったことが、僕のルールに。
それは、僕の「生きる」をつくるルール。

昔は、僕を苦しめたルール。
今は、僕を前向きにするルール。


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さて、このコロナ禍。

手洗い、
アルコール消毒、
マスク、
咳エチケット、

清潔ルールがたくさん増えた。

でも、どこか違う。

しかたがなかったとはいえ、
後ろ向きで、
僕らを縛り付ける窮屈なルールに思えるけど、どうなんだろう?

「清潔な社会を作り上げたい」
そんな前向きなルールがいい。

「怖いから」
「安心できないか」

人間は、安心を求めるとキリがない、と思う。

不安が嫌だから安心で縛りつけるルールなのか?

それとも、
もっと前向きな、
清潔な社会が気持ちよいから、それを目指すルールなのか?

これを機に、
安心のための仕方なしのルールを
「明るい未来のためのルールに変えられたらいいな」
なんて考えながら今日もお掃除。


#清潔のマイルール

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