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シドニーマラソン

先日、9月15日に行われたシドニーマラソンに参加し、なんとか完走することができた。完走タイムは約5時間20分。タイムは遅いが長距離走が苦手な僕にとってタイムよりも完走できたことのほうが喜びだ。実は昨年のシドニーマラソンにも参加しており、タイムはほぼ同じ。なので、「完走できたが喜び」というのは自分自身の言い訳でもある。
フルマラソンは今回を含めると3回挑戦してきた。内訳はホノルルマラソン(1回)とシドニーマラソン(2回)である。フルマラソンを走る最中、必ず30km過ぎで感情が爆発して泣きたくなるのだ。そして3回とも全部泣いた。
初めてのフルマラソン・ホノルルマラソンは、毎年2月に日本のテレビでその模様が映し出される。僕はその映像を見て、ホノルルマラソンに参加したい、と高校生の頃に思い、三年前に実現した。その時は夢に見たホノルルマラソンがあと10kmほどで終わってしまうことの哀しさ、もうすぐ終わるこの辛さ、足の痛さなどの様々な感情が込み上げ、最終的に泣いた。走りながら、歩きながらずっと泣いていた。
昨年のシドニーマラソンでは、本番1週間前に足を痛めてしまい、不安な気持ちの中で走り続けた。そして目標だった30km付近まで走りきった時に泣いた。ここまで走り切れた喜び、健康な体であることの感謝等で泣いた。しかも号泣である。
そして、先日のシドニーマラソン。勿論のことだが、フルマラソンはキツイ、しんどい、辛い。自分がドМなのかなって思うほど苦しい。でも、この苦しさはどこからやってくるのだろうかと考えながら走っていた。ぶっちゃけマラソン中は暇なのだ。そして、考え自分なりの答えを出した。それは「生きているから味わえる感覚なのだ」と。
生きているから喜怒哀楽を感じれる。喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも。生きているから味わえる感覚であると。至極当然のことだが、マラソン中は感情が爆発するため、生きている実感を味わいながら走った。そして、勿論泣いた。今を生きていることを味わえたのが嬉しかった。苦しい物事の先に待っている景色のようでとても嬉しかった。まだまだ続くこの人生の中で同じような景色をどれだけ見れるのだろう。見るためには必ず苦しい時間がやってくる。それにも負けない強い気持ちと自分を信じる心を無くさないように、生きていこうと決めた、25歳の秋だった。

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