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神≒愛=宇宙?

2、3日前から、哲学・宗教、神・愛、宇宙について
思索を巡らしてました。
思索を巡らせるに当たって
「神=愛=宇宙」とタイトルを付けようと思ってました。

私は学生時代に哲学を真面目に受けてて
「デカルト」「ハイデガー」に
影響を受けてました。

デカルトは
「判然と、考える理性の働きを取り上げ
 理性を持った人間、すなわち、理性的個人が
 まず、自然よりも、神よりも
 一番確かな真の存在であると主張したのである。」
(神よりは理性のある個人が真の存在と主張)

ハイデガーは
「現代は大衆の力の増大から、人間は「世人」と呼ばれる
 ものの中に埋没してしまい
 ただ「人が言っているから」とか、「人がやっているから」
 と言う理由だけで、他律的に行動するような
 日常生活に終始している。
 それは姿だけの人間である。
 しかし、本来の人間は、死と直面した時に
 最も示されるように、身代わりを許さない
 かけがえのない単独車であって
 そのような非個性的で無責任な毒名の「ひと」の中に
 紛れ込んで、責任を回避することは
 許されない存在であるとしている。」
(大衆よりは責任ある個人を重視)
これを実存主義というそうです。

アインシュタインは
「神はサイコロを振らない」と信じてました。

私の愛読書である「肥田春充」著「宇宙倫理の書」では
「万物は絶対真なる宇宙法則に支配されている」と言う意見でした。
(アインシュタイン、肥田春充 共に絶対神は間違わない)

私が病気した後に影響を受けた
「苫米地英人」氏は
「 Δl×Δv > h:不確定性原理=「この世に確定的なものは何もない」
ということを表現している言語」
と述べてます。

またゲーデル氏は
「不完全性定理=「完全なものなどないことを表現している言語」
 =神は存在しない」
と述べてます。
(苫米地氏、ゲーデル氏 共に絶対正しい完全な物・者=神 は存在しない)

マザーテレサは著書「Come Be My Light」で
「神はわたしを望まれない。
 神が実在しないというその喪失による激しい痛みを感じます。」
と述べてます。

ここまでの話で私なりの結論としては
「神≒愛」
「神は存在しないかもしれないが愛は存在する」
「愛あればこそ宇宙が存在する」
と考えてます。

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