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「いつか、私の人生も書いてくださいよ」追い求めた一本足打法、49歳の大豊は衰えた体で見えないバットを振った|野球人・大豊泰昭伝【王になりたかった男】

天性の長打力を武器に中日、阪神でプロ通算277本塁打。
「王二世」と呼ばれ、一本足打法に懸けた男の生涯を追うーー
【取材・文=長谷川晶一】

※実話ナックルズ2024年4月号より連載第1回を無料公開いたします。

「こうやって振るんだよ」

 日付までハッキリと覚えている。
 2013(平成25)年9月10日。場所は岐阜県海津市、商売繁盛の神様であり、「おちょぼさん」の愛称で親しまれている千代保稲荷神社。その参道で営業していた中華料理店「大豊ちゃん」だ。

 ドアが開放された蒸し暑い店内で、僕はなぜか一本足打法の指導を受けていた。架空のバットを構えたまま、左足一本で立ってバランスを取っていると、「ダメだよ、グラグラしている」と、少しイライラした口調で、大豊泰昭が言った。
 王貞治に憧れて台湾から来日し、現役時代は中日ドラゴンズ、そして阪神タイガースに在籍した。王と同じ一本足打法で通算277本塁打を記録し、1994年にはホームラン王も獲得している。
「いや、そうじゃないんだよな……」
 大豊の口調はさらにきつくなった。しかし、それはそうだろう。日頃からずっと机に向かっている不健康な中年ライターに「片足でしっかり立て」と命じること自体が、そもそも無理な注文なのだ。
 そんな不格好な姿を見かねた大豊は、「いいか、こうするんだよ」と自ら手本を示してくれた。前方を見据え、軸足となる左足の位置を確認し、ゆっくりと右足を上げた。その瞬間、大豊はぐらりと大きく揺れ、体勢を崩してしまった。
「あれ、おかしいな……」
 そんな独り言の後、改めてゆっくりと一本足打法を披露する。その姿を見ながら、僕は軽いショックを覚えていた。目の前の光景が、現役時代に見ていた雄姿と大きく異なっていたからだ。
 すべての髪は抜け落ち、屈強だった両脚の筋肉は削ぎ落されて瘦せ細っている。その表情は、げっそりと頬がこけ、大きな目がギラリと鈍い光を放っていた。
 09年3月、大豊は急性骨髄性白血病で入院し、同年8月に退院したものの、翌10年3月に再発。実妹からの骨髄移植を受けていた。「その後、病状は落ち着いている」と本人は語っていたものの、やはり大病を経験した痕跡が、そこかしこに見て取れた。
 一本足打法で何回かスイングをした後、「いいね、こうやって振るんだよ」と、大豊は満足そうに白い歯を見せた。

経営する中華料理店「大豊ちゃん」で一本足打法を披露する大豊(筆者撮影)

 彼と会ったのは、この日が初めてだった。当初は1時間ほどのインタビュー予定だったが、大豊の話は止まらなかった。本題が済むと自然に雑談が始まる。
 時折訪れる客の対応をして、一段落すると、再び僕の席にやってきて会話が続けられた。そこでは、病気のこと、再び与えられた命のこと、今の野球界のこと、今後の夢など、多岐にわたった。3時間ほど経過したのにまだ終わる気配がない。阪神時代の監督である野村克也への忸怩たる思いを語る際にはその口調が強くなったり、思わず机を叩いたりしていた。
 こちらも、その後の予定があるわけではなく、ひとまずその日のうちに帰京できればよかったので、とりとめなく会話に興じていた。
 気がつけば、台湾で過ごした幼少期の思い出話になっていた。小学生の頃、初めて「王貞治」という存在を知り、中学生の頃に初めて王が特集された雑誌を買った。以来、「日本に行って王さんに会いたい」という夢を抱き続けた。
 その顛末は、彼が出版した自著『大豊 王貞治に憧れて日本にやってきた裸足の少年』(ソフトバンクパブリッシング)に詳しく記述されている。もちろん、すでに読了していたが、本人の口から講談調で語られる思い出話は、波乱万丈のスペクタクルとしてとても面白かった。

直筆の「打撃理論」を託して

 残暑が厳しい時期ではあったが、そろそろ夕闇が空を支配しつつあった。
「では、そろそろ……」
 そう切り出すと、大豊は「ちょっと待ってて」と言って奥に消えた。しばらくして戻ってくると、その手には01年に台湾で出版された写真集『daruma 七転び八起きの野球人生 陳大豊』があった。中身を見ると、同年に台湾代表として出場したワールドカップでの雄姿から始まり、「中日ドラゴンズ編」「阪神タイガース編」「日常生活編」で構成されている。副題がそうであったように、本文もまたすべて日本語で書かれていた。
「これを持っていってください」
 奥付には「新台幣800元」と書かれている。日本円に換算するといくらになるのかはわからなかったけれど、売り物である以上、「おいくらですか?」と尋ねると、大豊は強い口調で言った。
「いや。今日の思い出に差し上げたいんです。ぜひもらってくださいよ」
 すると大豊は表紙をめくり、スラスラとサインを書き始めた。添え書きには、次のように書かれていた。
 
長谷川晶一さん江
出逢いに感謝

 それは、ほれぼれとするような達筆だった。続けて大豊は「あ、そうだ」と言い、再び奥に消えた。やがて、半紙の束を持って現れる。
「よかったら、これももらってください」
 手に取ると、やはり達者な筆文字で「大豊泰昭の打撃理論」と書かれている。どうやら、野球をしている小学生、中学生に向けて書かれた指南書のようだ。
「これは何ですか?」
 そう尋ねると、僕の質問を無視するように、大豊は静かに言った。
「そろそろ、自分の考えをきちんと残しておかないといけないと思ってね……」
 その瞬間、先ほど目の当たりにした彼の一本足打法が脳裏をよぎった。痩せ細った左足、そしてギラリと光る鋭い視線。それは鬼気迫る姿だった。

写真集のサインには「野球人・大豊泰昭」
大豊直筆の打撃理論書。構えから精神論まで少年少女向けに書かれている

 当時、大豊は49歳。大病を経験したことで、自らの来し方行く末にいろいろ思いを馳せていたであろうことは想像に難くない。この日、数時間話しただけの一ライターに、彼は自らしたためた野球理論を託そうとしている。そこにはどんな思いがあるのだろう?
「よかったら、もらってくださいよ」
 最初は「こんな貴重なもの……」と辞退しようと思っていたけれど、念押しのように繰り返されたら、もはや何も迷う必要はなかった。僕は「ありがとうございます」と丁重に礼を述べて、サイン入りの写真集と、打撃理論が書かれた半紙の束を受け取った。
 東京に向かう新幹線の車内で改めてそれを取り出す。やはり、それは小学生、中学生に向けた「技術指導書」であり、同時に「檄文」でもあった。A4、5枚に及ぶ「打撃理論」は次の言葉で結ばれる。
 
今を頑張れ!! 今しかない少年時代に翔け!! 今こそ基本が萬歩の第一歩だぞ!! 私は皆の成長を期待しています。

 大豊は、この文章をどんな思いで書いたのだろう? 少年少女たちにどんなことを伝えたかったのだろう? そして、どうしてこれを僕に託してくれたのだろう? そんなことを考えていたら、あっという間に東京に着いた。

51歳、闘病の末に

 それから1年4カ月が経過した2015年1月、突然の訃報が届いた。僕が話を聞いた翌年、再び体力が低下し、店に立つこともできなくなったという。そして、15年1月18日、急性骨髄性白血病で大豊は静かに逝った。享年51という若さだった。僕はすぐに、大豊からもらった写真集を取り出す。改めて、あの日の記憶がよみがえる。このときの会話の中で、彼はこんな言葉を口にした。
「いつか、私の人生も書いてくださいよ」
 それに対して、僕は明瞭な返事をしなかった。記憶はないけれど、間違いなく曖昧な笑顔を浮かべて、「えぇ、まぁ……」とやり過ごしたはずだ。
 大豊は本気で言ったのか、単なる社交辞令だったのかはわからない。けれども、あの日の自分の曖昧な態度を思い出して、猛烈に後悔が襲ってきた。

 それからしばらくの時間が経った。
 ようやく抱えていた仕事が落ち着いた頃合いを見計らって、大豊とゆかりのある人たちに連絡を取ってみた。彼の死から、すでに3年が経過していた。
 たまたまSNSで知り合った人物が、大豊の大学時代の野球部の同級生だったということを糸口として、名古屋まで足を延ばして話を聞き、彼の紹介で立て続けに数名に会うことができた。出版するあてはなかったけれど、名古屋や岐阜まで、合計三度ほど足を運んだ。
 しかし、発表の予定もなく経費を負担し続ける取材は長くは続かない。気がつけば、正式に出版の決まっている別の書籍に忙殺される日々が始まっていた。
 この間、大豊のことはずっと頭の片隅に残っていた。あの半紙を託されたあの日から、すでに10年以上が過ぎていた。「大豊のことなら」と、話を聞かせてくれた方々への不義理も心苦しかった。かなり時間がかかってしまったけれど、僕は再び動き始めることを決めた——。
(第2回に続く)

連載第2回は現在発売中、実話ナックルズ2024年6月号に掲載!

大豊泰昭(たいほう・やすあき)
1963年11月15日年生まれ、台湾南投県出身。本名・陳大豊(チェン・ダーフォン)。20歳で来日し名古屋商科大学を卒業後、中日の球団職員を経て日本人選手扱いとなり、88年ドラフト2位で中日ドラゴンズ入団。2002年引退まで中日・阪神で活躍、プロ通算成績は打率.266、1089安打、277本塁打、722打点。94年には二冠王に輝く(本塁打王・打点王)。15年急性骨髄性白血病のため死去。享年51。

長谷川晶一(はせがわ・しょういち)
1970年5 月13日生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務を経て、2003年にノンフィクションライターに。『最弱球団 高橋ユニオンズ青春記』(白夜書房)、『プロ野球12球団ファンクラブ全部に10年間入会してみた!』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間 完全版』(双葉文庫)ほか著書多数。

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