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「塾もう頑張れない」という一言に対して僕が感じたこと
こんにちは、自称迷探偵です。
先日、中3女子が親子を切りつけるという痛ましい事件が起きました。幸い命に別状はなく、犯人の少女も捕まりました。
こちらのニュースを聞いたとき、中3という年齢から(高校受験関連かな?)と思いました。そしてそれは的中してしまいます。
「塾もう頑張れない」中3少女は新宿駅で降りた…以前から「人を殺したい願望」
もちろん、どんな不幸な環境にいたとしても、無関係な人を傷つけていい理由にはなりません。犯人の少女のことを擁護するつもりもありません。
しかし
(一歩間違っていたら、自分も「向こう側」の人間だったかもしれない…)
(この少女だけが悪いと批判することはどうしても出来ない)
という感情も湧いてしまうんですよね。
というのも、高校受験に限らず、進路を決めるときって周囲からの圧が半場じゃないわけです。僕自身、高校受験のときは塾内1位を取っていましたものの、気づいたら1位を取っていただけで、進学校に行くことに興味はありませんでした。にもかかわらず周囲からは進学校に行こう、そのためにはもっと高みを目指して勉強しようという圧を感じました。
結果的にそこそこの進学校に入りましたが、それでも圧はありました。むしろ競争が激しくなったことでよりその圧が強くなったと感じました。それによって僕は不登校寸前にまで追いやられてしまいました。その影響でストレスを溜め、人間関係に悪影響を及ぼしてしまったこともありました。こういう経験をしているからこそ、自暴自棄になるのも分からんでもないなあって感じます。
加えて、傍から見れば大したことがなくても、当人からしたら大事、ということもあります。受験の結果なんかよりも大事なことはいくらでもあるのですが、当人からしたらそれが全てだと感じてもおかしくないのです。僕も大学受験で第一志望に落ちたときは虚ろな気分になっていましたし。以前起きた共通テストの事件でも同様のことがいえるかもしれませんね…。
これはあくまで推測、というより憶測なのですが、犯人の少女も「○○高校に行け!」と言わんばかりに、親から重圧をかけられていたのではないでしょうか…?多分成績は平均以上はあったものの、重圧に耐えきれず今回の犯行に繋がった、とかではないでしょうか。「もう頑張れない」ということは、裏を返せば今まで本人なりに頑張って勉強していた、とも取れますし。首都圏、それも埼玉なら教育熱心な家庭(及び熱心さが空回りする家庭)は少なくないのではと思います。
嫌な事件でしたが、これを機にプレッシャーをかける家庭や、それによって追い詰められる子供が少しでも減ることを祈っています。
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