「妄想講義」とは何なのか?
金風舎は9月30日に『妄想講義』という新刊を発売します。
この本では、「妄想」にまつわる10,000〜15,000字の論考、エッセイ等を24人の著者に寄稿していただきました。さまざまな方が語る「妄想」の存在意義、いま頭の中にある「妄想」が縦横無尽に展開されています。
金風舎はこれまで、電子書籍を中心にビジネス書や実用書を扱ってきました。ですが、今回は違います。人文的な内容の文章を、単行本+自社サイト掲載のWEB記事(金風舎DCH)の二段構えで世に出そうとしているのです。これまで培ってきたデジタル分野のノウハウを活かし、そのうえでビジネスや自己啓発の領域にも手を伸ばせるような「開かれた人文書」。これこそが今回『妄想講義』でやりたいことです。
ですから、人選もこだわりました。
批評家や書評家、学芸員、Youtuber、音楽家、ストラテジックデザイナー、ARエンジニア……そんな様々な活動をされている方々にお声がけさせていただき、「文学誌でも論檀誌でも見ない、かといって経済誌やエンタメ記事でも見ない」そんな名前の並びになっているのではないでしょうか。とはいえ、もちろん手当たり次第打診させていただいたというわけではありません。
『妄想講義』著者陣の特徴
今回、さまざまな著者の方に打診するにあたって「インディペンデント性」を重視しました。執筆をはじめとした様々な活動をするうえで、どこか大きな組織に所属していたり、すでに業界内で確固たる立場を確保しているような方のみならず、「新進気鋭の次世代の著者たちと本を作りたい」という大まかな方向性を立てたのです。
ここ10年ほど、国内では若い世代を中心に「インディペンデント性」の価値が上がり続けてきました。それは同時に、旧来型の非インディペンデントな存在の評価が相対的に下がり、彼らを焦らせてきたということでもあるでしょう。その象徴とも言えるのが「Youtuberとお笑い芸人の対立構造」です。
今年の6月に少し話題になったのが、総合格闘家の朝倉未来氏の発言とそれについての有吉弘行氏の発言でした。朝倉氏が自身のラジオ番組で「Youtuberはプレイヤー(演者)とプロデューサー(企画)の両方を担っていて、その点においては芸人に優っている。ただ、プレイヤーとしての実力だけを比べるのなら芸人の方が優っている」という旨の発言をし、その話題を耳にした有吉氏が「どうでもいい」とコメントしたという件です。
これに関して、朝倉氏の指摘は非常に現代的だと感じます。そして、これからの世代がより憧れ、優れていると感じるのは「プレイヤーとしての実力は抜群にあるが、多くのスタッフや事務所にお膳立てされている」よりも「プレイヤーとしての実力が人並み外れているわけではないが、ゼロから企画や場を作り上げる」存在なのではないでしょうか。すなわち、ここでは「インディペンデント性」が重視されているということです。
たとえば、お笑い芸人の代表といえる吉本興業所属のタレントは、総務省や文科省といった行政とも提携するような巨大企業に属している存在であり、その点ではいわば「大企業で働くサラリーマン」と同じような「非インディペンデント感」を感じさせるのではないでしょうか。
これは「Youtuberとお笑い芸人」というエンターテイメントの分野に限りません。例えば、私たち金風舎も属する出版業界は年々規模が縮小し、本は売れなくなってきています。しかし、不思議なことに出版のインディペンデントな市場は拡大しつつあるのです。例えば、参加者が主に自作の同人誌を持ち寄り、会場で頒布する即売会イベント「文学フリマ」には大きな変化がありました。今年12月1日の開催から、会場を東京流通センターから東京ビッグサイトに移し、また新たに入場料が設けられるようになったのです。これはひとえに小説、評論、詩、エッセイなどの同人誌を書く人口が増えているということでしょう。
また、ここ10年ほどで徐々に盛り上がりを高め、ポピュラーになっていったヒップホップカルチャーに注目しても良いでしょう。ヒップホップカルチャーはインディペンデント性と切っても切り離せない関係にあります。なんの後ろ盾もない名も無きストリートの少年が、己の音楽性だけで表舞台へと成り上がっていくような物語。きわめてベタではありますが、これもまた権威や既存の組織性からは切り離されたインディペンデントな在り方を象徴するヒップホップカルチャーの一側面です。
YouTuber、同人誌、ヒップホップのいずれもインディペンデント性を孕んでいるといえるでしょう。後ろ盾を持たず、身一つでゼロから創造するストリートカルチャーの精神がある、と言い換えることができるかもしれません。
そしてやはり、これからの時代に求められ、魅力あるものとして訴求されるのは「インディペンデント性」に違いないと考えています。だからこそ、今回執筆を打診させていただいた著者陣の皆様も、自身で活動の場を作り出し、独立して世に発信している方々を中心に選ばせていただきました。再三書いた通り、そのような在り方こそがこれから最も価値があり、魅力ある姿だと考えたからです。
そして、そもそも「妄想」は「インディペンデント性」に溢れたものといえるのではないでしょうか。ある考えが「妄想」扱いされるとき、それは「本人からすれば大真面目なのだろうが、本人以外からすれば荒唐無稽にしか見えない」と言われているのと同様だからです。すなわち、本人の思考以外に寄る辺のない、まさに「インディペンデント」な思考であるように思います。
著者一覧
それでは、そんな考えのもとに選んだ著者陣を紹介したいと思います。さらに、一部の著者に関しては具体的な紹介、原稿内容も
※単行本発売時の執筆陣は一部変更となる場合があります
たとえばどんな原稿が?
・永井玲衣「妄想」ってなんだろう」(哲学対話)
「哲学は、日常生活で誰しもが既にやっていることである」そんな考えを元に、各地で哲学対話を開く哲学研究者の永井玲衣さん。今回はわれわれ編集部と「妄想」をテーマに「哲学対話」をご一緒させていただきました。その対話をもとにした特別記事を本の冒頭に掲載させていただく予定です。「妄想」にはどのような価値があるのか、「妄想」はそれ以外のものとどのように違うのか、人はいつから「妄想」を始めるのか……読み進めていくにあたってまず「妄想」という言葉の前に立ち止まり、そもそも「妄想」とは何なのか?を探ってみて欲しいです。
・AR3兄弟(AR研究)『妄想を職業にする』(エッセイ)
川田十夢、高木伸二、オガサワラユウの3名によって構成された開発ユニット「A R三兄弟」。映像とARを活用し、ユーザーが楽団の指揮者となって合奏の指揮ができる「拡張オーケストラ」、自販機にカメラをかざすとアニメや映像が楽しめる「自販機AR」などを制作し、常に現実を「拡張」してきました。まさしく「妄想」を仕事としてきた3人が何を考えているのか、彼らの「妄想を現実に実装する」仕事とは、何なのかが語られています。
・住本麻子(ライター)「無意識と夢──川上弘美試論」(批評)
運動、批評、文学、フェミニズムを横断的に論じるライター。共著に『文豪悶々日記』、論考に「紅一点の女装──斎藤美奈子紹介」(【批評の座標】第7号)、「とり乱し」の先、「出会い」がつくる条件 田中美津『いのちの女たちへ』論」(『群像』2022年7月号)など。今回、現実と幻想、妄想が入り混じったような作品を執筆する「女性作家」たちが1990年代に台頭したことを指摘し、彼女たちを非リアリズム的な「妄想炸裂系」と「日常の裂け目系」に二分した文芸批評家・斉藤美奈子の整理を踏まえ、「妄想炸裂系」には分類されないながらも妄想的な要素を取り入れ、「夢」や「無意識」といった語で論じられるような作品を描いた作家・川上弘美を読解した文芸評論。
・もののけ『』(タイトル未定・ジャンル不明)
「Umpire」「顰に倣う」「智将は努めて敵にガム」などで知られるトップアーティスト、次世代音楽シーンを牽引する佳折咲吉。Youtubeやラジオなどの音声メディアを中心に、ゆるく軽妙なユーモアで人気を博すマルチクリエイター、もののけ。デジタルネイティブ世代のトップランナーである彼らの対談がついに実現。二人の共通点は“妄想屋”であること──世界観、創作の源泉、そして今後の展望とは……????驚愕の12,000字対談を、全編独占公開!!!!
出典:「週刊“WEB”アップル」(2024/09/30)
・小川和(批評家)『妄走のあとで』(批評)
先日、初の単著である『日常的な延命「死にたい」から考える』を出した新進気鋭の批評家が今回論じるのは、常に大量の情報を摂取せざるを得ない現代社会において、過大な情報量を処理しきれなくなってしまう「バーチャルな主体」の問題。『呪術廻戦』に登場する最強の呪術師・五条悟が使う「無量空処」と重ね、現代人が「バーチャルな主体の問題≒無量空処」に対抗する武器としての「妄想」の可能性を語ってもらいました。
・油田優衣(障害者運動)『介助者と家出できる未来』(エッセイ)
脊髄性筋萎縮症(SMA)という筋力低下と筋萎縮が発症する進行性の難病を持つ障害当事者。京都大学に在籍しながら、現在は障害をもった当事者が中心となって地域の障害者の自立生活をサポートする「自立生活センター(CIL)」で活動されています。学生時代、「家出をしたかった」と語る油田さん。多くの人がやろうと思えば出来てしまうことも、介助者なしには困難な彼女にとって、家出することも親子喧嘩も「妄想」に値するようなことです。今回、そんな思いを明るく語ってくれました。
・姫乃たま(ライター・元地下アイドル)「今日が一番悲しい日だといいね」(エッセイ)
2009年から10年間、地下アイドル、ライターとして活動して2019年に引退。現在でも執筆業ほか歌手、司会業、トークライブなど幅広い活躍をされています。著作に『潜行~地下アイドルの人に言えない生活』『職業としての地下アイドル』『永遠なるものたち』、楽曲に『僕とジョルジュ』『パノラマ街道まっしぐら』など。今回は、先の見えない不妊治療の道のりを訥々と書き綴っていただきました。期待がもたげては落胆し、心身ともに鋭い痛みに刺されながらも、唯一の支えとして立ち上がってくる「妄想」の存在を描いたエッセイです。
そもそも、なぜ「妄想」なのか?
「妄想」というテーマを今回選んだ理由は何か。それをきちんと語ったことはなかったように思います。編集部でも「なぜ「妄想」なのか?」「「妄想」でなければいけない理由はなにか?」といった議題については何度も話し合いを重ねてきました。そこで、まず考えたのは「私たちが生きているのは、一体どのような社会なのか?」ということです。
頻繁に言われることですが、現代社会では「人生のテンプレート」とでも言うべきものが希薄になり、ライフコースが多様化して久しいです。にも関わらず人々は、「自分の選択次第で、人生は切り拓ける」という実感を持ちづらくなってきているのではないでしょうか。
そして、それは多様なライフコースをより開かれているはずの若い世代に顕著な特徴でもあります。「親ガチャで外れ引いた」「生まれつき努力の才能がない」といった切実な声には「人生はあらかじめ決まっている。運命は変えられない」「身の丈にそぐわないことをすると、幸せになれない」という諦念じみた確信がこもっています。
すべき行動、選ぶべき選択肢、考えるべき問題はすでに決まっている。膨大な不正解を無視し、正解を発見することこそ勝利条件。幸せな未来は、正解を選択し続けることで訪れる。そんな「最適解至上主義」的で「コスパの良い」あり方が、徐々に支配的になりつつあります。しかし、そんな社会で生きる私たちにも、ときに「間違っているのかもしれないけど、どうしようもなく惹かれる妄想」が浮かぶことがあるのではないでしょうか。
それを、選んでも良いのではないでしょうか?
誰かが聞いたら「ありえない」と笑うような妄想かもしれません。しかし、一度深掘りし、形にし、なんとか現実と結びつけ、すり合わせるべく思考をめぐらせてみてはどうでしょうか。それはいつの間にか「ありえない妄想」から「ありえる妄想」へと変わっているはずです。そして、それは妄想ではなく、新しい正解、新しい現実ではないかと思います。新現実をつくりだす営みは、妄想から始まるのです。
そのクリエイティブで突飛で飛躍的な思考は、ともすれば陰謀論や被害妄想といった破滅的な側面に支配されてしまうこともあるでしょう。そんな悲劇もまた、ここ数年のあいだ常に問題にされてきたことでもあります。そもそも「妄想」は、そんな強固で支配的な価値観から柔軟に抜け出すためのものであったはずなのに。
だからこそ、「妄想」をしなやかに使いこなす著者たちに語ってもらいたい。それらのテクストには、いま必要なのが「妄想」であるという証拠が詰まっているはずです。
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