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湯浅譲二 95歳の肖像 室内楽作品を中心に 曲目解説

8月7日、豊洲シビックホールにて開催される「湯浅譲二 95歳の肖像 室内楽作品を中心に」の、湯浅譲二自身による曲目解説を集めました。一部楽曲には、楽曲音源へのリンクをつけております。

演奏会については、下記リンクをご覧ください。

ピアノ四重奏曲「ザ・トライアル」

Vn、Va、Vc+Pfという、伝統的、古典的な編成、つまり<古い革袋>にどう新しい酒<未聴感の音楽>をもるか、という難しい問題を一年以上の考えていたが、限られた時間の中でそれを遂行するのは困難と思え、それに兎も角も挑戦するという意味で、《トライアル》とした。同時にちょうど一年前に起った東日本大震災に遭われ、尊い生命を失われた方々の魂に、この曲を捧げようと思った。
新しく名称を得た《アンサンブル・コスモス》の方々の好演を期待して。
(初演時プログラムノートより)
https://www.youtube.com/watch?v=PzYXVS1gcgw

弦楽四重奏のためのプロジェクションII

最初の同名の曲から26年を経て、2曲目のクァルテットである。私は、技法の拡大を盛んに計っていた70年代にあっても、音楽の本質的な新しさは、それと同時に、《語り口》にあると表明して来たが、今回の第2番は、時間軸上で音響エネルギーがどう推移、変転するか、つまり、語り口を最重要視した曲を書いたつもりである。
語り口、ナラティヴィティと言っても、音楽のそれは文学のそれとは異なり、具体的な物語性ではなくて抽象的な音響の力学である。
つまり、ここで私に言えることは、要約すれば、テーマとその発展に基づく西欧の伝統的な思考のフレームの外にも、新しい音楽の形態が可能であることを考えたかったのである。
細胞から出発して構造を作らずに、形態の変容がナラティヴィティを生み出すと言うことである。その上で、最初のプロジェクションと共通するものは、ここでも4つの同族楽器、ストリングスが、それぞれ対抗しながら進行すると言うよりも、むしろホモジェニックな同質性を保つことを目指しており、そこのことは、音色や運動の点でも計られている。
(湯浅譲二「人生の半ば」(慶應義塾大学出版会)所収の自作解説より)

ホルン・ローカス

ローカスとは軌跡のことである。ホルンが描く様々な軌跡が音楽を造形していくという意味である。
作曲技法的には、私がつくった12の音のモードから導き出された様様なパターンに基づいているが、私の好きなD.ホックニィのフォト・コラージュがディテイリングdetailing(絵画や造形物の細部仕上)と言われている意味で、音像を繰り返す毎に、時間の上で変化するディテイリングとして作曲されている。ホルン独特の多種の奏法が使われているのは言うまでもない。
この曲は、かつて私が現音に提案した<世界に開く窓>コンサートの今回のプロデューサー、福井とも子さんの強い要請で作られた。山内亜希さんの卓越した演奏による、音の造形を、私も鑑賞したいと思っている。
(初演時プログラムノートより)

芭蕉の句による四つの心象風景

この曲では、春夏秋冬の順に芭蕉の句を置いている。

ほろほろと 山吹散るか 滝の音(春)
夏草や 兵どもが 夢のあと(夏)
菊の香や 奈良には 古き仏たち(秋)
櫓声 波を打って 腸氷る夜や涙(冬)

この曲は、標題音楽である。私は音楽は作曲家の持っている世界、つまりコスモロジーが反映するもの、と信じているので、いわば抽象的な絶対音楽と、標題音楽との間に優劣の差があろう筈はないと思っている。
第一、第三曲は俳句から読み取れる世界そのものと言っても良いが、第二曲「夏草や」では、衣川の戦に散った義経とその忠臣、弁慶達をしのんで涙した芭蕉、又、杜甫の、国破れて山河あり、と思う芭蕉の有為変転するものと不易に対する思いを忖度しながら作曲した。
そして、第四曲「櫓声 波を打って」では、厳しく冷たい音楽を書きたいと思った。
それは芭蕉が帰依していた禅に於ける、絶対孤独の精神の表われと思ったからでもある。
堀米ゆず子さん、児玉桃さんという世界的な名手に演奏していただく事、又この曲を委嘱して下さった、芸術監督、野平一郎さんに感謝を捧げたい。
(初演時プログラムノートより)

弦楽四重奏のためのプロジェクション

一九七〇年夏ハワイで開かれた「今世紀音楽祭」の委嘱作品、ジュリアード・アンサンブルによって初演された。翌七一年には、ISCM世界音楽祭(ロンドン)での私の第一号の入選作となった。
この曲では、四つの同族楽器の各々の役割を明確にしながら対比的に扱う西欧的な慣習を踏襲せずに、むしろその同質性の上で音楽が考えられている。
つまり、音楽がモチーフとその変奏によって成立する、というドイツ的な考えをとらず、音程、音量、音色、そして音のゼスチュアによる<音量エネルギーの時間軸での推移>として成立するという視座から作曲されている。
同時に、弦楽四重奏という、完成されつくした音楽の<器>に、どう新しい酒を盛るか、という一種の決意が、この編成の選択にはあった、と言わなければならない。
ここでは、ペンデレツキ、ベリオなどが開発した新奏法のほかに、弦を弓で縦に擦りながらのグリッサンド、弓を強く弦に押し付けながら、微分音程で動く雑音的なパルス音、音程の幅を変化させながらのトレモロ・グリッサンド等、それまでの弦楽器奏法に見られなかった奏法が開発されている。こうした奏法と音楽的思想は、後に「クロノプラスティック」や「オーケストラの時の時」など、オーケストラ曲の中で大規模に発展している。
(湯浅譲二「人生の半ば」(慶應義塾大学出版会)所収の自作解説より。1992年の再演時に行われた、増幅について言及した最終段落は省略した)
https://www.youtube.com/watch?v=_Gis6fVW1AQ

おやすみなさい

長田弘さんから素敵な詩をいただきましたが、全20行のすべてが、"おやすみなさい"で始まっているので、音楽的に一貫して作曲するために、大変難しい思いをしました。前半は、津波で失われた、人、動物、物、景色などに対する思いが深く込められており、悲しみと優しさを中心に作りましたが、後半は、これから生きていく、子供たちや動物、自然や宇宙にまで込められた、希望を表現できればと思い作曲しました。
この曲は単なる歌曲というより、歌とピアノが一体となって表現する曲になっています。
初演はMusic from Japan主催の「2013年音楽祭・福島」で行われました。また、後に、アカペラの混声合唱曲に編曲し、すでに、東京、福島で演奏されています。
(CD平山美智子「曼珠沙華」(カメラータ・トウキョウ)のブックレット解説より)

内触覚的宇宙II トランスフィギュレーション

高橋アキさんの委嘱で作曲、彼女のリサイタルで初演された、私の第7番目のピアノソロ曲である。
曲は、12音で構成される2オクターブにわたるモードによって書かれているが、各々性格の異なる6つの部分が、第1曲と同じように絵巻物的に継起していく。
全体を通して、ピアノという楽器の特性、特にその巨大なリゾネーター(共鳴体)を通して生じてくるソノリティを最大限に生かすという意味で、ピアノによってこそ実現可能な音楽を書いたつもりである。
不協和なコードを、美しく響かせるためには、コードの内部構成に見合う、特有の音域を選ぶ必要がある。オクターブはおろか、4 ,5度のトランスポジション(移調)さえ許さない特定音域特有のソノリティを追求したつもりである。そのためには、さらに、同一コードの内部で、音域の差によって音量の指示を変えるということにも、細心の注意が払われている。
言いかえれば、この曲は、置かれた音符そのもの、というよりは、むしろペダルによってブレンドされたリヴァブレーション(残響)の変幻、変遷を時間軸にしたがって聴き込んでいく曲と言えるだろう。ピアノでこそはじめて可能な世界に魅かれた所以である。
音響的イメージは時空のエネルギイとして、きわめてアブストラクトだが、その根底にコスミックな交感があるという意味で、最初の内触覚的宇宙(第一番)と共有する世界があるだろう。
(湯浅譲二「人生の半ば」(慶應義塾大学出版会)所収の自作解説より)
https://www.youtube.com/watch?v=2dOA9TVTB70

領域Territory

この曲は、マリンバを中心にして、2人の木管奏者、打楽器、コントラバスと、性格の異なった楽器のそれぞれカヴァーしている「領域」が、必ずしも排他的にではなく、音空間と時間を形成しながら進んでいく。つまり、特殊奏法を含めたそれぞれの拡張された能力が、独立性を主張したり、融合し合ったり、影を受け持ったりしながら、音空間を変形していくのである。したがって各楽器の性格的な音色が作曲上重要なファクターとなったのは言うまでもない。スコアは、一部分定性的なグラフィックスコアによっているところもあるが、全体的に見れば、殆んど定量的に細部まで書き込まれている。
(LP 東京五重奏団「東京五重奏団の世界」(コロムビア)ブックレットの自作解説より)
https://www.youtube.com/watch?v=EEu0bLp-uKI



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