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どうしたら「自分ごと」になるのか

最近自分の中で追及しているテーマは、人はいかにして、対象を「自分ごと」にしていくか、ということ。

仕事で同じ依頼を受けても、自分ごとでとらえることもあれば、どこか他人ごとで作業としてこなす場合もある。会社や組織に対しても、範囲を拡大して自分ごとにできる人もいればそうじゃない人もいる。子育ても、家庭内で「手伝っている」という感覚ではなく、自分が主体であるという感覚かどうか。会社でも地域でも家庭でも友人関係でも、自分の範囲をひろげて相手に共感し、自分のことのように感じて動けるかどうかは誰もが人と生きるうえで避けられないことだと考えます。

このメカニズムについて理解を深めて、自分自身の幅を広げたいし、自分が提供している学習体験のプロセスの中でも意図的なデザインをもっと行いたいという想いがあります。また、自分が物事を進めるときや組織を前進させようとすると、共感者を増やしたり人に動いてもらう必要があるので、このテーマは避けて通れません。

いっぽうで、なぜこのテーマが難しいかというと、物事が簡単には割り切れないからでしょう。心と身体を持つ私たち人間は、ただ理路整然と、それをやる理由を伝えられたとしても簡単には動きません。自分の中での意味付けや、共感する思いが沸き上がってこなければ動けないという厄介な生き物です。そして、相手に対して一方的に施したり、何かやってあげようという気持ちではなく、自分と相手の区別がなく相互に同じひとつの主体であるかのような感覚を持てる状態が理想といえます。

コーチングでは一番深い傾聴の段階がこのイメージに近く、相手が言葉にしていない深いレベルまで聴けていて、一方向ではなく双方向に感情や価値が共有されている状態だと言えます。U理論のUの谷を下るということもここにあてはまると思いますし、フロー体験にも近しい感覚がある気がします。また、最近読んだ現象学の本に書いてあった「相互主観性」という概念もここに関わってきます。私たちは能動的に自分と相手をひとつのものとして感じ、考えることができるのです。

では、能動的に対象を「自分ごと」にしていくのに必要な条件は何なのでしょうか?鍵のひとつは、相手と共有される「場」だと考えられます。野中郁次郎先生の言葉を借りると、「対話や実践という人間同士の相互作用が起こる場所や時間や空間」ということになります。これは物理的に対面するという場に限らず、お互いに影響を及ぼし合って何かが生まれていくプロセスそのものを共有しているということでしょう。

深く対話ができてお互いの想いの部分でつながったとき、同じ目標や困難な状況を乗り越えて共有されるストーリーができたとき、私たちはひとつの主体としての感覚を持つことができます。言葉にして相手と感情や物語を共有すること、お互いの行為が自分の中に刻まれる物語になること。このあたりが大きなキーになってくる気がします。

まだまだ試行錯誤、探求は続きそうです。

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