読書感想文『ヒノマル』 著:古市憲寿

素晴らしい本だった。名著です。
コロナ禍における、生存こそを大義とし、誰が決めたか定かでない「不要不急」とされたものに対しての制限が正当化された社会。これを題材にして書かれた作品だと認識している。
古市さんの本はこれまでにも何冊か読んだことがあるが小説は初めてで、探りながら読み始めたのだが、気付けばこの話の情景の一部と化したかのような不思議なのめり込み方をしていた。

舞台は太平洋戦争中の日本。
戦時下の社会の仄暗さ、例えば、戦う相手が知らず知らずのうちに敵国から自国民になっていくといった監視社会の様子や、学ぶにつれ無意味に思え、実際にろくな精査もなされずに実施されたのであろう規制の数々や統制の手法。
この様な、教育を受ける過程で漠然と抱いていた「総力戦」に対するイメージを遥かに凌駕する、生々しくも確かに存在したのであろう出来事が、小説ならではの一人称的な視点で描かれる。正直、読むのが辛くなるシーンも一部あった。
しかし全編を通した印象としては読みにくさは全くなく、楽しく読める時間の方が圧倒的に長い。視点は一貫して主人公の勇二からのものであり、運命的な出会い(他に適切な表現が浮かばなかった)を果たした涼子、兄であり涼子の交際相手でもある優一、級友である啓介といった登場人物との関係・やりとり、またそれらを通した社会との関わりによって生じる勇二の変化・成長が読みとれる。「自分が死んでも」から、「自分も生きて」という、世の中に向き合ううえでの大切な変化に胸が詰まる。そして随所に散りばめられる、瑞々しい青春の燦き!
重苦しい戦時下という舞台とは裏腹に、主な登場人物間の会話は軽妙でテンポが良く心地良い。社会が要請する生活様式に反する娯楽を楽しむ様子も、生き生きと描かれている。それでいて、生と死、愛情という、社会背景がどうあれ存在することがらからも目を背けさせまいとする意思を感じた。

ここからは、感情的な感想。
ミルの『自由論』からの引用があり、文中でその説明がなされる前に気付いた時は嬉しかった。と同時に、この気持ち良さのためだけに知識を蓄えるようにはなるな、と釘を刺された様な気もした。
喜怒哀楽を、これでもかと刺激される文章だった。古市さんに対して私は、ものごとに対して一歩引いた位置取りをされる人だという印象を勝手に持っていたから、意外というか、この作品の氾濫する感情による構成のされ方に驚いた。ただよく考えると、個人の自由が最大限に尊重される場合というのは、社会や世間が中心に置かれたとしてもそれがどうあれ、周縁たる私たち個々の感情が抑制されないことなのだろう。果ては生き方への統制とどう対峙するかに連なるのかもしれない。
作中に、「暴力に対しては、逃げるか、許すかの二択」という涼子の言葉がある。現実で今まさに起こっている戦争を考えるとき、この言葉はとても重い。民主主義国家と、それを脅かす存在の戦いであり、民主主義を守るために命を賭する人々への賛辞を目にする。しかし、いざ自分が、民主主義を守るために命を賭して戦えと命じられたとして、どう思うのだろうか。その命令こそが暴力である、と感じるのではないだろうか。
エピローグにて、「話を複雑にしないで」という言葉がある。
私は、とくに本を読むときには、音楽を聴くことが欠かせない。しかしこの作品は音楽を侵食する力強さがあった。上手く言えないが、私にとって私の感情以外から不可侵であったそれぞれの楽曲に対する印象が、その時聴いていた楽曲ごとにこの作品のそれぞれのシーンによって更新されてしまう感覚があった。これは、人生で初めてのことだった。それほどまでにのめり込んでいたのだろう。
もちろんそのイメージを拭う必要はないのだけれど、前述の言葉によって、緩和された気がした。
音楽は音楽であり、『ヒノマル』もまた同じだ。
これは私にとって、とても大きな許しだった。
今後、「芸術」と向き合ううえでの、大切な示唆も得られた。


最後になるが、改めて、素晴らしい作品でした。
個人の世界は狭くたっていい。誰かを思う気持ちは、その広さに規定されない。
著者のいう「時代や国家に翻弄されずに」という思いに、強く共感します。
今このときに出会えたことも含めて、本当に良かった!


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