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坐禅修行の振返り

5月末からの「坐禅熊展」に向けて、前回の投稿では、仏教に興味を持った経緯や坐禅会の内容について書き、読経についての(当時の)ブログ記事をひとつ紹介しましたが、もう一つ当時書いた文章を紹介します。こちらはストレートに「座禅」についての記事になります。

その前に、漢字表記についての補足をしておきます。
座禅と坐禅、2種類の漢字表記がありまして世間では混在しています。自分はあまり意識せずに「座禅」のみ使用してきましたが、5月末からの坐禅熊展示に向けての打ち合わせの中で、僅かなニュアンスの違いを検討した上で「坐禅」のほうを使うことになりました。
展示後も「坐禅」という表記を基本にしたいと思います。
下記の記事は原文のままですので「座禅」表記を使用しています。

「座禅修行」2008年6月25日 ブログ記事

先日読経の話をしたので、某禅寺での体験を元に「座禅」の話をします。現代においては、諸宗教における修行のみならず、リラクゼーションや速読法などでも様々な「瞑想」の技術が取り入れられています。仏教の「禅」における座禅も瞑想の一種ですが、思いやイメージを消して「無」の境地をめざすタイプです。もう一つのやりかたは、逆になんらかのイメージを強く思念していく方法(誘導瞑想など)です。

座禅のルールは一つだけ。「座って、動かず、思考も止める」ことだけなのですが、これがなかなか難しい。「思考を止めよう」と思えば思うほど、様々な思いが湧いてきてしまうものです。この時点で謙虚になれれば、「人間とは自由な存在ではない」という学びを得ることができます。自分の思考すら自分でブレーキをかけることはできないのですから。

対処法としては、まず意識をなにかに集中してみます。自分の呼吸を数えたりするのです。大きく腹式呼吸しながら呼吸を数えてみる。一つ~五つぐらいまでゆっくり数えてまた一つから。これを「数息(すそく)」と呼びます。あとは何らかの呪文(マントラ)を頭の中で延々繰り返して唱えてみたりします。「南無観世音菩薩(な~む~かんぜ~おんぼ~さ~」とか・・。これらはなかなか効果的で、慣れてくると「あ、いまなんにも考えていなかったな・・」という状態が数秒~数十秒ぐらいは体験できます。そうなるとかなり気持ちがよいです。

とはいっても基本的には「修行」ですから楽ではありません。当然、冷暖房なし、冬でも堂内は裸足です。自分は気合いを入れるためにあえて冬に始めたのですが、やはり辛かった。

あと、堂内は私語禁止ですから参加者同士で言葉を交わすこともありません。何度も通えばお互い顔は覚えるわけですが、一度も話はしたことがない。これはネット上の掲示板やコミュニティとは対極の世界です。ネット上では名前や顔を知らない人同士でも会話をする。しかし座禅のときは全員の顔は見えていても全く会話はない。それでもお互いの存在を感じ「修行者として同じ方向(ブッダの方向です)を向いている。」という信頼感が漂っているのですね。自分はその感じが好きです。

日常の雑事や過剰な情報から一瞬離れる貴重な時間でしたが、気がつけば「意味」や「目的」といったものすら忘れて打ち込んでいる、「修行」とはそういうものなんだろう、と感じました。

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