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日々を焼き焦がす

今年に入ってからずっと、仕事が激務だった。
足りない時間で引き継いだ仕事に忙殺されながら、爆増した残業時間を受け入れ、日常生活に来す支障を少なくとどめる様に過ごした。
スケジュールだけを見ていると、今月に入って、ようやく量的な忙しさは緩和された。しかし、質的な、ストレスフルな感じは、未だに続いている。
余裕がありそうな日に限って、イレギュラー対応など、余計な横槍に破壊される。また、共同作業者と足並みが揃わず、提出締切日に投げつけられる仕事が増えた。同じスケジュールで動いているのに、また、イレギュラー対応は私が受け持っているのに、向こうがそうなる理由が今ひとつ掴めず、なかなかの精神的負荷である。

ドス黒く、瘴気を纏うような感情が、心に渦巻く!

この手のストレスは、解消しようとするだけ無駄だ。少なくとも私にとっては。結局、日々おかわりされるので。
だから、仕事をしてないときもイライラしてるな、と感じるようになったら、その感情とともにぶつかっていける事柄に頼るのがベストだ。

ドスのきいた感情を、そのままでぶつけても何かを返してくれるような、他のドス黒さと混ざり合えるよう変化させてくれるような、そんな対象。
私にとってのそれは、言わずもがな音楽で、忙殺期間中に最も意識して守った趣味の領域だった。そして、それは間違いなく正解だった。
休日にどれだけ疲れていても、音楽を聴く時間は必ず持つようにした。どんなに忙しくても、どんなに締め切りがヤバくても、それを理由にライブを飛ばすことは絶対にしなかった。仕事は明日もあるけれど、そのライブはその日だけなので、どちらが大切かは明白だ。それでも致命的な締め切り飛ばしをやらかさずに済ませられたことは、一つ自信にもなった。

そして、肉体的には少し余裕が出て来てなお精神的な負荷が減らないように感じている今。
退勤時に音楽を聴いている。
私は神経質なので、うるさい場所で音楽を聴くのが苦手だ。だから、出退勤時に音楽を聴くことをあまりしない。どんなにボリュームをあげても、隣の奴の声がデカかったりすれば、それがストレスになるからだ。
しかし、これはもしかしたら神経質な人間あるあるなのかもしれないけれど、既にそれなりのストレスを抱えていると、無敵モードみたいな錯覚を感じられる。外向きにも内向きにもバッチバチに尖り狂った感情を、まるで鎧であるかのように錯覚する現象。これを他者や社会に向けて炸裂させてる人たちが、もしかしたら無敵の人だとか呼ばれているのかもしれない。

私の場合は、その鎧の錯覚さえあれば別にそれ以上のことはどうでも良くて、錯覚に存分に騙されていればあとは音がそれをさらに強固にしてくれる。俺一人分の完全な空間が出来上がるわけです。
ただ、この感じで音楽を聴いているときは全く理性的でないので、我に返ったとき身体が動いてるな、ということもしばしばである。いつ通報されても不思議ではない!
ただ、その覚悟だけで生活における音楽係数を増やせるのであれば願ったりだ。
これは、神経質だという自覚があるゆえに感じるやりにくさを、楽しさに転換させていく試みなのだと思う。こういうのを、今後何年かかけて他の趣味にも転用していければ良い。
その鎧が我が身を灼いたとて、ストレスは消えるわけだしな。ある意味それはそれで望んだ結果なので、開き直っていつも以上の熱量で音楽を聴いている。

目標は、その炎を、赤から青に変えるイメージ。
漠然としたそのイメージを、もう少し具体化させていきたい。


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