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松平頼則≪主題と変奏≫について幾つか

 3月21日のNHK Eテレ「クラシック音楽館」では、ファビオ・ルイージ指揮による、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」に加えて、松平頼則(ちなみに「よりつね」と読む)の《盤渉調「越天楽」による主題と変奏》が放送されるそうだ(ピアノ:深見まどか、角田鋼亮指揮 東京フィルハーモニー交響楽団)。歿後20年だし、大河ドラマ「青天を衝け」初回では、曽祖父に当たる松平頼縄(常陸府中藩:茨城県石岡市藩主、ちなみに「よりつぐ」と読む)も登場したことだし。ただ、公式サイトの「レアな曲」というのは些かご挨拶で、かのヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮した日本人作曲家の作品が、小澤征爾、高関健、、と諸々の日本人指揮者との交流があったにも関わらず、これ以外にないことを考えれば、「レアな曲」に留まっているのは、音楽ジャーナリズムをはじめとした、情報発信サイドの怠慢という他あるまい。

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松平家(父方)家系図 水戸徳川家との縁戚

 ただ、それでも、《主題と変奏》か、、とは思う。この作品は、一般に松平頼則の代表作とされているものの(CD録音も二種類:Naxosと東芝EMIがある。ただし、東芝盤は現在廃盤状態)、その作品系列において、かなり特異な一品である。若き日は雅楽と西欧の新古典主義音楽を、後半生は雅楽と西欧の前衛音楽を結び付け、一貫して雅楽を創作の中心に置いていた松平頼則だが(初期にのみ、南部民謡などに題材をとった作品が幾つかある)、《主題と変奏》が作曲された1951年、ある意味で臨界状態にあった。その臨界ゆえに、この「主題と変奏」に、一種の歪さが齎されていることを指摘しておかなくてはならない。

 松平頼則の作品は数多く、CD化されているものはほんの一握りである。しかも、その演奏が極めて難しいために、初演すらされていない作品が、特に1960年代以降、数多くある。特に委嘱がなくとも、自らの表現欲に基づき、大小の作品を書き上げてしまう。松平頼則とはそういう作曲家だったのだ。また、作品の増補改訂も頻繁で、《桂》(1959)では、1982年にMusic Todayで個展が開催された際に、出版譜には存在しない序奏が各曲に書き足されているし(この時、歌唱を担当したのが平山美智子で、放送録音が某動画サイトで聴けた)、《蘇莫者》(1961)もまた同様で、フルート奏者の小泉浩が個人的に受け取ったという序奏が、一部のフルート奏者の間で共有されている。

 1940年代後半の室内楽作品は、新作曲派協会(武満徹が《二つのレント》を発表し「音楽以前」との酷評を受けたことでも知られる作曲同人)の作品展などで発表されたが、その多くはCDにはなっていない。この時期の作品で、CDで聴ける作品となると、奈良ゆみと野平一郎による《古今集》(1939-45)、野平一郎、あるいは花岡千春による《六つの田園舞曲》(1939-45)、高橋アキによる《ピアノ・ソナチネ》(1948)、野平一郎による《ピアノ・ソナタ》(1949)くらいであるから(ただし、高橋アキ盤は、コンサート・シリーズ「日本の作曲 21世紀へのあゆみ」の実況録音の第三巻で、一般的には流通していない。東京コンサーツに問い合わせると入手できるかも)、《主題と変奏》直前の松平頼則の作品傾向は、ほとんど知られていないことになる。

 1940年代後半から、松平頼則の和声法は相当に変化する。第一に、偏愛する増4度音程の多用。増4度音程(三全音)は、中世では「悪魔の音程」とも呼ばれた不協和音程である(ドとファ#が作る音程)。ダイアトニック環境(ドレミファソラシの7音のみを使って得られる音組織)の中では、ファとシの間にしか存在せず、機能和声では属七の和音(ソシレファ)から主和音(ドミソ)への解決感を演出し、ポップミュージックの言葉でいうと、いわゆるツーファイブワン(II7→V7→I)のコード進行の推進力を担保する。要するに、この強烈な不協和が解決へ向かう、という点を、旧来の和声は推進力の源泉としたわけだ。

 しかしながら、増4度は、近現代音楽以降パントーナル(汎調性)を拓く音程として多用されてくる。ストラヴィンスキーが《ペトルーシュカ》であからさまな形で使い、メシアンの「移調の限られた旋法(MTL)」にも頻出する。MTLは、1オクターブの内部に並進対称構造をつくることで、「移調の限られた」状態をシステマティクに生み出す手法で、メシアンはそれによって調性感を曖昧化していった(この曖昧化の具体的なプロセスを、もう少しだけ詳しく、「音楽現代」誌2018年2月号のドビュッシー特集で解説したので、そちらをご参照頂きたい)。この並進対称構造ゆえに、メシアンの旋法の中には、オクターブを2等分する増4度音程が重要音程として浮かび上がる。松平頼則の増4度音程への偏愛は、のちに《フィギュール・ソノール》(1956)という特異と評す他ない作品へと結実するのだが、これの詳細について語り始めるときりがないので改めて。

 第二は、平行進行の多用である。上に指摘した、増4度を含む複雑な和音が、その全体構成はそのままに、半音、全音と下降進行する局面が目立ってくる。結果として、このような和声進行は、美しくとも進行感が希薄となり、瞬間ごとに結晶化していくが如きものとなる。これは、松平が元来持っていた、スタティック(静的)な音楽志向の萌芽に他ならない。後に松平自身が語ったように、「なにか創造されようとする前の期待にみちた素材の未整理なままの秩序」「調子のひょうひょうとした捉えどころの無い音の群」こそが、松平頼則の真に欲する音風景だったのだ。

 一方、和声進行以外の部分に目を向けると、たとえば、ピアノの書法ではヨーロッパの新古典主義音楽の影響が強く、特に急速な楽章はラヴェルやストラヴィンスキー、あるいはタンスマンといった作曲家たちからの影響を独自に消化し、相当にメカニカルでヴィルトゥオーソ的である。ただし、ラヴェル作品のように、非和声音を多用しつつも究極的には機能和声原則に基づいているわけではなく、メカニックを前に進めていく和声の進行感が決定的に欠けている。結果、松平が書くアレグロは、《ピアノ・ソナタ》の終楽章のように、オンボロ複葉機が右往左往しているような異様なものとなる。

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1933年のアレクサンデル・タンスマン来日時に撮られた集合写真、前列左端が松平頼則、ちなみに後列右から2人目は古関裕而である

 1951年になると、松平の志向と書法との間の断絶はいよいよ大きく、破綻寸前の臨界にあったと言って良い。大げさにいうなら、それはフェルドマンがリストの書法でピアノ曲を書くようなものであったのだ。そこで、作曲されたのが《主題と変奏》で、松平頼則は、この臨界を乗り越えるべく二つの新機軸を導入しようと試みる。

  まずは、ポップミュージックである。フランスに範を求め、「フランスのものは何でも良いものだと考えていた」(松平頼曉)松平にとって、ドビュッシーやラヴェルのようにジャズに接近することは有りえない選択ではなかった。折しも日本は、1947年に笠置シヅ子が発表した≪東京ブギウギ≫に端を発するブギ・ブームに沸いていた。笠置は、《大阪ブギウギ》、《買い物ブギー》といった楽曲を立て続けに発表し、黒澤明すらが『酔いどれ天使』の挿入歌として、《ジャングル・ブギー》の歌詞を書き下している。このブギ・ブームに加えて、ストリップ劇場――この頃のストリップは、現代のそれに比べると、性風俗よりショー・ビジネスの側に近いものだったが――で、ラヴェルの《ボレロ》が使われているのを目の当たりにし、松平は強い衝撃を受けた。1951年というと、ラヴェルの死没からまだ14年しか経っていない。よって当時のラヴェル作品には、2021年の今日、シュトックハウゼン(2007年歿)をみるような同時代性が残っていた。大衆が芸術音楽を取り込むのとは逆に、芸術が大衆音楽を取り込む必要があるのではないか?松平はそう考えたろう。その結果、《主題と変奏》第五変奏には、ブギウギのリズムやブルーノートといった、当時のポップミュージックの要素が導入されたのだった。

 もう一つは十二音技法である。日本における十二音技法のオフィシャルな歴史は、諸井三郎の弟子である東大出身の三羽烏:柴田南雄、戸田邦雄、入野義朗によって端緒が作られた。戸田はサイゴン抑留中に、ルネ・レイボヴィッツの著書「シェーンベルクとその楽派 Schoenberg et son école: l'étape contemporaine du langage musical」(原著出版:1949)を入手し、仲間内で輪読する。この技法に強く惹かれたのが入野義郎(のちに義朗と改名)で、この技法により《7つの楽器のための室内協奏曲》(1951)を作曲するのみならず、「音楽芸術」誌に「シェーンベルクの作曲技法」(1950/9,1951/1)、「十二音音楽とは何か」(1951/5,7)といった解説を相次いで執筆する。松平頼則は、これらを参照することで12音技法の何たるかを知り、《主題と変奏》の第三変奏にこれを援用している。

 この二つの新機軸のうち、松平がその臨界状態を脱する契機となったのは十二音技法だった。松平は、ポップミュージックの導入を、盟友ともいえる早坂文雄に諌められてもいるのだが、より本質的なところで、スタティックな音響志向をもつ松平と当時のポップミュージックは、やはり水と油であったろう。結果、ポップミュージックへの目配せのある松平頼則作品は、作品表を全てを見回してもほとんどこれのみに終わる。まずその点で《主題と変奏》は異色作といえるのだ。

 一方の十二音技法であるが、こちらは、和声に代る松平頼則の新たな楽曲の構成原理となっていく。《主題と変奏》における、十二音技法の使用方法をみると、松平が後半生を音列技法に託したことがよく理解できよう。松平が使用する十二音列は、雅楽の旋律線に沿った形で選ばれている点にまず大きな特色があるが、これを基礎とした構成のあり方もまた独特である。

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松平頼則「新訂 近代和声学」より

 まず、譜例の中にあるオーケストラのコード(和音)、これら全てが、セリーの音高に沿った平行進行で動いていることに注目すべきだろう。ピアノが担当する音型も、左手と右手が半拍ズラされた上、時々リズム的な変化が生じてはいるが、セリーの音高に沿った平行進行で動くコードをアルペッジョへと開いているに過ぎない。さらに、ピアノとオーケストラのパートを垂直的に眺めると、12の音が長くても二拍ほどの中に、一切の重複なく配置されている(下図参照)。つまり、第三変奏のこの部分においては、オクターブを構成する12の音全てが鳴る二拍が、ちょっとしたオーバーラップを含みつつ、延々と続いていく。言い換えるなら、全体としてのピッチクラスに全く変化がないまま、その配置の違いに起因する微妙な響きの差異だけで、楽曲が紡がれているということだ。

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たとえば、赤枠で囲んだ部分に、12音が全て含まれている

 かくも特異な十二音技法の適用法は、本家たるシェーンベルクにも入野義朗にも見られはしない。こうした音の構成が、上述の1940年代後半の諸作にみられる和声進行や、そこから垣間見える松平頼則のスタティックな音響志向の結果現れたことは言うまでもない。音列技法こそが、松平頼則を直面していた臨界から救った。以後の松平は、和声の軛から逃れ、音列こそを音組織の中心原理とすることで、そこにあくまでもスタティックな、「なにか創造されようとする前の期待にみちた素材の未整理なままの秩序」「調子のひょうひょうとした捉えどころの無い音の群」を紡ぎ、世界音楽史上、類例のない楽曲群を作曲していくのである。

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 松平頼則の《主題と変奏》を代表作とするには抵抗がある。これは異色作として遇されるべきではないか、と考えており、その理由を説明するために既に原稿用紙10枚分以上を書いてしまった。では、石塚は松平頼則の代表作を何と考えるのか、と訊かれれば、新古典期では(録音が聴ける範囲で)、《古今集》か《ピアノ・ソナチネ》を挙げるだろう。では、音列期(1951年以後)では?これがなかなか難しい。聴きやすさでいえば、独唱つきオケ作品《催馬楽によるメタモルフォーズ》(1953/58)だろう。出版譜もあるし、多くの声楽家のレパートリーとなるべき佳曲である。ただ、作品が収録されたCDが廃盤状態で、聴くことが容易ではないのが惜しい。《右舞》(1957)《左舞》(1958)に代表される1950年代後半の諸作も優れているが、1960年代の達成を考えると若干過渡的な印象がある(《左舞》での、極めて個性的な総音列技法の適用法については、かつて松平も会長を務めた日本現代音楽協会の機関誌:「New Composer」に論考を寄稿したので、こちらもご参照いただきたい)。まず到達点といえるのは《舞楽》(1962)だろうが、こちらはブルーノ・マデルナ指揮による録音がCD化されているものの、雅楽を知らない外国人の演奏ということで、一抹の物足りなさが残る。編成も大きくはないし、この辺りで再演/録音されて欲しい作品である。1971年には、二群の管弦楽が、雅楽における吹き渡しという技法で相関する《循環する楽章》という驚くべき作品が書かれており、代表作というと、この辺りを筆頭に挙げたいが、商業録音が存在しない。まあ、そんな感じである。

 なお、松平頼則は、1960年のドナウエッシンゲン音楽祭で開催されたオーケストラ・コンサートで3群のオーケストラのための《舞楽組曲》を初演している。このコンサートで、松平作品と共に初演されたのが、ペンデレツキの《アナクラシス》、メシアンの《クロノクロミー》である。戦後前衛音楽の名品として再演を重ねられた二作に比べ、松平の《舞楽組曲》は未だ日本初演すらされていない。しかしながら、この際に作られたニュース映像をみると、リハーサル風景が紹介されるのは松平作品のみ(動画の2分50秒あたりから)で、注目度の高さがうかがえる。なお、メシアンは、1962年の初来日時の経験をもとに《七つの俳諧》を作曲。八人の人物に対して献呈を行っているが、その中に作曲家は四人。四人中(他は、ブーレーズ、別宮貞雄、端山貢明)メシアンの弟子でなかった人物は、松平頼則のみであった。

追記:サムネイルの写真は、撮影者の竹島善一さんより、ご自由にお使い下さい、と2008年に提供頂いたものです。転載、再使用等はご遠慮ください。もし、どうしても、という方がいらっしゃいましたら、竹島さんをご紹介いたしますので、当方までご連絡ください。

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