死刑台の笑い

先日のテレフォン人生相談で加藤諦三先生が言っていた「死刑台の笑い」。

死刑が執行される前、もうどうにもならないことがわかり、笑うしかない状態になることを意味する言葉らしいです。(インターネット調べると「絞首刑の笑い」が出てきたのでこっちが正式名称かもしれません)

この話を聞いて思い浮かべたのは父親でした。

父親はニコニコしていて愛想が良いと言われていたのですが、いつもどこかしんどそうで困っている笑いだったのです。

絶対的な権力を持つ母親に支配的なかかわりをされ、子供たちからボロカスに言われ、頻繁に顔を出す母親の実家では常に気を遣い、障害のある伯父の面倒を見て、長男だからとギャンブル依存の母親を押し付けられ…

職場も母方の祖父、父親からすれば義理の父親が経営している会社だったので、ものすごく気を遣っていたと思います。

僕が外資系保険会社で成績不振による解雇を経験したとき、父親は「社会に出たら地獄やからな」と言っていました。

父親はずっと笑うしかない状況を耐え続けていたわけです。

そう考えれば、パチンコ依存、飲みに行けば毎回吐いていた姿、ちょっとしたことですぐキレていたことも理解できます。

子供の頃はいつもヘラヘラしている情けない父親にしか見えませんでしたが、ものすごく大変だった、大変という言葉で片付けられないほどのしんどさを抱えていたのだろうと思います。

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