本に嫉妬

ドイツ留学中の引きこもり日記

こういう留学生活も存在するんです。

2017.6.15

なんとなく人と話したくなくて、一日中読書をして過ごした。静かで明るい部屋の中、コーヒーを飲みながらする読書ほど幸せなものはない。やっぱりこれが私の生活だと再認識した。


 『ノルウェイの森』にて、ミドリが主人公の手相占いまがいのことをした時に言った、「105歳まで生きて、3回再婚するでしょう」のようなセリフで、ふと、再婚って別に悪いことではないんじゃないかって思った。一年は長い。例えば20年ごとに相手が変わってもおかしくないんじゃないか、むしろ変わったほうが自然なんじゃないかってくらい。恐ろしい。

2017.6.18

意味が分からない。「ダンス・ダンス・ダンス」の終わりにある主人公と弓良さんのセックスに悲しくなるくらい嫉妬した。主人公の嫉妬が移ったんじゃないかってくらい。たかが物語の架空のセックスに嫉妬。

2017.6.19

例えば手紙に愛の言葉が書いてなかっただとか、使い道がいまいちわからないタコ焼き機が送られてきたこととか、そんなことでがっかりしているんじゃない。プレゼントっていうのはいつでも期待が尋常じゃなく膨らんでそのまま気球みたいに空に上がって行けるんじゃないかってくらい大きくなってから、内容物を確認した後静かに、でも急激にしぼんでいく。きっと勉強で忙しいんだろうな、こういうところまで頭が回らないんだろうなと彼を弁解しつつもやはり悲しいものは悲しい。昨日の喜びは昨日のものであって今日の喜びではない。昨日から引っ張り出してそれで今日の悲しみをいやすことはできないのだ。こんな悲しい気分でノーベル賞受賞者の作品なんて読めない。どうせ暗くて重いんだ。本を借りに行こう。

2017.6.24

最近、本を読んでいて気づいたんだけど、私の本の読み方は極めて断片的だ。飛ばし飛ばしに読んでいるわけじゃないんだけど。この場面、この部分が好き、印象的、と断片を好きになる。酷いときは全体の内容をいまいち理解してない。なぜこのタイトルなのか、とかなぜこのエピソードが挟まれているのかを考えない。一種の白痴ような読み方だ。少なくとも文学部生たる読み方ではない。

2017.6.28

人生で2回目の、タトゥーを入れたくなるような経験をした。ジムの帰りのバスの中。白い顔に多くのしわが目立つくらいの老婦人で、顔が優しそうだったからギャップがすごかった。左の肩から二の腕にかけて黒のインクのみで掘られた虎。山月記の主人公が虎になったらこんな感じだろうなって思った。東洋風の虎を体に買うドイツ人老女。私も体に何か動物を飼ってみたい。

2017.7.9

泣きそうなくらい寂しい夜を2匹の蛾と耐える。泣きたいのに泣けない。涙が出てこない。蛾は気持ち悪い外見をしているけど、こちらが刺激を与えらなければ、ただずっと壁に張り付いて存在しているだけだから、同居人としては悪くない。それにこの部屋にいるのが私だけじゃないと思うといくらか寂しさもまぎれる。


 今朝、私は死にかけた。本当に死んでしまうかもしれないと感じた。体は寒さで震えるし、飲んだものは全て綺麗に胃から出ていくし胃は痙攣しているし頭痛がひどい。命の危険を冒してまで一体何を酒に求めていたんだろう。昼頃大分収まってきたとき、自分が生きていることに深く感謝した。


 二日酔いのいい点は、もしあるとしたら、命の感謝ができることになることと、その日に食べたものが信じられないほどおいしく感じられることだと思う。お昼に私は大量の虫の死骸の乗った机の上でトマトを三つ食べた。みずみずしくて、少しすっぱくて、害のない味がした。昨日トマトを買った自分に感謝。

2017.7.11

妖精はこちらが羽をつかんで逃がすまいとすると、無理やりにでもその手を振り払って逃げてしまう。だから、雀のようにベランダに餌を置いて、こちらの気配を消して、やがてまた近づいてくるのを待つしかない。少なくとも毎日現れて、私と会話をしてくれる。何を考えているのか分からない顔をして。猫よりは律儀だ。今はそこに感謝するしかない。


 私はドイツにドイツ文学を学びに来たのに、実際のところその生活は、切羽詰まり、いまにも崩れてしまいそうなぼろぼろの精神を和らげるための施設での生活のようだ。
 寮の窓から見えるのは、日替わりの絵画のような空と生い茂った森林。そこはアリゾナの松と岩のみで成り立った空間とは違う。窓の外を見るたびに自分は本当に精神療養施設にきているのではないかと錯覚する。そこで私は毎日本を読み、大量の薄いコーヒーを飲んで過ごす。例外はない。交友関係がないに等しいため、特別な用事もない。

2017.7.12

私を救うのは本だ。動くことのない者。私は三日間三匹の蛾と夜を共に過ごした。毎日一匹ずつ私のもとを去っていった。彼らは言葉を発さず、私が何か語りかけても沈黙を貫いていた。

2017.7.27

精神状態が著しく悪かったため、日記もしばらくかけなかった。今私が唯一言えることは、朝も夜も泣いて、泣き疲れた後に訪れるささやかな心の平安と寝ているときの意識がない状態以外に救いがなかったということのみだ。

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