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サスティナブルな思考との出会いと再開

※自分の整理の為、仕入れた知識を学びに変える為、そして、見てくれた方に少しでも「環境」や「動物」や「地球」に関しての興味が広がる事をほんの少しだけ願っています。専門家ではないので正解を書けるわけではないです。(あくまで自分用)


思えば18歳くらいの頃、
何の気なしに図書館で借りた本を読んでいたところからこの話は始まっていた。

『沈黙の春』 -レイチェルカーソン

その本は、ただ、図書館でたまたま出会って手に取っただけなのだけど、その内容は私の心の奥底に染み渡ったんだと思う。

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当時の私は、今生業としているデザインとか、クリエイティブとか、そういうところからは程遠く、毎日をただなんとなく生きていた。

自分を表現するのが大の苦手で、
コンプレックスを克服したくてデザインの道へ進むと決めた20代前半。
その頃全く別業種の仕事をしていた私は、もはやスタートが遅すぎたと焦りを感じ、とにかくやれることをひたすらに詰め込んだ。文字通り、休む間もなくがむしゃらに生きていたら、あっという間に30代になった。

(この間に例に漏れず、紆余曲折、たくさんのことを感じ、悩み学びながら進んできたけれど、この話ではそれは一旦置いておく。)


今、30代を過ごす中で、何かに気づかないようにしている自分を発見することがしばしばあった。

20代で必死ずぎて、ずっと心の奥にしまっていたこと。それに目を向けると、なんか全てが止まってしまう気がしていたのだ、きっと。

このコロナ禍によって、仕事もかなり緩やかになって、こんなにあくせくしなくていい時間があるのは、子供時代を除いてはたぶん人生初のことだと思う。

その時間がきっと、あの本が私に伝えたことを思い出させてくれるきっかけの一つになった。


本の内容を簡単に言うと、
人間が作り出した化学物質や農薬などが人体や動物、土壌、水、地球全体に及ぼす害の怖さを教えてくれた。

一度薬を使うと、汚染された土壌は何年何十年とその負債を抱えることになる。そして、それは土壌だけにとどまらず、地球の循環のサイクルの中にひっそりと漂うことになる。

土壌にしみこんだ雨から川へ、海へ。プランクトン、海で泳ぐ魚、それを食べる鳥、そして私たち人間。

循環というのを意識したのもこの本からだったのかもしれない。


当時の日本はまだ無農薬農場とか、有機栽培とか、まだ今程あまり取り糺されていなかった頃だった気がする。

この数年後に、木村秋則さんの実話『奇跡のリンゴ』-石川拓治 著 が話題になり、そこから徐々に、世間一般にも無農薬農園の存在が広がり始めたように思う。

(『沈黙の春』は1962年出版…! )


農薬の怖さももちろんだけれど、この本からの一番の教えは「自分の生活が地球と繋がっている」ということだった。


何気ない自分の生活が地球に害を及ぼすことを知った私は、本当に小さな事からだけど、ビニールゴミをなるべく出さないようにするだとか、知識を吸収したり、絶滅危惧種の保全団体に寄付を毎月(本当に小額ずつですみません)、かれこれ10年ほど続けている。

ゴミが落ちていたらなるべく拾うけれど、それは人間のためというよりは、鳥や小さな動物が誤って食べてしまう危険を回避したいからである。(タバコのポイ捨てする人とかマナーない上に想像力なさすぎ。本当にキライ。)

それから風船飛ばしのイベントには参加しない。これも鳥はもちろん、亀や魚の誤飲、海の汚染に繋がると知ったから。

「ただ、知るだけ」で、自分の行動が変わる。

これは10年という長い月日をかけて、本当に小さな変化でしかないけれど、学んだことだった。

でも、その小さな変化で満足した気になっていた自分が今はとっても恥ずかしい。まだまだ知らない事が多く、知っていても実践できていない事もたくさんある。

これから、もっと具体的に行動していきたいと思う。

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