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「お先に失礼」する勇気

今の職場は理解がある。
休職明けの私に無理させることなく、
臨機応変に在宅勤務も認め、
何より定時で帰らせてくれている。

しかし、私は定時で帰る時に凄く気を使う。
定時30分ほど前から、
どのように業務にキリをつけるか考えて、
何か他にできることがないか細かく確認する。
周囲に「何かほかにありますか」と声をかけ、
「今日は大丈夫」の言葉を待ってから、
帰り支度を始める。
そして、終業時「お先に失礼します」と言う時、
計り知れない神経を使う。

これが私の退勤ルーティン。
正直、通勤と同じくらい疲れる瞬間かもしれない

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罪悪感の正体は、
・周りが全員残業していること
・ただでさえ休職明けで浮いていること
・部署への貢献がまだまだ足りないこと
・給与がみなし残業代込みなこと

など色々なものが絡み合っている。

個人的には、
「周りが残っているから」というだけの残業は、
これ以上ない無駄な時間
だと思っている。
だから私は勇気を出して「お先に失礼」する。
でも、この勇気本当に必要なのだろうか?

定時なので帰る、これは当たり前のことだと思う。
いやもちろん、繁忙期とか事情がある場合はやむ無し。
多少の残業は理解はできる。
しかし、平時において定時で帰ることに、
罪悪感を抱かなくてもいいのに
、と素直に思う。

これは、私が勝手に罪悪感を抱いているだけなのだが、
その根本には”焦り”とか”気まずさ”を感じやすい性格があると思う。
我ながら生きづらい性格だとは思うが、
色々調べてみると”HSP”という性質なのかもしれない。
話がそれるのでこの話はまた。

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とにかく、私はいつも勇気を出して「お先に失礼」している。
確かに職場も、気まずさを醸し出してはいる。
そして私も、いささか精神が繊細過ぎる。
だから、この職場にいる以上、私が気兼ねなくお先に失礼できる日は来ないと思う。

でも、人生は有限で、1日は24時間なのだから、
好きで好きで仕方ない場合は除いて、
仕事には拘束されるべきではないと考える。
よく会社員は「時間をお金に換えている」と言われるが、
時間より貴重なものはないのだ。
こんなことを言うと某管理職の人に怒られるかもしれないけれど...

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まあ、私は繊細ではあるが図太いところもあるので、
そこのところを十分に発揮して頑張って帰っている。
明日も明後日も定時で帰るのだ。
理由がない限りそれが当たり前だという心持ちで。
あぁ、気兼ねなく定時で帰れる世の中になればいいのにな。

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