あの弁当箱

下弦の月弁当とあんこ

「実は俺、Mの高校の同級生なんだけど」

いかにも「今から人の悪口を言いますよ」といういやらしい調子で、そいつは近寄ってきた。Mというのは、その場にいない我々の共通の知り合いである。おだやかで落ち着いた話し方をする好青年で、取引先各社に隠れファンが少なくない。私もその1人だった。他人の尊厳を大事にし、赤の他人にも丁寧に接する。女を小バカにする社風の中、彼だけは間違っても女子に「おい、お前」などと呼びかけない。他人のミスを笑うのではなく、自分の失敗を笑い話にする。私にとっては「好き」というより「いつかたどり着きたい境地」のような存在だった。そのMさんの話を同業者としていたところへ、くだんの元同級生が近寄ってきたわけだ。

「あいつさ、変な弁当持ってくるんで有名だったんだ」

はあ。

「弁当箱でかいし、おかずも1種類しか入ってないしさ」

へえ。

「一度なんか、おかずの代わりにあんこ、あんこだぞ! 白いご飯とあんこしか入ってない弁当って見たことあるか?」

確かに、そんな弁当は見たことない。だが「何それ変なの〜」と一緒に嘲笑する気にはなれなかった。そいつの「Mを笑い者にしてやろう」という嫉妬心がなんとも居心地が悪かったからだ。なのでぼんやりした反応に終始した。さぞかしノリの悪い女だと思ったことだろう。

そもそもお弁当や家ごはんは、よその人から見れば「変」と思われる要素がいっぱいあるものだ。それが家庭料理というものだからだ。好きな食材、よく使う調味料、趣味や家庭の事情など、人それぞれの流儀がある。それぞれの家で違って当たり前なのだ。

高校のクラスメイトであるKちゃんはよく「今日のお弁当は〇〇が入ってるから嬉しい」と言っていた。私はその〇〇がどうしても聞き取れず、そのたび何度も聞き返すのだがついに卒業までわからなかった。ちゃんと紙に書いて確認しなかった私たちが悪いのだが、1番の原因はその食材が我が家には存在しなかったことにある。

それは「クコの芽」だ。

そう、あの漢方薬で使われる赤い実のあれ。クコ。あれの若い芽を、房総ではよく食べる。Kちゃんのお弁当にはおひたしや卵焼き、菜飯など、いろいろなかたちでクコの芽が入っていた。きっと実家の近くに自生していたのだろう。今となってはうらやましい話である。

会社の同僚だったNのお弁当も印象的だった。ミートソースのスパゲティに、ニラが大量に入っていたのだ。その「これの何がおかしいの」という表情を見れば、彼女の実家ではそれが当たり前だったことが容易にわかる。その頻度からして、ニラスパが好きだということもわかる。そしてニラスパの日は、付け合せに必ず鮭の焼いたのが入っていた。きっとN家の定番だったのだろう。もっと由来とか歴史とかエピソードとか、聞いておけばよかった。残念だ。

私自身が1番よくお弁当を作ったのは、ある特殊な業界に身を置いていた時だ。職業柄、職場はへんぴな場所にある。最寄駅から1時間に2本くらいあるバスに30分ほど乗り、バス停からさらに15分ほど歩く。周囲は田んぼと山しかない。飲食店もコンビニもない。ちなみに最寄駅にもコンビニもパン屋も弁当屋もないため、自作の弁当はマストアイテム中のマストだった。

あの頃は本当にがんばった。夜遅くまでだらだらと飲むのが好きだったから、当然朝は起きられない。でも弁当は作らねばならない。とりあえず「ごはんだけは炊いておく」スキルは身につけた。最悪レトルトカレーを持っていけば、職場のヤカンで温めることはできた(電子レンジなんて、そんな文明的なものはない)。

レトルトカレーがないとき、もしくは5分くらいは料理する時間があるとき、よく作ったのが「下弦の月弁当」だ。海苔と卵さえあればできる。好きなものだけで構成されている。他人から見たらかわいそうかもしれないが、食べている最中の自分はご機嫌だ。レシピというほどのものはないが、よかったら作ってみてほしい。私が高校生のころから作っている、研鑽の味だ。

【下弦の月弁当】

ごはん 弁当箱に入るだけ/海苔 1枚/卵 1個/醤油 好きなだけ

いわゆる海苔弁である。ただし私は無類の海苔好きであるため、海苔の段は出来るだけ多くしたい。ごはんは出来るだけ薄くよそう。海苔をしく。醤油をかける。またごはんを薄くよそう...の繰り返しだ。

海苔はそのままだと、箸で切れず食べづらい。なのでちぎって敷き詰めるようにするといい。これが唯一のコツだ。今はあらかじめ穴が空いている「かみ切りやすい海苔」というものが売られているので、これを使うという手もある。段々の最後は海苔で終わること。これが夜空になる。

卵を溶いて、オムレツを作る。もうお分かりだろうが、これがお月様だ。もともとは「海苔弁オムレツのっけ」だったものだが、急いでいるとオムレツのかたちなんかに構ってはいられない。ある日適当にフライパンの端に寄せて作ったぐんにゃりオムレツが、三日月のかたちに偶然なった。その日からこのお弁当は「下弦の月」という優美な名前になったのだ。上下をひっくり返せば「上弦の月弁当」にもなる。画像のオムレツが下弦でも上弦でもなくただの紡錘形だ、なんてことは気にしちゃダメだ。

時間が許せば、海苔の間にしらす干しや明太子などをはさんでもいい。三日月の隣に梅干しを丸ごと1個のせて「太陽と月弁当」にしてもいい。でも真骨頂はやはり、海苔と卵だけの静謐タイプだ。ぜひどうぞ。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇

その後、Mさんと飲む機会があった。すると「実は僕、回転寿司が苦手なんですよ。次から次へと大量に食べ物が現れるのが苦手で。昔からそう。好きな料理がひとつあればそれでいいタイプなんです」と話し始めた。

ひょっとしてお弁当とかも、おかずいっぱいは苦手でした?

「そうそう。母親にもよくおかず減らして、1種類でいいからって言ってましたね」

甘いものもいらないタイプなんですか?

「逆に甘いものが大好きで。うち、祖母が小豆を炊くのが上手だったので、それをひとりじめしたいあまりにお弁当に持ってっちゃったことがありました。あれは夢のようにおいしかったなあ」

ね。ちっとも「変」じゃない。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。