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この長期間(約1年)エッセイを書くことをやめた。
理由は2つ
1、仕事が忙しくなった
エッセイを投稿していた頃はそんなに仕事が忙しくなく定時で帰れることが出来たためエッセイを書く時間を設けれることが出来ていた。
しかし、昨年の4月頃から徐々に忙しくなり、6月以降は残業時間が60時間に届くほど時間に追われていた。休日出勤しても代休が取れるスケジュールは存在せず、大阪にいる時間より出張であちこち行く時間が多くなりエッセイを書ける時間などなかった。
いや、違う。
エッセイを書く情報を得る作業を怠ったためエッセイを書く時間を設けれなかったのが事実。
忙しさを理由にしていただけだと思う。忙しかったのは事実だけど
2、単純に飽きた
僕は基本的に飽き性。
だからこの投稿の前のエッセイ(何書いたかも覚えていない)なんかも正直、エッセイっぽいこと書けばいいんでしょ感すごかったイメージがある。なんかその辺に落ちてる言葉を拾い集めてエッセイっぽい形にすれば良いんだよな的な雰囲気があり、駄作は否めない。そんな情緒の中で僕はエッセイを作るために頭の中にあるゴミ箱から埃だらけの言葉を汚れた手で拾い、ジグソーパズルのように形を変形させて当てはめていくだけの作業をしていた。だからエッセイを書く熱量が減り飽きたのだと思っている。
それから半年
確実に僕は考えるという動作をしなくなった。思考回路が弱くなったというか衰えた気がする。それは複雑怪奇な回路から砂漠に伸びた一直線の道路のように単純な思考になった気がする。
やはり思考は毎日の鍛錬である。
考えることない人間は原始人である。自分の時間は未来へ進んでも、自分の思考回路は止まったままだ。
僕は一応、今の時代を生きる者としてやはり考えることを止めてはいけない。

僕はまたエッセイを投稿していこうと思う。
以前のような「毎週日曜日に投稿する」といったルールを設けるのではなく今の僕が感じたことをここに残していこうと思う。

僕ら人間(ホモ・サピエンス)がここまで飛躍できたのは認知革命が有り、思考することを止めなかったからだ。
思考することは人間にとって進化であり未来である。それは人間にとって至高(思考)なのである。円楽です。

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