タネボン×コトリーの雑談「「一途」と「未練」はどう違うのか?」
コトリー:まだそんな暗い顔してるのかよ。
タネボン:そうそう吹っ切れないよ……。
コトリー:そうそうったって、もう半年ぐらい経ってるんだぞ。
タネボン:・・・。
コトリー:いや、まぁあれだ……切り替えてな、次のこと考えよう、な?
タネボン:3年も好きだったんだ……。
コトリー:だからってそう未練がましいのもな。
タネボン:そこだよ!!!
コトリー:うるさいな。
タネボン:僕がこの3年間想い続けている間、君も含めてみんなが僕を応援してくれてた。「一途だ」って言ってね。
コトリー:ま、なかなかそんなやついないからな。
タネボン:でも今、僕が「フラれたけど、まだ好きなんだ」って話すと皆が一堂に「未練がましい、諦めろよ」っていうんだよ。
コトリー:フラれて半年も経ってるんだから、そりゃ皆そう言うよ。
タネボン:じゃあ、なんで僕が3年間片思いしてたときは、みんな「一途だ」って評価してたんだ?僕の気持ちはフラれる前の3年も、フラれてからの半年も変わってないんだ。どうしてこれが「一途」という肯定的な評価から「未練」という否定的な評価に一転するんだよ!?おかしいと思わない?コトリー?
コトリー:そういう面倒くさいとこがダメだったんじゃないのか?
タネボン:・・・。
コトリー:・・・?
じゃあ、なんで僕が3年間片思いしてたときは、みんな「一途だ」って評価してたんだ?。僕の気持ちはフラれる前の3年も、フラれてからの半年も変わってないんだ。どうしてこれが「一途」という肯定的な評価から「未練」という否定的な評価に一転するんだよ!?おかしいと思わない?コトリー?
コトリー:2回も言いやがった。まぁ、でも確かに不思議っちゃ不思議だな。「想い続けている」ということは変わらないのに、「告白」の結果次第で、その評価がまったく変わるってのは考えてみれば理不尽な感じもするぜ。
タネボン:でしょ?これって「告白」という儀礼が持つ意味を文化人類学的に考えたり、どういった社会的条件によって「想い続けている」ということの評価が変わるのかっていう、社会学的な考察が可能だと思うんだよね。これって次の企画にならないかな?
コトリー:ま、そんなに学術的なアプローチじゃなくても良いかもしれないけどな。とはいえ結構興味深いテーマだと思うぜ。
タネボン:「「一途」と「未練」という似た感情は、なぜ正反対の評価を受けるのか?」ってことだね。試しに企画書つくってみるよ!
コトリー:(これで少しは気が晴れたら良いけどな・・・。)
興味のある書き手の方、是非ともお声がけください!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?