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私の駆け出し時代

人間だれしも駆け出し時代があるわけでして、そこからいろいろな経験をして今を迎えます。

当然私にも駆け出し時代はありましたし、思い返すことも珍しくありません。

良くも悪くも無知だった物書き駆け出し時代から今に至るまで、考え方はわりと変わっています。

副業から専業に変わったことで見えてきたものもあるんでしょうね。

そんな風に考えています。


そもそも私は初期投資が少なくて済む副業を探していました。

当時は整備士でお金がなく、ブログのように時間がかかったり維持費が発生したりするものは選択に入れていませんでした。

「そんなの数千円じゃないですか」と言われますが、当時の手取りではその数千円すら出せない状況。

割と早い段階でお金が必要だったこと、パソコンはもっていたこともあって、ライターの道を選択しました。

ろくに調べもしていなかったので当初の仕事は一本0.1円/文字の仕事。今だったら絶対に受けません(笑)

クラウドソーシングでしたのでさらに報酬は少ない状況でしたが、単純なもので副収入が手に入ったという事実だけでやっていました。

また、当時はコロナが登場して、多くの人が参入してきた時期です。

今ではアカウントすら動いていない人も同期として活動していました。

気が付いたら、当時から関わっている人は現フォロワー500人ぐらいのうち1人です。

みんなどこ行ってしまったんでしょうね。


私の意識が変わってきたのはスタートして半年後くらいから。

多くの人がいるなかで、同じことをしていては生き残れないと思ったこと、工場の生産ラインで働いているような感覚に陥ったことです。

ライターの仕事の天井を見てしまった気分だったんです。

とある出来事があったんですが、ここでは差し控えます。でもそれが(自分で言うのもなんですが)「ご意見番」っぽい役回りをさせているのだと思います。

独立後にはよりライティングに触れる時間も長くなったため、余計にそんなことを考えたわけです。


なんでこんなことを突然書いたかというと、昨日たまたまお話した方に「久保田さんが駆け出しの頃ってどう考えてたんですか?」と言われたからです。

「そういえばどうだったかな?」と思い返し、備忘録として書かせてもらいました。

スマホでライティングしたりと今では信じられないことをしていましたが、それが今の自分につながっていると思うと不思議で仕方ありません。

でもこれだけは言えます。

最初から崇高な理念・理想を持って始めたわけではないんです

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