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【昭和パンパン物語】男を尻目に上野を束ねた女ボス「ノガミのお房」◎#01

戦後、台湾から引き上げてきた戦争未亡人の山野房子。行く宛もなく、彷徨い歩いて最後に行き着いた上野で貧しさのあまりGI相手にカラダを売っていた女は、その美貌と知性でノシ上がり、いつしか“ノガミのお房”と呼ばれるようになった

2千円で美人教師がパンパンに転落!


戦争未亡人の転落

「いいかいお前たち、ノガミ(上野)やエンコ(浅草)はあたいらのものよ。一歩たりともよそ者が踏み込んできたら叩きだしちまいな」
 山野房子は縄張り争いに備えて配下の女たちにこうハッパをかけた。彼女は通称ノガミのお房といわれ、上野駅周辺や浅草をねじろのパンパン60人ほどを仕切っている女ボスだった。
 山野房子というのもじつは仮名で本名はわからない。売春稼業から足を洗い、横浜のほうで美容院経営を始めたのち、『アメ横35年の激史』(昭和57年・東京稿房出版)のなかで、住所氏名秘匿を条件に語ったところによると、パンパンになった経緯はあらましこうだ。
 彼女は台湾の台北女学校の体育教師だったというから教養もあった。夫は海軍中尉だったが戦死したという。子供はいなかったが彼女もいわゆる戦争未亡人。敗戦翌年の6月に台湾から引き揚げてきて両親が住む横浜に帰ってきた。ところが戦災で両親は行方不明。蒲田に住む女学校時代の友人を訪ねたがこれまた行方知れず。頼るものも行くあてもなく所持金も少ない。闇市をさまよっているとき中年の男に声を掛けられた。心細さ、ひもじさもあって誘われるままに旅館に入り2千円で体をまかせたのが転落のもとだったという。
 彼女は後にも先にもこの時の2千円ほどありがたいカネはなく、男から受け取ったときに自然と涙が流れてきたと述懐している。同時にここで腹をくくったともいう、パンパンで一儲けしてやる、と。
(#02に続く)


取材・文/岡村青
イラスト/星恵美子