大好きなウズベキスタンのこと。バザール編
ウズベキスタンのバザール(市場)について語りたい。ここに行くと、シルクロードの中心であり、商売で栄えてきたウズベキスタンの歴史を感じる。行くたびに人々のエネルギーに圧倒されていた。
美しく積み上げられたくだもの。瑞々しい緑色をした野菜。道端に並べられた色とりどりの靴や洋服。そしてすべてのものが、とにかく大量に売られている。生産する量間違えてないかな、と少し心配になるくらい。
今日は、私がバザールに行くとき、どんな気持ちでいたのかを思い出しながら書いてみる。
日曜日にはバザールへ
バザールは私が住んでいた首都タシケント市内では、アクセスに困らない程度にたくさんあった。日本で言えばイオンとかヨーカドーのような感覚で存在していた。
私は日々の食品、日用品は近所の歩いていけるバザールかスーパーで、もし近所でも揃わないものがある場合は、少し足を伸ばして大規模なバザールに行っていた。今回写真で紹介しているのはチョルスーバザール(一枚だけ別のバザールが混ざってる)といって、観光地としても有名な、中央アジア最大級のバザール。私の主観だけど、ディズニーランドが余裕で入るくらいの大きさはあるんじゃないかな。
バザールに行くのは日曜日が多かった。体力があって元気なときじゃないと行けなかった。それくらいバザールは、ウズベキスタンの人々の活力が集結している場所。
「私、バザールでどうやって買い物をしていたっけな」と思い出してみる。まず、地下鉄でチョルスーの最寄りの駅まで行く。地下鉄駅から地上に上がると、道端でものを売る人々で埋め尽くされている様子が見える。すでにバザールは始まっている。
バザールでは肉フロア、野菜フロア、乳製品フロアと種類別に分けられている。まずはくだものを買いに、食品系のものが売っている場所まで歩く。なにせディズニー並みに広いから、入口からそこにたどり着くまで10分くらいかかる。
バザールでは、売ってるものに値段が書かれていない。すべて店員に「これいくらですか?」って聞かないといけない。
いくらか教えてもらったら、今度は値段交渉に入る。値段交渉しなくてもいいんだけど、成功したら半額くらいでものが買えることもある。
ウズベキスタンの人はおしゃべり上手だし、店員は毎日交渉をして慣れている。そんな店員から値切れるようになってくるほど、自分のウズベク語スキルが上がったような気がして嬉しくなる。「今日は前より値切れた気がする」、という日は心の中でガッツポーズ。意気揚々と帰りの地下鉄に乗るのだ。
バザールの図々しさ
たとえば不要になったもの、使い倒したものでもバザールに行けば売ることができる。古びたネジとか、何かのフタとか、くたびれたホースとかもうなんでもOK。「こんなもの売れるの?」って思うけど、「この部品だけ欲しいな。安いのでいいから」っていう時、ごくごくたまーにある気がする。
「売れそうなものは売ってみよう」の精神。もしかしたらゴミのようなものでも買う人がいる?かもしれない。そんなところも商売人の魂なのか。
バザールでものを売って生計を立てる人は、貧しい人が多いと語学の先生から教わった。どんな人でもバザールで何かを売っていれば、多少なりともお金は手に入るから。確かに街で出会う人より、リッチな人には見えない。
だけど隣の店員同士でおしゃべりして、お客さんともおしゃべりして。その笑顔がすごく素敵だ。私はバザールで生きる人々から、何か大切なことを学ぶ。「人の顔ばかり見てないで、自分のしたいことをすればいいのに。」そんなことを言われている気がする。
みんなの助け合いの精神もハンパじゃない。イスラム国家でムスリムの人が多いことも理由なのかもしれない。「これ売ってるとこ知らない?」って店員さんに聞いたら、「ああ、それね」ってすぐに知り合いをたどってたどって探し出してくれることもある。
だからこそ、バザールでは自分が欲しいものを堂々と伝える図々しさがあるといい。こんな面倒くさいこと頼んで申し訳ない、と思うけど、堂々と伝えた方が店員も動きやすいみたい。
バザールでは、ウズベキスタンに住む人々の活気と、生き様が垣間見える。私はバザールに行くたびに、「多少図々しくてもいい。自分がやりたいことをやろう」と思うことができた。この気持ちを忘れないようにしよう。
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