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最初からそうしている『大怪獣のあとしまつ』

※作品のネタバレに触れています。


『大怪獣のあとしまつ』のオチ(エンドロール直前のやつ)に対して、「最初からそうしろよ!」(💢、失笑、etcetc)との、尺がムダだとの、口を揃えたようなダメ出し感想を今も多く目にする。
 一部の特撮ヲタク層的には、まぁ元ネタであろう我らが偉大なる「ウルトラマン」シリーズに対して敬意がない(と断定してる批判層多々有り)のが赦せないとのことで、人によっては当映画が心底癇に障る内容となっているのも実際のところなのだろう。

 自分はこれまで複数の記事やツイートなどで、初代ウルトラマンは倒した怪獣の後始末を全くしていない(その描写が本編にない)と何度も取り上げて指摘してきてて、読んでくださってる方々も既にウンザリされてることと思われるが、今暫くの間お付き合い願いたい。


両作品の話の構造の比較

 大怪獣のあとしまつへの最初からそうしろよ!との指摘を、元ネタであろうところのウルトラマンの話の尺の構造に重ねて比較してみると、

 ウルトラマンのほうは30分番組のフォーマットの都合上、登場して怪獣を倒すのは概ね終盤の定位置の3分程で、ウルトラマン自身による「倒した怪獣の死体の後始末」は本編では一切描かれていない。

 一方、最初からそうしろよ!とバッシングされ倒している大怪獣のあとしまつのほうはというと、開幕早々にヒーローがそれこそ話の最初に怪獣を倒している(※)。怪獣を殺した光球の正体はこの時点では不明扱いだが、選ばれしものの力自体は話の最初から使用してはいるのだ。多くが最初からそうしろよと言う肝心の話の焦点の後始末こそ物語ラストにではあるがそれでも、選ばれしものが怪獣希望の死体を持ち去る=後始末をつけて終幕となっている。
(※)倒すズバリ描写こそ本編にはないが、シン・ウルトラマン冒頭のゴメス他各禍威獣のダイジェストにもその場面自体はないし、あれらが演出的に◯ならこちらも有りだと考える。


最初からそうしろよ ?

 ウルトラマンに対して、
さっさと変身して最初から必殺技使って倒せよとか、ウルトラマンが登場するまでの十数分や怪獣プロレス以外の場面の尺はムダとか、
そう取れる解釈の余地もある発言を口にしただけで非難轟々となるであろう様子が可視化されているが、それら指摘が、片や大怪獣のあとしまつに対しては真逆に、皆後に続け!的な絶好の攻撃材料となっていて、片やウルトラマンに対してはそのまま理解していて当然の様式美タブーだと見做されていて。
 正直お気持ちでコロコロ変えられてるダブスタ感がずっと拭えないでいる。
 最初からそうしろよ!と本心で思うのであれば、その指摘は大怪獣のあとしまつを通じて元ネタであろうウルトラマンに対しても向けられるものであろう。そのことによって様式美が否定されるものでもないが、どこかでその視点は持っていて然るべきだと思う。


 屁理屈、言い掛かりかもだが、
 最初から怪獣倒してるし、観客の多勢が気に入らなくともなんだかんだで死体の最終的な後始末までは描いている大怪獣のあとしまつは、最初からそうしないどころか後始末してる様子のないウルトラマンよりは余程最初からそうしてると思うのだが。

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