20190128_オタマトーン

「小さな小さな朗読劇の会」<当日編>

<当日、上演の様子>
「小さな小さな朗読劇の会」、当日はキリッと寒さを感じる日ながら、冬らしい澄みわたる青空の、気持ち良い日になりました。

スタッフチームはお昼頃に集合してミーティング。それから、この日の会場である谷中区民館に入りました。小さい子供ものんびり楽しめる畳敷きの和室、そして幕の引けるステージがあるという、上演の場としては最高の環境。まずは客席側を整え、子供も大人も楽しめるように、朗読を意識したものをメインとした絵本や本を並べて、設営を行いました。

そして、会場にて、実際の上演を想定してのリハーサル。直に会場を見てみないとわからないこと、イメージできないことが多々ありました。「どうやったらこの場の可能性をうまくいかせるのか」「どのようにしたらお客さんにめいっぱい楽しんでもらえるのか」ということを考えながら、開場時間ギリギリまで、スタッフチーム一同、準備に奔走しました。

開場時刻を迎え、お客さんがどんどん集まってきます。今回、自分の企画ということで、いらしていただいたのはいずれも、自分と直接つながりのある友人たち。本来なら、自分がみなさんをもてなし、ゲスト同士を紹介しつなぐべき立場にあったわけですが、会全体の運営と演者とを重ねて行なっていたために、まったくその余裕を持てなかったのは、大いに反省しているところです。

今思い返してもあたふたしていたなぁ、と思うのですが、何はともあれ、さあ会の始まりです!

まずは前座の出し物。今回の会への参加を決めるのは大人ですから、きっと子供たちのなかには「なんでこんなとこにきたの〜?」という感覚や疑問(や不満?)を持っている子もいるはず。だからこそ、「つかみは重要!」と考えていました。

最初に用意したのは、谷川俊太郎『わらべうた』より、「したもじり」。一部だけ紹介すると……

なげなわのわもわなげのわもあわのわもわ
こがめもこがももこがもめもかごのなか
あめなめるまねなのねまめにるはめなのに
あせかくかごかきかきかくえかき
(谷川俊太郎『わらべうた』集英社文庫)

早口言葉的だけれど、それだけじゃない。ひらがなの文字の羅列、最初は意味がわからない。でも舌をもつれさせながら読むと、そこに意味が立ち上がってくる。だから、二回目に挑戦すると、スッと読めてくる。最初は私の息子がトライ。続いて出演者の一人も。さらに、客席から一人指名させていただいて。おもしろいのは、頭では意味が理解できても、舌はなかなかついてこない。だから、後から読む大人でも、意外とつっかえるもの。大人は意味の妙を楽しみ、子供は音がもつれる感じを楽しむ。期待していた以上に、つかみはOKでした。

スーテジの幕が閉じ、シーンとした会場に幕の間から飛び出したのは、オタマトーン。ブザーのような音を鳴らしたら(大爆笑)、幕が開いて、さあ上演開始です!

最初の演目は、子供たちにも、親にもお馴染みの、「くまの子ウーフ」。教科書にも取り上げられたりしているので、誰もがその存在を知っています。でも、どんなお話なのか、ご存知ですか? 名前とその姿はよく知られているものの、実はそのストーリーは、意外なほど知られていないのではないでしょうか。神沢利子さんの描くウーフの世界は、穏やかだけれどものすごくシュールです。あらゆることに「なぜ」と考えるウーフは、哲学者の素養がたっぷり。子供たちはシンプルにくまの子の物語を楽しめるし、大人はその素朴な問いに常識を揺るがされる。親子で楽しむ会にはぴったりの作品だと思います。

シリーズ作品はたくさんありますが、やや傲慢なフナとのやりとりが愉快な「さかなにはなぜしたがない」を上演しました。私はそのフナ役を担ったのですが、その日参加してくれた最年少の2歳の子が、会場を縦横無人に歩いてちょうどステージ前に来たときに、ちょうど「おう、あんまり近づくなよ!」というセリフを言うことになり、それを聞いた?その子がトテトテと離れていったこと(会場大笑い)が何より印象的でした。

一演目終わると、幕が閉じられて、またオタマトーンのブザーで上演の雰囲気が作られる。会場、演出、いろいろな偶然に支えられて、本当に素晴らしいものになったと思います。第二演目は、黒柳徹子『木にとまりたかった木のはなし』。シンプルな物語の美しさも魅力的ですが、武井武雄の挿画にハッとさせられる名作です。これを、敢えて言葉の劇としてどう演じればよいのか。

この本は、私が子供の頃から家にあって、とにかく美しい本として魅了されてきたものでした。物語だけでもなく、絵だけでもなく。だからこそ、絵に代わる何かを表現できるのであれば、別のかたちでもその魅力を伝えられるのではないか、と考えて選びました。

会話劇ではないから、どうしてもナレーション部分が多くなります(特に後半は、ほぼ地の文で進行する作品です)。魅力的な物語も、読み物がベースである限り、ナレーションが中心にならざるを得ない。それでもおもしろい作品を朗読劇で演じるにはどうしたらよいだろうか? それでたどり着いたのが、「ナレーションを2声にする」という方法でした。一人の声で読めば単調になる作品も、音にメリハリがつくことで全然違った印象になる。女声・男声を交えたことも、敢えての方針でした(同性同士の声よりも、女声・男声の組み合わせのほうが明らかに耳に入ってきやすいということは、ラジオ番組のテキストを担当していたときの経験で実感していました)。

さらに、この作品にはもう一つの仕掛けを。単発的に飛び込む鳥の声を、観客席側から発してもらったのです。今回、お客さんとして参加するだけでなく、「演じるほうにも協力したい」という声も事前に多くいただいていていました。〈舞台ーー会場〉という固定的な関係を崩して、「えっ? こっちからも声がするの?」という状況は、特に子供たちにとって、よい刺激になるのではないかと考えていました。舞台から見る限り、結果は上々だったようです(ご協力いただいたお二方、本当にありがとうございました)。

最後の一幕は、ミヒャエル・エンデ「トランキラ・トランペルトロイ(がんばりやのかめ・トランキラ)」。のんびりもののカメ、トランキラ・トランペルトロイが、ライオンの王様の結婚披露宴に出席しようと決意し、はるか遠くにあるその会場に向かって歩き出します。一歩一歩、ゆっくりと……

口承の昔話の伝統を受け継ぐ、定型の語りが繰り返されながら、徐々に物語が展開していくタイプの作品です。場面が変わるごとに刻々と変化する状況と、まったく動じることなく一歩一歩を進んでいくカメのリズムの対比。え、それでは間に合わないじゃない、どうなるの?……そうしてたどり着いた物語の終わりには、意外な結末が待っています。最後にこのような「落ち」があり、語りが進んでいくことでそれが明かされる。そういう構成の物語は、言葉の劇として演じられると非常におもしろいのではないかと感じています(最初の朗読劇をやってみたい、と感じた『もみの木ーームーミン谷のクリスマス』も、まさにそのような物語でした)。

さらにこの物語は、声もしゃべるテンポもさまざまな、個性的なキャラクターたちが登場し、ドイツ語の響きを生かしたユニークな名前をそれぞれに持っています。ちょっと大げさにその名を読み上げるだけで、子供たちはおもしろがってくれるはず。

3本目の劇ということで、きっと子供たちはちょっと疲れてくるころ。じっくり聞くのはなかなか難しいでしょう。だから敢えて、やや構成の複雑なこの作品を最後に持ってきました。子供たちには、音の響きや繰り返しのセリフを直感的に楽しんでもらい、物語の展開を理解できる大人には、その意外な結末を味わってもらおう、ということで。

どのくらい伝わったかな?と思っていましたが、でも想像以上に子供たちが物語の展開をつかんでいて、いろいろな動物たちの語りを楽しんでくれていたようでホッとしました。

これでいったん、私たちからの朗読劇の上演はおしまい。ここからは、いらしてくださったお客さんにも参加してもらって、朗読を楽しんでみる時間に。

まずは、前座で行った「したもじり」に挑戦です。冒頭でやってみたもののに加えた新たにフレーズを追加し、まずは出演者がやってみて、さらにお母さん・お父さんも挑戦。思わず取られる舌に、会場一同、大笑いです。いちばん上手だったのは、小学生の女の子。聞けば演劇の練習経験があるそうで、滑らかで抑揚の利いた読み方に、みな感嘆の拍手を送ったのでした。

続いて、やはり谷川俊太郎さんの『ことばあそびうた』を子供たちに渡して、おもしろそうだと思ったところ、偶然開いたところなどを、自由に読んでもらいました。ひっかかりつつ楽しそうに読む、意味を考えながら読む、ちょっと恥ずかしそうに読む、大きな声でハキハキと読む……自分で読むのは恥ずかしいけれど、という子も含めて、それぞれの色が現れていて、見ているこちらがとても楽しく感じるひとときでした。

開演から1時間を過ぎて、さすがに子供たちも疲れがはっきり出てくる時間に。そこで最後は、幕間の演出のために用意した“音”の道具で自由に遊び。開演を知らせるブザーとなったオタマトーンのほかに、挨拶時のネタ用のミニアコーディオン、そして「木にとまりたかった木のはなし」で用いたバードコール。いったんクタッとなった子供たちも、パッと目を輝かせて楽しんでくれました。自分たちでごく自然に交代しながら遊んでくれたのもよかったです。

そして出演者から簡単な自己紹介と、上演してみての感想、そして来場していただいたみなさんに御礼の挨拶を述べ、「小さな小さな朗読劇の会」は、これにて一段落。でも、子供たちにはもう一つだけ、お楽しみが待っていました。本にちなんだ、ささやかなプレゼント。最後にまた、パッとみんなが笑顔になってこの日の会を閉じることができ、本当に嬉しい気持ちになりました。

<少しだけ、振り返り>
今回、このような催しを開くにあたって、それこそ上演作品を考えるところからのいろいろな試行錯誤があり、反省・感想などが頭から溢れそうなほどです。詳細なところはスタッフチーム内であれこれ話をすることにして、会そのものに焦点を当てて、少しだけ振り返りをしてみたいと思います。

先ほども述べたように、今回、何よりも恵まれていたのは会場でした。友人から紹介してもらった谷中区民館の和室には、ステージと幕があり、劇の上演にはこの上ない環境。その設備を最大限に利用して、「上演の時間・空間」というちょっと特別な場が用意できたことで、小さな子供たちも、(比較的)劇の世界を感じやすくなったのではないかと思っています。

一方で、以前にこの会場を訪れたことがあったのでおよその想定はできていたつもりでしたが、それでも、いざ現地でリハをやってみると、想定外のことがいろいろ出てきます。そして、その場で思いつくことがまたおもしろかったりもする。単純に自分の力不足で、あれこれ混沌としたまま開演に入ってしまい、ワタワタしたまま進行してしまったのは大いに反省するところです。お客さんを招いて開くイベントである以上、やはり準備はもっともっと入念に行わないといけないな、とつくづく感じさせられました。

さて、<準備編>にて、上演作品をセレクトする際に考えていたことを記しましたが、実際に演じてみて、改めて感じたことを。

「親しみやすいキャラクターで最初に気持ちを掴む」というねらいはうまく客席に届いたようです。ウーフ、多くの子が知っていましたし、知らなかったとしても、ほわっとした雰囲気のクマの絵を見て、スムーズにお話に入ることができたようでした(やはり、大道具としてビジュアル要素を用意するのは大事ですね)。

「木にとまりたかった木のはなし」は、後半はちょっとナレーションが多めで、耳で聞いた話からイメージをする力が求められる部分もあったかと思いますが、前半では短くいろいろな声を混ぜたこと、またナレーション続きのところにバードコールを織り交ぜたことなどで、全体として素直に受け入れて楽しんでもらえたのではないかと思います。

そして最後の「トランキラ・トランペルトロイ」。何度か述べているように、最後に「落ち」のある展開は、朗読劇にするときっとおもしろくなると感じています。ただ、それは一方で、劇の続く間、観客側に集中力や理解力、想像力を求めることにもなります。今回、ほとんどの方が子供と一緒の参加という状況で、タイミングによっては落ち着いて聞けない場面もあったかと思います。そういう面から考えると、自分が「きっとおもしろいはず」と感じるものが、必ずしもベターではないのかもしません。また、子供たちにとっては、やはり結末の部分の展開は、理解の範囲を超えるものだったようです(ある程度、ものごとの筋道が理解できるようになってきているからこそ、かえって混乱してしまったという子も)。作品のセレクトやシナリオ作りの際からも薄々予感していたことではありましたが、上演をしてみて、改めて今後の作品探しに活かせればと思っています。

とはいうものの、結果的にはこの作品、かなり楽しく受け取ってもらえたようでした。定型のパターンが繰り返されるなかで、いろいろな動物のキャラクターが登場し、声音も性格もいろいろ。もしかすると、物語のなかの盛り上がりや変化については、この作品がいちばん印象的だったのかもしれません。

子供たちがどの部分に反応し、楽しんでいたのかな、ということを振り返ってみると、それはやはり「音」の部分だったのではないかと思います。聞いておもしろい言葉、長かったり複雑だったりするのに見事に話される言葉、キャラクターに合わせた情感のこもった声音、起きていることを実感できるような声での演技、等々。こちらが想像している以上に何かが伝わっているようです。実は「トランキラ・トランペルトロイ」では一つだけ、動物の種類も名前も明かされないまま、セリフを述べるキャラクターがいるのですが、上演後に「何の動物だったと思う?」と聞いたら、一人の子が即答したのには本当に驚かされました。

冒頭の「したもじり」や後半の朗読体験などのことを考えても、「音で遊ぶ」「言葉そのもので遊ぶ」というところに、何かおもしろいものがあるのではないかと感じています。まだ意味になる前の、言葉が持っている不思議な魅力。それを一緒に遊び戯れることならば、年齢を問わずに広く楽しめるのではないでしょうか。初めは耳をすまして、そして一緒に声を出して。まだ漠然としたイメージしかありませんが、それでも今後に向けてのヒントが見えたような気がします。

そうそう、こういう子供たちの感じたことをすくい上げるうえで、よくよく気をつけたいな、と思うことがありました。私たち大人は、感じたことや考えたことを一般的な概念に当てはめて考えることに慣れてしまっているから、つい「楽しかった?」などと聞いてしまいがちです。でも、子供たちの感じていることには、まだはっきりとしたかたちがなかったり、わかりやすい言葉に置き換えられないものが多々あります。子供と楽しむ会を開くうえでは、こういうところにも心を配っていけるようにしたいと感じました。

お子さんの感想をくださったみなさま、本当にたくさんの発見がありました。改めまして、ありがとうございました。

そして、私の思いつきから始まった企画に、それぞれお忙しいなか力を尽くして協力してくださり、最高のアイデアとパフォーマンスを提供してくださったスタッフチームのみなさま、心より感謝を申し上げます。準備から当日まで、楽しみながら取り組んでいただけたのが何より嬉しいです。

さて、反省し始めるときりがないのですが、改めて当日のこと全体を思い返してみると、聞き方・受け取り方はそれぞれだったと思いますが、いちばんのゲストである子供たちが、みんなよく笑ってくれていたな、ということが浮かんできます。そして、そんなこどもたちの姿を見て、会の間ずっと、自分も笑っていたのでした。本当に、心地のいい時間になったなぁ、としみじみ感じています。

<これからは?>
準備から当日やってみて感じたこと、みなさんからの反応などを受けて、いろいろ見直すところ、新たに試みてみたいことなど、たくさん考えることがあります。

まったく同じような形式ではなく、今回の経験を踏まえて、また新たなかたちで、子供と本にまつわる催しを開いてみたいと思っています。参加していただく人にも、私たち運営する側にとっても、気遣いなく気軽に参加できて、楽しく、しかも何か新しい発見を持ち帰ってもらえるような。そんなイベントを作れたらと考えています。

考えてみると、インフルエンザ最盛期にこんな催しを企画したのは、いろいろ問題ありだったかもしれません……とりあえず当面の目標としては、春、暖かくなった頃に、屋外で楽しむイベントができたら、と思っていろいろ想像をしています。ご興味を持っていただける方は、ぜひご参加ください。また、「こんなことをやってみたい」というアイデアも受け付けております。

ぜひ、次の朗読劇の会にて、お会いしましょう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?