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アルバイト中に現れる!?俳優・批評家の渡辺健一郎が考える「私でなくもない」ものとは

本記事は、株式会社金風舎が9月30日に発刊する『妄想講義 明るい未来の描き方と作り方』の著者紹介記事です。職業も価値観も様々な24人の著者が、自分・仕事・社会・未来を自由に妄想します。

渡辺健一郎(わたなべ・けんいちろう)

俳優、批評家。1987年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科表象・メディア論コース修了。小・中学生を対象にした演劇ワークショップにたずさわるなど、演劇や教育関係の活動を続けている。ロームシアター京都リサーチプログラム「子どもと舞台芸術」2019-2020年度リサーチャー。2021年「演劇教育の時代」で第65回群像新人評論賞受賞。

誰よりも「妄想」する男

渡辺健一郎さんは、2021年に「演劇教育の時代」で群像新人評論賞を受賞した新進気鋭の批評家です。そのかたわら、演劇のワークショップなどを主催する俳優・演劇教育者でもあります。そんな渡辺さんは『妄想講義』に寄稿いただいた著者の方々のなかでも、まさに「妄想」を体現されるような方でした。実際、そのことは原稿にも書いてあります。

ルソーを読んでいると、目の前の子育てとリンクして、俳優の問題とリンクして、世界全体とリンクしていってしまうのです。良い本であればあるほど、気づいたらそれを読む手は止まり、全然先へ進めない。途中で全然関係ない本が読みたくなってしまうのです。研究者としては致命的でした。

渡辺健一郎「私でなくもない──おそらくは演技の話」

何かに触れると、そこからどんどん思考がめぐりめぐってゆき、妄想が膨らんでいく……自分にはそんな癖がある、と渡辺さんは語ります。執筆依頼をさせていただいた際の返信も、確かにそうでした。「妄想」というテーマに、1万から1万五千字ほど書いていただけないでしょうか……趣旨としてはこういうもので……と連絡させていただいたところ、そのテーマでしたら、こんなことを思いつきました!と、その段階でのアイデアを複数まとめて送ってくださり、これは内容の詰まった良い原稿になりそうだぞ……!と期待が高まったことを覚えています。

そしていただいた原稿は、まさに期待通りの「妄想」が存分に展開されているものでした。

はじめに「「妄想」とは「陥ってしまうもの」」、つまり自分にはコントロールし得ないものなのだ……と定義し、渡辺さんは「陥ってしまうもの」について考え始めます。まずは「聴声」。これは自分の内言、つまり心の声にもかかわらず「誰かからの呼びかけ」のように聞こえてしまう現象です。そして「憑依」。役者や預言者が、自分ではない存在を降ろし、自分ではない誰かのセリフを自分の口から語る有り様を指します。すなわち、聴声も憑依も、人を「私ではないが、私でなくもない」状態に陥らせるのです。

この「私ではないが、私でなくもない」状態を、渡辺さんはアルバイト中のトラブルを例にして説明しています。例えばファミレスで、嫌な客から理不尽に怒られる。そんなときは何も考えず自動的に謝罪し、裏に戻ってから愚痴を言う。そのとき、表で「謝っている自分」は、本心であるところの「愚痴っている自分」とは全く別の態度です。そして、その「謝っている自分」への切り替えはほとんど無意識的に行われ、その人格は本来の私とはまったくズレた態度をとっているにも関わらず、確かに私ではある。まさしく「私ではないが、私でなくもない」存在です。


この不思議なあり方をめぐって、渡辺さんは哲学、脳科学、人類学、演劇など様々な角度から論じていきます。読み進めていくなかで、多彩な角度からの論考に唸らせられると共に、ここからここに繋がるのか!これってもしかしてさっきのと通じてる?というような楽しみ方ができると思います。まさに、渡辺さんの専門の一つであるところの「批評」の魅力なのではないでしょうか。まったく異なる対象Aと対象Bを接続し、そこに繋がりがあることを説得的に語る……それが「批評」と言うものの面白さだと思います。渡辺さんの文章は「批評」ってちょっと気になるけど難しそう……と感じる人にも、ぜひ読んでいただきたいです。



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