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第9回次世代経営ラボ開催報告

開催報告

2020年4月24日。ZOOMにて『第9回次世代経営ラボ』を開催いたしました。

4月24日。当初は新型コロナウイルスにより中止を決定した株式会社キズナキャスト創業20周年記念イベントの開催予定日でしたが、改めて同日に設定しました。

第9回次世代経営ラボでは第8回を上回る40名強の方にご参加いただきました。誠にありがとうございます。

第9回次世代経営ラボでは引き続き、教育をテーマとして議論を進めました。教育を考える上で必要となる教育のゴール地点、そして、その先にある社会を見つめ直し、これからの教育に必要なことを整理し、そのうえで参加者の皆様それぞれの教育に対しての意見を集約して、どんな教育の青写真が描けるのか。議論いたしました。

次回第10回次世代経営ラボの日程はまだ決定ではございませんが6月中旬に引き続きZOOMにて開催予定です。

皆様のご参加をお待ちしております。

第9回次世代経営ラボ 動画レポート

第9回次世代経営ラボの模様を動画にてお届けします。


イベント資料


第9回次世代経営ラボ参加者レポート

こちらでは第9回次世代経営ラボにご参加くださった方からのレポートを掲載しております。

與儀陽介 様

教育と社会
私自身は、教育課程における教師ではないことから、現場における子供の学力や 心理面の ケアに携わったことはありません。同様の方が、大半を占める中で、教育 論をぶつけることにためらいを覚えます が、ここでは、理想とするものを掲げるアプローチではなく、 少し引用を挟みながら、 今の 社会における 既に長期間にわたってシステム化されている 教育の 弱点を 見つめたいと思います。

そのうえで、about You が展開しようと企画する「個人とビジネスと社会を結ぶ出会いと学びの体系」 のコンセプトに紐づけてまいります。

予め申し上げますが、教育自体は切り取り方が様々 であることは承知しています。現場で奮闘されている方々 の苦労と歯がゆさに、私の私見を挟む余地が ないことも理解はしています。

ただ、私が案じているのは、その苦労と奮闘が 社会の中で急速に役割を 失うまでに行かなくても、 機能を果たさなくなる可能性があることです。現場の方々の苦労と奮闘に意味を見出すために、ここでいくつかの視点を展開するという趣旨であることをお伝えします。

1.「 モデルなき社会 」 における教育の方向性
2.「 日本 3.0 」 における 時代に合った人づくり
3.公教育が持つ弱点を克服するリスト

上に取り上げた 3 つの視点のうちのひとつ目では、先の「個人とビジネスと社会を取り巻く情勢」でガイドした経済産業省上梓の「不安な個人 立ちすくむ国家」において、「モデルなき社会」と呼ばれる貧困と格差の固定等によって個人の選択が歪められている社会の液状化が起こっていることが共有されたことに触れました。

共有されたレポートの中に、私たちが取りたい方向性として掲げられているポイントとして

子供や教育の行ける投資を財政における最優先課題に

が掲げられています。スライドの転載とともに、中身を確認出来ればと思います。

ふたつ目については、ソーシャル経済メディア「News Picks」編集長(当時、2020 年 4 月編集長退任)佐々木紀彦氏が 2017 年にまとめた「日本 3.0 2020 年の人生戦略」(発行:幻冬舎)の一項にある教育の方向性を掲載して、若干補足をしつつ、時代に合った人づくりの確認をします。

みっつ目については、「思考は現実化する」で著名な成功哲学者の第一人者ナポレオン・ヒル博士が 1938 年に作成し、1970 年に亡くなった後も含め 72 年もの間、書籍化されてこなかったと言われる原稿を訳した「悪魔を出し抜け!」(2013 年発行:きこ書房)にある「公教育が持つ弱点を克服するリスト」を抜粋紹介します。

複数の視点を一つに乗せる理由は、犠牲者が誕生し、量産されている原因は「今の教育」であるが、犠牲者の価値を解放することが出来るのは「未来の教育」だと見出しているからです。

まず、最初から取り上げている経産省上梓の「不安な個人 立ちすくむ国家」から確認していきます。

1.「モデルなき社会」における教育の方向性

「不安な個人 立ちすくむ国家」では、一通り課題点を展開した後、では私たちはどうすれば良いかと舵が切られます。

(1)一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ
(2)子どもや教育への投資を財政における最優先課題に
(3)「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に(公共事業・サイバー空間対策など)

この3つの提案を実行することで、個人の帰属・つながりを回復し、不確実でも明るい未来を実現したいと書き込まれています。

スライドでは、子供へのケアや教育を社会に対する成長投資として捉え、下に掲げたような制度の提案を実現する段階としています。

・教育バウチャー
・こども保険
・海外留学奨学金
・就学前義務教育化

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子どもへのケア、教育投資の充実によって、子どもたちが自分で人生を選択しデザイン出来るだろう。不確実な状況においても、子どもたちが抱く不安が克服でき、明るい未来につながっていくことを期待しています。

他の提案についても、表立って目立つ異論が見当たりませんが、

(教育)投資 = 一人ひとりの人生のデザイン

かというと、教育そのものの理念は明確に掲げられていないことから、教育への提言としては弱いと見受けられます。

ここで問題提起されている一人ひとりを取り巻く不安や不満として挙げられている「早すぎる変化」「あふれる情報」「変わらない仕組み」「見えない将来」に対して、

直接手を掛けない限り、
投資先が違うのではないかと見立てています。

先に掲げられているいくつかの制度の実現を図ることが、不安と不満に対するケアであることを説明はしていません。加えて「教育が社会にどう貢献するか」という視点もないため、創りたい教育像は、残念ながら経産省の提言にはありません。

一方、次に書き込む「日本 3.0」における時代に合った人づくりでは、時代の変遷について触れていることから、未来の教育の方向性が、より明確になっています。

2.「日本 3.0」における時代に合った人づくり

2017 年 1 月に、ニュースピックスから発刊された「日本 3.0」(発行:幻冬舎)では、2020 年前後から、日本近代の新しいフェーズとして「日本 3.0」が始まると書かれています。

明治維新、敗戦に続く「第 3 の革命」が到来し、下剋上と人材の大移動が起こるという未来予測が、2020 年初頭からの感染症の大流行によって、決して望ましいと言えないスタートを切ったともいえるかもしれません。

著作にある予測を一つ一つ検証することも良いのですが、ここでは「教育」に絞ってポイントを列挙することにします。

といっても、著作中の「日本 3.0 と教育」という項目は、60 ページものボリュームがあるので、そのまま転記をするわけにも行きません。

ここでは、項目冒頭にまとめられている課題提起と、論旨を要約した 10 のポイントを欄内に引用掲載します。

課題提起

日本の教育は「日本 2.0」時代から脱皮できていない。諸島・中等教育は復活しているが、大学は世界から完全に置いて行かれている。大学教育、とくに教養教育の復活なくして、「日本 3.0」時代に合った人づくりはできない。今の日本に必要なのは、ハーバード、スタンフォードなど正解最先端の教育と日本古来の教育の融合だ。

<「日本 3.0」と教育 本章の 10 のポイント>

・日本の高校までの教育はトップレベル。2020 年の改革でさらに進化する。
・日本の教育のガンは大学である。東大もついにアジアトップの座を失った。
・「日本 3.0」時代の大学教育のカギは、教養教育。日米エリートの差も教養にある。
・まず学ぶべきモデルは、ハーバード、スタンフォード等の一流大学の教育。
・教養を高めるには、「知の千本ノック」が不可欠。徹底的に読み、書き、話す。
・ハーバードの最新の教養教育。3 本柱は「外国語」「説明文」「8つの一般教養」
・スタンフォードが目指すのは「T 字型人間」。哲学、文学、生物学、IT までを網羅。
・明治の志士は、西洋と東洋の智恵を兼ね備えたワールドクラスの教養人だった。
・西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎を生んだ、薩摩の郷中教育にヒントがある。
・「日本 3.0」の教育が目指すべきは、世界最先端の教育と日本古来の教育の融合。

私は、ここに書き込まれている詳細な理論武装をそのまま受け売りをしてお届けすることを意図しているわけではありません。

最初に取り上げた「不安な個人 立ちすくむ国家」の課題提起と、「日本 3.0」のそれとは全く異なるものです。前者は、近年の各種統計に現れた社会構造のひずみに対する危機感を共有したに留まり、後者は、近代 150 年が到来するなかで、複合的に引き起こされる社会変動に対して、社会のシステムが根底から変わり、人員配置がすっかり変わることを示すものです。

2017 年春に著作を購入しましたが、2020 年 4 月に改めて見直してみると、未曾有の感染症まん延による社会変動の渦中にある時期に示唆に富む内容が書かれているとは思います。

教育についても、大学教育が世界の比較の中で、教養人の排出に成功していないことについて、世界のロールモデルを取り入れるとともに、日本独自の体系も融合するといった方向性を挙げています。

私との相違点を挙げるとすれば、ここで私が展開することに挑む「一人ひとりが抱く価値の解放」アプローチとは異なり、今後の社会変動の中で今までチャレンジしなかった人に奮起を促すアプローチをとっているところです。チャレンジを直接支援しようという視点はありません。

ニュースピックス自体は、経済メディアとしてコンテンツの充実を手段とし、同時に目的として掲げていることから瞬間的に啓蒙は出来ますが、「日本 3.0」を当事者として設計し建築することはありません。予測し、提唱する役割を担うニュースメディアと、プロセスを創造し、犠牲者がそのプロセスを経由すると犠牲から解き放たれるといった変化を担うメディアとは役割が違うことを確認します。

次に取り上げるのは、最近書かれた「日本 3.0」と異なり、1938 年という 80 年前程前に既に指摘された「公教育の弱点」についてです。


3.公教育が持つ弱点を克服するリスト

「思考は現実化する」で著名なナポレオン・ヒル博士が、1938 年に作成した原稿をまとめた「悪魔を出し抜け!」では、著者と「悪魔」との対話形式で哲学が展開されています。

ここに登場する「悪魔」は物質的な姿はなく、否定的なエネルギーから成り立ち、あらゆる精神的・物質的なエネルギーを半分支配している者として登場します。

悪魔は、学校を恐怖・否定・怠惰による支配の「協力者」と位置付けています。

それは、学校のカリキュラムそのものに、明確な目標や計画がなく、子供たちはただ単位を取るために学校に行かされ、記憶の仕方を覚えさせられるだけで、人生の目標を見つけることが出来ないからだという「事実」を告白します。

悪魔は、著者との対話の中で、子供たちが持つ意識を自由にする方法を要求され、公教育における弱点を克服するリストを著者に自白することになります。

かなり長いリストであることと、著作中に登場するキーワードも含まれることから、欄内の一部が理解できない箇所もあるかもしれませんが、次頁からリストを引用します。

紹介の目的は、教育という仕組みが持つ効能と限界を解き明かすためであり、80 年前に見つめられていた弱点が未だ克服できていないということを、あなたの目で確認して欲しいからです。

ナポレオン・ヒル著「悪魔を出し抜け!」学校教育の弱点を克服するためのリスト

・今のやり方を逆にして子供たちに自らの学習を指導する権利を与え、教師が生徒に抽象的な知識を授けるだけの従来の方法はやめる。教師に生徒の役目を、生徒に教師の役目をもたせる。

・可能なかぎり何事も生徒の自発的な行為によって学んでいくという明確な体制を作る。授業の内容は、日常生活の問題とつながりのある具体的な作業を必要とするものとする。

・あらゆる成功はアイデアを掴むところから始まる。生徒には、自分の頭に浮かんだアイデアが自分の人生で望むものを手に入れるのに実際に役立つものかどうか判断する方法を教える。

・生徒には時間の配分と使い方を教える。そして何よりも、時間が人間の持つ財産の中で最も重要で安価なものであることを教える。

・生徒には人間の持つ最も基本的な衝動を教える。人生の必需品もぜいたく品も、すべてその衝動を利用することで手に入れる方法を教える。

・生徒には、何をどう食べるべきなのかを教える。そして、正しい食生活と心身の健康の関連性についても教える。

・生徒には性衝動の本質とその働きを教える。そして何よりも性衝動は自分を成功という頂点に上がらせる原動力に転換出来ることを教える。

・生徒にはあらゆることについて明確であることを教える。その最初が、人生の明確な目標を持つことである。

・生徒には習慣の原則が持つ長所と短所を、その本質と可能性の両面から教える。説明の際には、子供も大人も経験する日常生活の具体的な場面を可能な限りたくさん例に挙げること。

・生徒には、習慣がヒプノティック・リズムを通して固定化される様子を見せ、低学年のうちでも、習慣が習慣を呼んで、その結果自分の頭で考えられない人間になることを教える。

・生徒には一時的な敗北と本物の成功の違いを教える。そして、あらゆる失敗に含まれる、それに見合うだけの成功の種を見つける方法を教える。

・生徒には、自分の考えは何でも恐れずに表現することを教える。また、他人の考えに対しては、拒絶することも自由であり、常に自分の判断で物事を決める権利が自分にはあることを教える。

・生徒には、決定はすばやく行うよう教える。そして、必要のある場合だけ、ゆっくりしぶしぶ変更し、明確な理由もなく変更することは決してしないことを教える。

・生徒には、人間の脳が大自然の偉大なる知恵の宝庫からエネルギーを受け取る受信機であることを教える。そのエネルギーは明確な思考にしか反応せず、脳の機能は思考にあるのではなく、思考を惹起する刺激を解析することにあることを教える。

・生徒には、精神の調和を保つことの重要性を教える。そして、精神の調和は自制心によってしか保てないことを教える。

・生徒には、自制心の本質と重要性を教える。

・生徒には「収穫逓増の法則」(注:資本を投入すればするほど利益が雪だるま式に増える現象を指す経済用語)があることを教える。そして、この法則は実際に運用することが出来るし、そうすべきであることを教える。つまり、常に求められるよりも多く、またはより上質なサービスを提供することを習慣とすることを教える。

・生徒には、「ゴールデン・ルール」の本質を教える。そしてなによりも、この原則の働きにより、他人に対し、あるいは他人のために行ったことは、すべて自分に還ってくることを教える。

・生徒には、自分の持つ意見はすべて、明らかに理にかなっていると思われる事実あるいは思想により支えられていなければならないことを教える。

・生徒には、たばこ、酒、麻薬、過度の性行為が意志の力を破壊し、「流される」という習慣をつくるものであることを教える。ただし、これらの行為を禁止してはいけない。その説明だけに留める。

・生徒には、親であろうと宗教指導者であろうと、他人が言っていることを単にその人がそう言っていたからという理由だけで信じてしまうことの危険性を教える。

・生徒には、事実は、自分にとって心地よいものとそうでないものも、言い訳や口実に頼ることなく、すべてをありのままに受け止めなければならないことを教える。

・生徒には、第六感を使うことを奨励する。そして、第六感を使って未知のソースからもたらされた様々なアイデアを慎重に吟味するべきことも教える。

・生徒には、ラルフ・ウォーレン・エマーソンの説く「代償の法則」を全面的に取り入れるよう指導し、その法則の働きを日常生活のささいな場面を例にして示す。

・生徒には、この世で自分の占める空間は、自分が世の中に提供するサービスの質と量によって決まるということを教える。

・生徒には、すべての問題には適切な解決策があり、その解決法はたいていその問題を作り出した環境の中に見つかることを教える。

・生徒には、あらゆる限界は、自分が自分の意識の中で作ったか、あるいは他人が創るのを許したか、そのどちらかでしかないことを教える。

・生徒には、自分が思っていることや信じていることはすべて実現できる!ということを教える。

・生徒には、頭脳を発達させる基本的手段として校舎や教科書は必要かもしれないが、本当の意味での学校と呼べるのは、経験から学ぶという特権を行使することのできる人生という大学であることを教える。

・生徒には、常に自分自身に対して正直であることを教える。全ての人間を満足させることはできないため、自分自身を満足させられればそれでいいということを教える。

「悪魔」が提唱する公教育の場で実現させるべきもの

・調和的な人間を作るために必要な人間心理に関するトレーニングを一つの科目にして構築し、子どもたちには、他人をなるべく衝突せずに人生を送る方法を教える。

・成功の法則を教えることで、経済的に独立して生きていけるようにする。

・今の教室は完全に廃止するべき。代わりに丸テーブルを置くか、会議の時のようにテーブルを四角に囲むと良い。

・生徒達には個別に対応し、グループ活動ではきちんと教えるコトの出来ない課題について、一人ひとり指導する。

・どの学校にも、補助教員として、ビジネスマンや専門職、科学者、芸術家、技師、新聞記者などからなる専門家グループを置くべき。そして、それぞれの専門を活かした実用的な知識を子供たちに授ける。この場合、講義の時間を無駄にしないよう、会議室タイプの授業が望ましい。

「不安な個人立ちすくむ国家」や「日本 3.0」も、未来の教育についての提案が書き込まれていました。しかし、ここにある長いリストは、学校教育そのものに目的が無いことを指摘しつつ、社会にある法則や、事象に潜む本質を見出すことを育むことに着眼を置き、教師にはカリキュラムの番人に留まらない役割を果たすことを諭しています。

ここでは、ナポレオン・ヒルが提唱する成功哲学を学ぶことをお奨めすることが目的ではなく、公教育に携わっている従事者がそこに従事している限り逃れられないジレンマである「効能と限界」を解き明かすことにあります。再掲しますが、

効能とは、与える側が受け手側に提供する
「作用」または「影響」のこと。
限界とは、効能を信じている限り
「永遠に着手・解決できない領域」のことです。

ここまで、長く引用を中心に見つめてきましたが、教育の場合より強く、与える側にいる教師が受け手である生徒や子どもに提供する「作用」や「影響」が「支配」に近い関係性のもとはたらきます。

当然、教育は人間らしい生活を送る上で欠かせない営みであり,家庭単独で行うことも難しく、学校教育の場は人間形成・人間関係力形成に大きく貢献していることは充分承知しています。だからこそ、教育が持つ限界、「永遠に着手・解決できない領域」を見つめることで、「あなたを社会に届ける」プロセスに何が必要なのかを見出そうとしています。


私は、モデル無き社会と壊滅的な生産性のもと、自己実現の気持ちがごみとして扱われ、犠牲者が誕生し量産されていることを何とか出来ないかと about You を企画しています。振り返ると、一人ひとりの自己実現の気持ちを通して、社会や従事している組織が抱える課題または構造を見つめてきました。

社会と組織と領域が一見違うと思われる公教育は、社会にデビューするまでの長い準備期間に通過するものですが、社会や組織と同じように子どもたちが持つ自己実現の気持ちがごみとして扱われ、犠牲者が誕生し量産されていることに変わりありません。何故か。

「カリキュラム」以外のことが出来ない。

これが、教育というシステムが持つ「限界」です。当たり前のようなことを言っているかもしれませんが、もっと悪いことに、その「カリキュラム」には明確な目標や計画がなく、子供たちはただ単位を取るために学校に行かされ、記憶の仕方を覚えさせられるだけで、人生の目標を見つけることが出来ないという事実があります。

教科を教えることのみに熱心な教師は、その事実に加担する協力者であり、知らず知らずにカリキュラムの目的化に励んでいます。

公教育におけるカリキュラムの目的化は、「不安な個人立ちすくむ国家」や「日本 3.0」にあるような課題意識から発せられる提案を、その提案がいかに有効であっても無視し、その提案を無力化します。

既に、「モデルなき社会」の下で「壊滅的なマネジメント」によって誕生し、量産されている犠牲者は、公教育が抱えるカリキュラムの目的化によって、人生の目標を樹立出来ないという意味で無力化されたことから、挑戦や成長の機会を掴めず、長期にわたって失われた機会の挽回が出来なくなっています。

教育に携わっている方には、非常に一面的な書き方かもしれません。私自身を振り返った時、あえてこう書きますが、当時の受験の勝者の一人でした。教師から見ると、この結果については学力面において優秀なうちの一人であるとの評価のはずです。その結果を導き出したテストに回答する力をつけたのは主に、過去問題を含め「問題を解きまくった」ことによることから、知識の不足を補充していったことにあります。

教師から教わった事実はありますが、大半は自力で肉付けをした結果であり、それは私だけではありません。この体感から、

あなたが抱く価値と人生の目標を
共に解き明かす「教師」はいない

と見立てています。それは、「カリキュラム」が無いからです。教育はカリキュラム以外のことが出来ない限界を持つことから、社会に出てから探すことになります。人生は長いので、それで良いのかもしれませんが、組織では一人ひとりの自己実現の気持ちはごみとして扱われるので、非常に厄介です。

この限界の打破には、「変わらないという仕組み」の項でガイドした2つの方向性があります。

①効能の範囲を限界領域に届くように拡げる。
②今のままでは永遠に着手・解決できない領域をケアできる仕組みを外側から編み出すこと。

ひとつ目の、効能の範囲を拡げることについては、教育に携わる方が、時代に合った人づくりが出来るようにカリキュラムを見直すことで、十分ではないにせよ準備することは可能ではないかと思われます。

ふたつ目の外側から編み出す仕組みについては、教育だけを変えようとする時、人生の目標をともに見つけるコトで充分かもしれませんが、社会に量産されている犠牲者をケアしようとすると、教育のケアだけでは仕組みの範囲が狭いことになります。

教育も社会も手に掛ける体系を
編み出すことが求められます。

次の項目から、多くのシステムや教育にある「限界」を克服するアイデアとして about You が設計と建築に挑む「あなたを社会に届ける」プロセスの創造に移ります。


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