めざしたいもの、それに向けた自己分析

就活が死ぬほど嫌いだ。強いられる自己分析ほど不愉快なものはない。
だから、全くそれをしていない今、事自己を分析してやろうと思う。


音楽に携わる仕事がしたい。
もっと言えば、自分の好きなジャンルの音楽に関われれば良い。
サポーターやプロモーターといった方面から支えられれば良い。奏でることや作ることよりも、聴くことにより強い興味がある。

個人としては、自分の大好きな音楽には、より広く広く聴かれて欲しいと思う。
自分の想いを形にするのは、文字表現で行うのが好きだ。だからこうして書き続けているのだろう。
しかしどうだろう?例えば、ライブレポートを商品的に書けるかと問われると難しい。まず、完パケで覚えていられない。フロアにいるときは、ぶつかり合いに全力を注ぎたい。
かといって、セトリをなぞりながら書かれたライブレポートにどれほど意味があるのかという自問自答は未だに続いている。
まずはそこの一つの解を見つけたい。今のところは、覚えている範囲のことを書いてみて、少しずつ肉付けていく形式だ。興味があれば読んでみてくれ。
ディスクレビューはさらに修羅の道であり、そもそも製作に携わったことのない人間によるそれに、いかほどの意味があるのだろうかという思いがより強まる。評価者の様な視点で聴き出すと、その感覚がノイズにもなる。いちリスナーとして聴いた、その際に覚えた感情をそのまま文字にすることが大切なのかもしれない。
いやどうだろう。他者が書いたそれは、読んでいて楽しいのだろうか?知識を投げつけてくるような文章になってしまっては、それはそれでつまらないのだろうけれど、少なくとも音楽的な探究心は散りばめられていて欲しい。作曲家がやるレビューからは、それが強く感じられる。思考と音楽の結びつきが面白いのだ。
ひとまずそこを目指すのはありかもしれない。もっと音楽をちゃんと聴いて、考えて、深めようとする姿勢を文字にしていく。それを、聴き手の立場にこだわってやっていく。


個人としての目標は以上だ。
では、私はどの様に関わりたいのかをもっと考える。
仕事としてやるのであれば、身銭を稼がなければならない。
その為には企業に所属して働くのが早そうだと思うだろう。しかし、過去に色々な求人を探してみた経験からすると意外にそうでもなさそうだ。
(ほぼ)最低賃金のような条件が、あまりにも多い。これでは、音楽を楽しみながら生きることに対して、全く十分とはいえない。時間的・金銭的な負荷は、だいたいの人の人生を蝕む。そもそも、音楽が好きで、「音楽」の制作や流通に携わりたい人に対して、音楽を楽しめない賃金を提示されていることに対して、強く強く矛盾を感じた。
もちろん、雇う側の心情もわからない訳ではない。しかし、労働者はその心情に則る必要はない。
この表現が適切かは分からないが、音楽はもっと高価で良いと思い続けている。少しずつで良いから上がっていけば良い。そして、その業界で働く人の待遇がよくなれば良い。最低限度のそのうえの、文化的な部分を満足にやれるだけの賃金を出すために、やれることはどんどんすれば良いと思ってやまない。
最初に書いたサポーターというのは、この事も多分に含まれていて、表現者を含めた業界全体の労働環境がより良くなって欲しい。むしろそれに対する興味が大きいかもしれない。
ではその為に私自身が捨て石となり、良くない環境で身を粉にして道を切り拓く気概があるかと言われると、全くない。
人々が無理しながら働いて働いて、その先により良い世の中があると言うのなら、おそらく今がそうなっているはずだろう。しかし、現状がそうは見えない。劣悪な労働環境はそこら中に転がっており、それに苛まれる人も少なくないように感じる。多少の無理をすることには、そもそもそれが「豊かさ」のうえに立つものである必要があるのかもしれない。


だから私は、音楽に携わることを目標にした。先に仕事にするのではなく、生活に余裕をもてる環境を保ちながら、少しずつ音楽ににじり寄っていくイメージ。
自分がちゃんと生きていなければ、全てのことの意味も無くなってしまう。
その難しさを乗りこなしながら進んでいこう。

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