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【雑記】占術の起源に、軽ーく想いを馳せる


まだ本格的に陰陽五行論の世界に入る前の頃。(5.6年前)
 
 当時探求していた動物占いの12種類の動物と、ホロスコープの12星座、どっちも12だけど算出の仕方は一緒なのかな?と思い興味がてらインターネットで調べてみたことがありました。

 結果としては動物の12(十二大従星)と十二星座そのものの算出の仕方は違うことは知ったものの。副産物としてそれ以上のことを知ることができました。

 まず、占星術の起源は元はエジプトにあり、(単純に申し上げると)それがヨーロッパにいきホロスコープとなり、東に行き、インドやその他土着の占術と融合して東洋の一部の占術になった、あるいはその地の占術が影響を受けた、というようなことが書かれていました。(ちなみに算命学や四柱推命にも、たとえば蔵干などに西洋占星術の影響がみられるのだとか。そのサイトは今でもみれます。色んな占術を勉強されてこられたその道の大家、先輩の方のようなので間違いないかと)

 東洋の占術が、西からきた別の占術と混ざり合いブラッシュアップ、または新しいものになった。

 これはたとえば原始仏教がチベットなどの土着の宗教などを取り入れて密教になったり、日本の古来の思想と合わさり日本独自の葬式仏教になったり、ということから類推しても、ありうることなのかもしれません。

 では、占術、その思想、、、ホロスコープや五行論の元の元はどうやって作られたのか?

 星座も五行も元は天体の動きの観察を元に作られたものです。
 一般的には、農業をするための暦作りのためや方位方角を知るためなどのために古代人が天体を観察したところから発達した、ようですが。

 ここからは私の仮説あるいは妄想となります。

 もし、超古代文明といわれるものや、異星人の知見でなく、今の何千年の文明の中でほぼ0から発達したのであれば、という前提です。

 古来の方々は現代人より並外れた感覚、エネルギーを読み取る感覚があり、その中でさらに聡明な方々がいた。
 彼らが天体の観察で、数代あるいは数十代で知見を得ながら暦を作成していったと同時に、
 別のところで生まれた別の概念、思想、発達した吉凶判断、事前観察、人間観察法、予知学などを取り入れ、統合してホロスコープや五行の元となる形が生まれた。たとえば五行と十二支を合体させ陰陽五行となったように。

 それがさらに、一旦別々の流派に分かれて独自の知見になり、それがあるところで本流に統合され進化する。あるいは別の地からもたらされた知見と合体しブラッシュアップされる。。。。。繰り返し繰り返し。そして代を経て流派にわかれる。
  
 何十年、何千年と繰り返すうちに現代の、色んな占術、流派が溢れる状況になったのではないかと思います。

 ※※※陰占の技法にしても、そもそも天中殺の概念はゾロアスター教に起源があると習いましたし、立体五行(天中殺の基本概念のひとつ。算命学の初期に習います)もそもそもインドの概念※※※
 
 私の感覚としては陰占、陽占の技術、数理法、八門法、六親法など色の違うそれぞれの占技も一人の天才が考え出したのではなく、いったんわかれでた流派ごとの天才がそれぞれ編み出し、それが後の時代にまとめあげられたように感じられるのです。もちろん、そのときに各流派の各占技をひとつの学問体系にまとめあげる天才もいたことでしょう。午未天中殺の方なのか、癸亥の方なのかはわかりませんが。。。。
 (そうでないと、同じ命式において占技ごとに真逆の読み方になることがあるのが説明できない)が、あくまで私の妄想です。

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 今回この記事を書いたのは、今週お会いした方々何名かとのお話で
 『占いの元って全部一緒かもしれないけどそのものの本質(あるいは本質のエネルギー)ってなんだろう?』というマニアックな話題になったことからです。

 たとえば算命学、四柱推命とホロスコープにしても、大雑把にいうならその方の『生まれ月の特徴』という見方はありますよね(完全に一致するわけではありませんが)。

 その本質はなんなのか? そしてそのエネルギーとな?!いずれわかるときがくるのかもしれません。


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