見出し画像

週末旅をお勧め(44回目):一泊二日で高野山で宿坊体験し和歌山市を観光

44回目の投稿は高野山と和歌山市です。小さい時に川崎大師の近く(東門前)に住んでいて川崎大師はなじみの深い場所で、お大師さんと呼んでいる。そんなお大師さんの原点である高野山にはいちど行ってみたかったので計画して行くことにし、自宅から車でも行けるけど関西国際空港を利用しレンタカーで移動して宿坊に泊まり2日間で回ることを考えた。高野山へ向かうときに関係が深い九度山と、帰りに和歌山市に寄る計画とした

【1】今回の旅の目的

高野山でいくつかのお寺を回る事と奥の院を見て宿坊に宿泊する事がメインで、関係の深い九度山を回る事です

【2】高野山への旅の計画(移動・宿)

自宅から車でも行けなくはない距離ですが関空を利用してレンタカーで回ることを検討した。今回は宿坊に泊まりたいがJALのダイナミックパッケージでも宿坊を宿泊として設定できることがわかった
移動:羽田⇔関空の航空券はJALダイナミックパッケージで予約
移動:レンタカーをダイナミックパッケージで予約
宿泊:高野山の宿坊をダイナミックパッケージで予約

【3】おおよそのルート

1日目:羽田空港(07:10)→JAL221→(08:30)関西国際空港→九度山→高野山(泊)
2日目:高野山→和歌山市→関西国際空港(21:15)→JAL228→(22:25)羽田空港

【4】高野山旅行の写真レポート

(1)1日目の行程
朝の早い便での旅立ちでJALラウンジで朝食を食べているが雨が降っていて外はよく見えない。空は雲で真っ白で富士山側の窓側席を確保したのに富士山が見えそうにもない。時間が近づき搭乗口にいってまずは写真を一枚

機内に乗り込み滑走路に向かう途中にも雨でよく見えないので一枚だけ撮影

離陸動画は雨が窓に付き、さらに離陸してすぐに雲に入ってしまったのでなし。思ったより早く雲の上に出たので雲高が低いのでもしかしたら富士山が見えるかもしれないと窓の外を見ていると富士山が近づくにつれて雲が少なくなり富士山の横に来た時には意外ときれいに見えていた

関西国際空港に近づいてきたとき紀伊半島を横断するように飛行するので外を撮影。吉野の山地を眼下に見ながら徐々に高度を下げて行きます

さらに高度を下げ海岸線に近づくと紀の川の流れがハッキリ見えるようになってきました

さらに高度を下げ関西国際空港に着陸するためいちど海上に出る。眼下には紀の川の河口と和歌山港がハッキリ見えている

海上で右ターンした後に高度を下げ雲を抜けたところで関西空港の滑走路に正対した所で阪南市の市街地を右に見ながら降下して行きます

海上空港である関西国際空港に着陸し誘導路からスポットに向かう所です

スポットに停止する直前の写真で、右側のスポットにはANAの機材が並んでいる

この関西国際空港に着陸するときの動画を撮影しました

降機してターミナルビルの中の写真で天井も高く開放的ないい雰囲気です

レンタカーのピックアップする為の移動時に関西国際空港駅を撮影。そういえば関西国際空港は国内線から国際線への乗り継ぎで何回が利用していますが空港から出たのは初めてでした

◆九度山
レンタカーを借用し高野山に行く前にふもとの町の九度山に行き見ます。この九度山は高野山にも関わりの大きい町で、空海のお母さまが住んでいた町でもあり、高野山への参拝道の起点でもあり熊野古道も通っている町です

真田庵は真田幸村の屋敷跡に建てられたお寺で正式には善名弥院と言います

境内にはお堂がいくつかあり、千度石という石柱がありましたが右側の石なのでしょうか?

ここは真田庵の中で弥勒菩薩を祀っている本堂になります

真田地主権現の正面の鳥居から撮影したもので、鳥居の額は六文銭でした。真田地主大権現とは、この敷地で真田幸村の霊がたびたび見られたので大権現の神様として祀ったところ穏やかな顔になったという伝説があります

真田庵の別の入り口の門です

真田古墳は真田抜け道とも言われ、かつて真田幸村がこの穴を使って大阪城に行ったと言われています。実際は古墳時代の遺跡ですがこの街が真田の町なので真田古墳と名前が付けられました

南海電鉄高野線の九度山駅で、九度山の町は真田の町でもあるので六文銭の幕が掛かっていました

橋本駅から極楽寺駅の間を走る観光列車の天空が通りかかったので撮影しました。橋本から極楽寺までこの列車で行き、極楽寺からはケーブルとバスを乗り継いで高野山に行くことができます

能光尊には仏師の能光を祀った石塔がありました。能光はこの後に行く高野山の中門の多聞天と持国天の像を製作した事で知られています

慈尊院の入り口です。慈尊院は高野山が女人禁制だったので空海の母親が空海に会いたいと訪ねて来て、亡くなるまで滞在していた場所で、ここから参拝のための道が「町石道」と呼ばれ一町毎に石が建っていて、空海が母親に合うために月に九度山を降りてきたという事で九度山町と名前がつきました

立派な多宝塔がありました。先ほどの門をくぐった先に一番で目に付きます。和歌山県指定の文化財です

丹生官省符神社は九度山の慈尊院の裏手にある神社で空海がこの場所で猟師にあい白黒の二頭の犬に導かれて高野山にたどり着いたという伝説の場所で、ここから町石道が続いていて、そこを歩いて高野山に参拝するというスタート地点にもなっています。この石段は119段あるそうです

拝殿を正面から撮影した所です。左右に石灯篭がある立派な拝殿でした

本殿は三棟あり檜皮葺の極彩色の建物で造りが変わっているので国指定の重要文化財に指定されています

慈尊院の本堂の横にあるお堂でご本尊が安置されています。ご本尊は非公開みたいですが、国宝だそうです

慈尊院の本堂を斜めから撮影したもので、右手には受付のような所がありお守りとかを授受できます

慈尊院は空海のお母さまが滞在した所であり女性の方の信仰を集めています

◆高野山
九度山の町を見た後は高野山です。高野山の町は広いけど歩いてまわれるので宿泊先の赤松院の駐車場に車を止め荷物を預けてから歩きます。最初は赤松院の山門を撮影したもので、左右に金剛力士像が安置されているもので、高野山では少し珍しいです。宿坊にもなっていて奥之院のすぐ手前にあり場所が便利なのでここに宿泊しましたが、お勧めの宿坊ではありませんでした

勧学院の山門の写真で高野山のメインの通り(県道53号)の壇上伽藍エリアの東側にある学問道場で拝観はできませんが土塀と門と右側の紅葉が綺麗でした

勧学院の山門

大門は高野山の総門で国内最大級の木造の門です。この写真は高野山エリア(金剛峯寺の境内)側から撮影したものです

中門の写真で壇上伽藍エリアにある大きな門で四天王により守られています。外から見て左は持国天で東を守り、右は多聞天で北の方角を守ります。内側から見て左は広目天で右は増長天です。九度山にあった能光が造ったと言われている多聞天と持国天はここにあるものです

六角経蔵はお経を納めている蔵で下の方に棒が出ているのが見えると思いますが、そこを押して回すことができ一周回すと中のお経を全部読んだことになるそうです

ひときわ大きい建物は金堂です。金堂はご本尊を安置する仏殿で中を拝観する事が出来ます。中は真言密教の世界を体感でき、ご本尊を含めじっくりと見るべき場所でした。中は撮影禁止で紹介できないのが残念です

高野山は空海が開いた真言密教の修行道場であり全体が金剛峯寺の境内でもありたくさんの寺院があります。しかし壇上伽藍のエリアに神社があります。この神社は元々高野山に神社があり空海の考えに共感し場所を与え高野山を開いたという歴史があり、その神社が残されています。御社は「みやしろ」と読みます

御社の前にある山王院で御社の拝殿です。横に長く(20mくらい?)で国指定の重要文化財に指定されています

高野四郎も鐘がある鐘楼ですが、こちらにも鐘楼があり木造で渋い感じです

壇上伽藍のエリアには塔が3本あります。中央に一番有名な根本大塔でそれを正面に見て左右に西塔と東塔があり、この写真は西塔です

山王院の裏側にあり鳥居の手前で参拝する事になり、奥はうっそうとした森になっています

本殿の左右には狛犬がいて、空海を高野山に案内したのは白黒の二匹の犬で、御社の狛犬はこの犬となっていて左側が白い犬で右側が黒い犬です。この写真は別々に撮影したものを1枚に組み合わせたものです

西塔の横にあるお堂で孔雀明王が安置されていたお堂だそうです。ここに安置されていた孔雀明王は霊宝館に収蔵されているそうです。孔雀明王は元はインドの女神で、孔雀は害虫はコブラなどを食べる事から人々の災厄や苦痛を取り除く功徳があるといわれ、孔雀の上に鎮座しています

壇上伽藍エリアは沢山の建物がありますが、ひときわ目立っていて有名なのは向こうに見えている根本大塔です

准胝堂(じゅんていどう)は1883年に再建されたお堂です。本尊は准胝観音でヒンドゥー教に由来する菩薩で日本では真言系・真言宗系・天台系と宗派により変わっています

御影堂は弘法大師空海がご入定された後に御姿を奉安したお堂で非公開の建物ですが、少し開かれている所から中を拝見することができますが、暗くてよくわかりません

高野山で一番有名な建物で壇上伽藍エリアにある根本大塔です。とても大きな建物で中は真言密教の世界が広がっていて、柱がたくさんに曼荼羅に仏像など拝観する事が出来ますが、内部は写真撮影できないので紹介できず残念です

金堂を正面から撮影したもので、先ほどの斜めからより大きく感じます

正式には「大塔の鐘」で大塔=根本大塔です。いまでも1日に108回撞かれています。鐘の重量は6トンもあり愛称として高野四郎と呼ばれています

1334年に後醍醐天皇の勅願により建てられたものですが火災で消失し今の建物は1848年のものです。本尊は後醍醐天皇等身の愛染明王で愛染堂という名前がついています。町石は慈尊院(九度山)から高野山までの参詣道にあり道標として建てられたもので、1町(約109m)毎に建てられています。根本大塔が起点で、慈尊院⇔根本大塔、根本大塔⇔奥之院の弘法大師御廟の2つがあります。この町石は1町で、根本大塔のすぐ横にあるからです

大会堂とは法会の集会の場となる建物で多くの僧侶が集まるのでとても大きな建物です

三味堂は928年に金剛峯寺の座主済高大僧都の創建されたもので本中院の東南院にあったものを1177年に移築したものだそうですが火災により消失し1816年に再建されたものです

壇上伽藍エリアにある3っつの塔の中でいちばん東にある塔です。根本大塔は非常に鮮やかですが西塔は地味な色合いだったのですが、東塔はカラフルな色でした

壇上伽藍エリアから金剛峯寺のエリアへの道は蛇腹道と呼ばれています。そこは紅葉の名所ですが行った時期が少し早く一部だけ紅葉していました

高野山は全て金剛峯寺の境内ですが、その中心はやはりこの金剛峯寺のエリアでその入り口の門です。門の横に掛かっている提灯は右側が高野山で左側は豊臣家の寺紋になっていて、普通は一つの門になりますが金剛峯寺はこの2つとなっています

金剛峯寺の鐘楼で鐘の大きさは壇上伽藍の高野四郎に負けていますが建物自体はとても立派な木造建築です

金剛峯寺の建物です。高野山は山の上にあり落雷による火災が多く消失も多かったので、昔から防火に対する対策が取られていて、すぐに屋根の登れるような梯子が準備され屋根の上にはモズをためる桶が置かれています。勿論、現代ではちゃんとした消防設備が設けられ避雷針も設けられていますが伝統的な建物なので、そのままの形にしてあります。この入り口は天皇などの最上位の位の方のための入り口にあります

金剛峯寺は中に入ることが出来ます。一般の庶民はこの写真の右側にある入り口から入ることになります

金剛峯寺の内観の写真で特別な絵画などの場所以外では撮影が可能で、入ってすぐのまっすぐな廊下を撮影しました

この廊下で見るべきところは天井付近の梁で「海老虹梁」と呼ばれ曲線が美しい梁で、一本の太い木を削って造ったもので、非常に贅沢な造りとなっています

廊下のよこにある枯山水です。綺麗に箒目のついている所に石が配置され、少し紅葉している樹木がとても綺麗でした

金剛峯寺の蟠龍庭で日本一の広さの石庭になります。 龍の文字がはいっているのでわかる通り石の配置が2匹の雌雄の龍が奥殿を守っているように表現されています

配置されている石は弘法大師が練行の聖地四国の青い花崗岩が140個あり、雲海の部分の白い砂は京都産の白川砂が使われているそうです

金剛峯寺内部の台所です。このかまどは煮炊きなどに使われていたようですが、別の場所にはご飯を炊くお釜が乗っているかまどがあり二石釜が3個置かれていました。ひとつで七斗を炊くことが出来、三個で一度に2000人分のご飯が作れるそうです

建物に向かって右側(東側)の門を内側から撮影したもので、東にあるので東門と呼ばれています

ビルマ戦没者供養塔の正式名称は摩尼宝塔で成福院の前にあり、成福院の住職がビルマ仏教教会より贈呈された釈迦仏像と大蔵経を持ち帰りこの仏像をご本尊として祀るために建立された塔です

◆高野山奥の院
高野山でも特別なエリアが奥之院で、その入り口はいくつかありますが正式なのはこの一の橋の所から歩いていくことになります

一の橋の先は樹齢が何年になるのだろうと思ってしまうような杉の大木が並んでいる間を参道が続いています

奥之院は弘法大師空海が入定されている聖地で先ほどの一の橋から御廟までは約2kmの参道が続いていて、20万基を越える大名の墓石や記念塔や供養塔が並んでいます。この墓所は薩摩島津家のものです

この墓所は安芸浅野家の物です。安芸は今の広島県で、おおきな五輪塔がありました

奥之院の参道で有名なのはこのお化粧地蔵で、自分の化粧道具でお化粧をすると美人になれるという話でこのようにお化粧しています

加賀の前田藩と言えば百万石の大きな藩で、この墓所は大きなエリアにゆったりと五輪塔がありました

豊臣家の墓所は参道から少し登った上にあり、その入り口の石段がこの写真です

石段を登った先にはかなり広いスペースがあり、華美ではなく質素なのはさすがに豊臣家だと感じます。一番奥に大きな塔がありその前に整然と供養塔が並んでいました

大名家などではなさそうですが五輪塔が並んでいる所があり、同じ大きさの五輪塔が規則正しく並んでいて苔の感じとかが凄く絵になり良かったです

織田信長の墓所には五輪塔と供養塔があり、横には筒井順慶の墓所がありました。筒井順慶は明智光秀のあっせんで信長に臣従した人なので、すぐ後ろで控えているという事でしょうか

この写真の御廟橋から先が本当の聖地となり、ここから先は写真撮影が禁止です。杉木立の向こうに見えているのは燈籠堂で弘法大師の御廟を礼拝するお堂で白河上皇や昭和天皇による灯明がいまでも燃え続けていて、他にも2万基以上の献灯が奉納されています

燈籠堂と御廟にお参りした後に来た道を戻ってきました。そして二ノ橋の所まで戻った所で汗かき地蔵のお堂を撮影しました

汗かき地蔵のお堂の右奥にある姿見の井です。この井戸を覗いて自分の姿が写らなければ三年以内に死ぬという伝説があり、怖かったのですが覗いてみたらちゃんと顔が写っていたので一安心で、コロナが収束になりそうな三年後までは安泰で安心です

紀州徳川家の墓所がありました。この墓所は鳥居に扉がついているようで少し変わっていて、その扉にあいているのがハートの様でインスタ映えしそうです

武田信玄と勝頼の墓所で、左側に大きな石板が立っていて奥には二つの供養塔(五輪塔)が立っています。左側の大きいのが信玄で右側の少し小さいのが勝頼のものです

初日のお参りを終えて宿泊する宿坊の赤松院に戻って来ました。この宿坊はお庭が素晴らしいという事ですが、聞いても行きかたを教えてくれないし、事前に手続きを済ませてあったのに部屋は準備されてなく散々な宿坊でした。お庭も情報ほどに素晴らしいという感じではありませんでした

宿坊なので二食付きで精進料理が食べられます。その精進料理はこのようなものでした

食事後は風呂に入り早々と就寝

(2)2日目の行程
2日目の朝はお勤めからですが、前日に7時15分からと聞いていて本堂の入り口にもそう書かれているのに始まったのはさらに早かったようで7時10分に行ったときはほとんど終っていて「なんなの?」という感じ。 Tripadviserなどでも評判があまり良くない宿坊で食事や部屋や人など総合的に考えてもお勧めできないね。宿坊でそんな事をいうのはおかしいけど。
朝食も精進料理でこんな感じで「まぁ仕方がないね」という感じ

早々とチェックアウトし駐車場が混まないうちに&人があまり来ないうちに公共駐車場に車を移動し2日目の参拝を始める
◆高野山
前日は小雨が降ったりで天気があまり良くなかったのですが、翌日は回復し青空が広がっていました。そこで昨日に歩いたところを再び訪れています。昨日は金剛峯寺の山門から撮影しましたが、今日はその手前の道路の所からの撮影です

昨日も撮影したのですが、山門を撮影しました。昨日より大きく撮影し金剛峯寺の寺紋がハッキリと見えるようにしました

昨日も撮影した金剛峯寺の建物です。青空となっていてさらに朝の早い時間なので人もいないのでいい写真が撮影できました。建物が大きいので広角レンズで全部が入るように撮影しました

昨日も撮影した東門を外側から撮影しました。朝の時間帯なので東側からのあかりなのでハッキリと写す事ができて良かったです

高野山の中央の大きな通りから少し南に入った所にある金剛三昧院に来ました。北条政子が源頼朝と実朝を弔うために建立したもので、この写真の石柱の間をあるいていきます

山門は物凄く大きなものでした。ここに来た目的はこの門を入ったさきにあります

山門を入った右側にある本堂でご本尊の愛染明王を安置していて、その両脇には源頼朝・北条政子・足利尊氏・足利直義の位牌が安置されているそうです

境内にある多宝塔で国宝に指定されています。高野山は山の上にあり落雷によりたびたび火災が発生し古い建物が残っていない場合があり、この多宝塔は高野山で一番古い建物で1223年に建立されたものだそうです

高野山のメインの通りに合った薬局で、建物も古く昔からある薬局のように思えます。看板に少し見えている「だらに」の文字は、「陀羅尼助(だらにすけ)」で千三百年の歴史を持つ胃腸の薬の事です

三宝院という所の山門を撮影したものです、門の左右にある提灯の右側が「×」のしるしが珍しいですね

遍照光院の門の所の小さな屋根の下に木製の鬼のようなのが梁を持ち上げているようなのがあり、ただ歩いているだけでは見えないので撮影しました。見た感じでは一つの木から掘り出された様ですし、ひざに置いた手の節々が物凄く緻密でビックリしました

恵光院は有名な宿坊で評判も良いようです。次回はこちらの宿坊を利用したいです

◆高野山奥の院
昨日も来ましたが翌日も奥の院に来ました。その理由は見たいものがあるからです。最初は山口毛利家の墓所で大きな鳥居の先に沢山の供養塔が並んでいます

この日は古くなった杉の伐採作業で参道の一部が通行止めになっていて迂回路が設けられていました。その迂回路で撮影した写真です

石田三成の墓所があります。実際にはここで見える石畳の道を進んだ奥に供養塔が見えます

明智光秀の供養塔(五輪塔)です。五輪塔は上から、空・風・火・水・地を表し丸いのが水を示していて割れているのがわかるかと思いますが、何回立て直しても割れるのは恨みをかっているという伝説があります

奥之院の燈籠堂をお参りしました。燈籠堂では昨日とは違う多くの僧侶が特別なお経を上げていて雰囲気がとても違っていました。戻って御廟橋がら燈籠堂の方を撮影した写真で、昨日と違っているのは橋の手前の左右に提灯があり、奥には登り幡が立っているところです。近くにいる方に聞くとこの幡はひとつ100万円くらいするそうで、色々なひとの寄付でこの幡などは特別な行事の時だけ出されるということでした。その行事はこの後に

奥之院の最奥の御廟橋の下には梵字が書かれていて、1日の内の朝の天気が良い時だけ下の水面に写って見る事ができます。この日は条件が良かったので水面に全部ではありませんが写っている梵字が確認できました

諡號奉讃会は「しごうほうさんえ」と読み、空海が醍醐天皇より弘法大師という名前を贈られた日にあたり、その行事で1年に1回の事です。奥之院の燈籠堂で特別な読経の後にお堂を出て御廟橋の方に行列をして戻ってきます

木靴をはいてゆっくりとあるいて来ます。御廟橋を渡って護摩堂の前を通り過ぎて行列は遠ざかって行きました

静止画だと雰囲気がわからないと思い動画も撮影しました

奥之院の御廟の中では今でも弘法大師はお経を上げ続けているといわれ、今でも1日に2回お食事を運び生身供と呼ばれています。朝の6時と10時半に行われ、10時半のを撮影しました。建物を出た後は嘗試地蔵(あじみじぞう)に確認して頂いた後に水向地蔵の前を歩いて御廟橋で一礼をした後に御廟に向かいます。この写真は水向地蔵の前を歩いているときの写真です

御廟橋で一礼した後に燈籠堂への道を歩いているところを撮影しました。参拝している方も横によけて専用の参道のようになっています

諡號奉讃会と生身供を拝見した後に参道を戻ってきて仲良し地蔵を撮影しました。お地蔵さんが近くに寄り添っているのは少し珍しいです

墓所ではないのですがお地蔵様がたくさん並んでいるところがありました。みんな赤い前掛けをかけて並んでいる様子がとてもいい感じでした。 たくさん見てたくさん撮影し紹介したいのがたくさんありますが、多すぎるので奥之院はこれで最後です

◆高野山
メインの通りから外れ女人堂の方に向かいました。その途中に普賢院というお寺があり、山門がみごとでしたので撮影しました

普賢院のすぐ近くにある本王院の紅葉が綺麗に色づいていたので撮影しました。日当たりが良いところは紅葉が進んでいるようでした

南院の入り口の山門で、奈良の東大寺の南院に住んでいた方が建立した寺院だそうです

南院の中の大きなお堂で浪切不動尊という説明がありました。ご本尊は弘法大師(空海)という事でした

徳川家の家康と秀忠の御霊を祀る霊台です。拝観料を支払ってこの石段を登り山門をくぐった先にあります

右側の建物には鳥居があり、東照宮となっていて家康を祀っています。手前の左側は秀忠の御霊屋となります

徳川家霊台から女人堂に向かう道の左側にある塔で、周りは公園になっていて寺院とは離れているようです

女人堂の向かいには大きなお地蔵さんがありお竹地蔵と呼ばれていて、1700年頃にお竹さんという方が建てたものです

高野山は明治の初めまで女人禁制の地でした。その高野山には入り口が七つありそこに女性のための参拝所が設けられていて、その中の一つが不動坂口に現存している女人堂です

女人堂の前から撮影したもので左に金剛峯寺、右に高野山の文字が入った石柱がありここから先が高野山の境内となります。この入り口は不動坂口で南海高野線の極楽橋駅ぁらケーブルカーで高野山駅に到着し、バスに乗り換えそのバスは専用道を走りここから高野山の中心部に行きます

女人堂を見た後に壇上伽藍エリアに戻って来ました。昨日は天気が悪かったのでもう一度来て明るい光が差していい感じの写真が撮影できました

昨日に続ききて青空をバックに撮影をしたかった大会堂ですが、雲が出てきてしまいました

不動堂は根本大塔の東側にあるお堂で1198年に一心谷に行勝上人が創建したもので、国宝に指定されています。鎌倉時代の和様建築のお堂です

天気が良くなり少し青空が見えている状態で根本大塔を撮影しました

空海が唐での修行を終えて帰国するときに三鈷杵と呼ばれる仏具を浜辺から投げて真言密教を広げるための場所を探したという伝説で、その三鈷杵がこの松に引っかかっていたと言われています。この松の葉っぱは三本に分かれていてお守りとして持ち帰ることができます

御影堂の前に来たら青空が見えていて綺麗に撮影できたので紹介します

前日と少しアングルを変えて大きさがわかるように金堂を撮影してみました

壇上伽藍の中門で、明るさが戻ってきて朱塗りが鮮やかに写りました

大門は昨日来た時には雨が降っていてうまく撮影できませんでしたが、この日は青空が広がり綺麗に撮影しました。この写真は高野山の外側からの写真になります

大門に少し近づいて撮影した写真で金剛力士像が見えます

大門の所の道で、この山道は九度山の慈尊院の所から歩いてくるとここに着きます。次回来るときは公共交通機関を使って九度山から空海と同じように山道を歩いてここから高野山に入りたいですね

◆和歌山市
高野山を出て関西国際空港に向かう前に和歌山市の紀三井寺に来ました。境内に三つの井戸がある事から名前がついていますが、正式には金剛宝院です

石段を登った先には楼門があります。朱塗りの立派な楼門で左右に金剛力士像が安置され国指定の重要文化財に指定されています

本堂を撮影した写真です。入母屋造りで正面唐破風と千鳥破風に本瓦葺きの建物は、江戸時代に作られた国指定の重要文化財の建物です

本堂より一段上がった所にある多宝塔で下の段は四角で上の段は丸い形は高野山の根本大塔と同じような形ですね。国指定の重要文化財に指定されています

和歌山県に東照宮?って思うかも知れませんが、徳川の御三家(紀州・水戸・尾張)の一つがこの紀州にあり、将軍も2人出しています。そのような事もあり、初代の徳川家康と徳川頼宣を祀っています

参道はクランク上に曲がっていてお城のような感じです

クランク上の参道を過ぎると長い石段があります。108段の石段を登った先に楼門が見えます

楼門をくぐった先の境内から撮影した唐門です

紀伊東照宮の境内から楼門とそこから見える海を撮影したものです。和歌浦と呼ばれる風景は万葉集にも読まれた風光明媚な所で、ここから和歌山県の名前がついています

和歌山城は徳川御三家の一つの紀州藩騎手徳川家のお城であり城跡は国の史跡に指定されています。石垣のよこの新裏坂を登って復元された本丸の所に行きます

坂を登った所の門で、埋門だと思います

天守閣は明治の廃城令にもかかわらず残され国宝に指定されていましたが、第二次世界大戦の和歌山空襲で消失してしまい、今の物は昭和33年に再建されたものです

本丸御殿跡は天守閣が一番よく見えるスポットとして紹介されていて、そこから撮影した天守閣です。でも手前に電線があり、少し雰囲気を壊していますね

御橋廊下を撮影した写真です。この橋は殿様とお付きの人、奥女中が二ノ丸と西ノ丸を行き来する為にお堀に掛けられた橋で、外から見えないように壁と天井があり、中は普通の廊下になっています

和歌山県護国神社が和歌山城の城内にあり、その入り口の鳥居です

街中からも和歌山城の天守閣が見えます。ビルの間の天守閣はまた面白い感じですね

最終日の夕食はいつも空港で食べる事にしていますが関西国際空港は国際便が殆どけっこうなのでレストランも休業が多くファーストフードになってしまうので少し早いけど和歌山市で食べる事にしました。となれば和歌山ラーメンで事前に和歌山城に近いところで評判の良いところを調べていったのが、この「まるイ」。時間も早かったので人も少なくすぐに入れました

食べた和歌山ラーメンはこれ。このお店の売りのネギがたっぷり載っていてラーメンやスープが見えない状態です。あっという間に食べてしまいました

レンタカーで関西国際空港に戻って来ました。車を返却しターミナルビルの入り口での撮影です。左右に国際線のエリアがあり、国内線はまっすぐ奥ですが、左右は暗く寂しい感じです

搭乗口での撮影で、22番のスポットから東京行の最終便です。というより国際線がほとんど欠航しているので羽田⇔関西国際空港も朝の一便と、この最終便の1日に2往復しか運行していません。その意味では一泊二日の旅行では一番長く滞在できる事になりました

時間になり搭乗してプッシュバック直前に撮影した写真で横のスポットには飛行機あまり見えず、遠くにかすかに見えるだけです

プッシュバックが終わり滑走路への移動開始するときに撮影したもので、ターミナルビルが見えています

国際線の旅客はほぼ欠航ですがそれに反して貨物は絶好調です。関西国際空港は貨物の取り扱いも多くFedexは専用の貨物ターミナルを持っていて、そこにはFedexの機材が沢山駐機しています。私の好きなMD-11も何機が駐機していて気分があがりました。旅客便が欠航しているのでその貨物スペースで運ぶ事が出来ないので貨物便が増便されています

関西国際空港を離陸するときの動画を撮影しました

離陸した滑走路が24Rで座席が左側のA席だったので、離陸直後に泉佐野市の夜景が見えました

離陸後に右ターンをして一度北の方に向かう時に撮影した写真です。淡路島と明石海峡大橋が見えました

右ターン後さらに進んで後に撮影した写真で大阪湾と大阪の夜景が綺麗に見えていました

羽田空港は雲が多く着陸動画を撮影したのですがあまりよくありませんでした。降機して駐車場に向かうときに出発階で撮影した写真でガランとして寂しい風景でした

自宅に戻ってGPSで記録したログを地図に落としたのはこれです

【5】まとめ

・初日は少し天気が悪かったが大雨でなく傘を差すのもすくなくて良かった
・2日目は思いもかけず年に1回の行事である「諡號奉讃会」の読経と
 お練りを体験する事が出来た。
・空港への帰りに和歌山城や紀三井寺・紀伊東照宮なども寄ることが出来た
・この旅でかかった費用は次の表の通りです

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?