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お盆の時にお墓に持って行くサイズのビール「ホテル継続性/一時性」

ラブホテルの本質について誰かにできるだけ丁寧に説明しようと思うと、二冊の本を読んでいる必要があるように思える。一冊は「テリー・ピーターソン」が書いた「ラブホテル論」であり、もう一冊は「リサ・リビエラ」が書いた「ラブホテル存在論」だ。

どちらも二回りほど前の時代の本になるし、アメリカでの話になるけれど、ラブホテルで最終的に行われることはいつの時代も、どの国でも変わらないのでぜひ興味がある方は読んでみるといい。専門的な本のため、どこの図書館にもあるということはまずないので、大きな図書館に行くことをお勧めする。

この二冊は偶然にも同じ年に発表された。今となってはどちらが先に出版され、と時に論争が起きるのだけれど、そこまで重要なことではない。著者の二人もインタビューでどちらが先でも問題ないと答えている。

ポイントはこの二冊の本は根本的なことだけが異なる点だ(枝葉の部分は同じようなことを述べている)。詳しい内容は読んでもらうとして、簡単に言ってしまえば、テリー・ピーターソンの「ラブホテル論」は愛の「継続性」を結論とし、リサ・リビエラの「ラブホテル存在論」は愛の「一時性」を説いている。

「継続」の対義語は「中止」や「中断」となるので、「一時性」とはならないのだけれど、この二冊の本は反対のことが書かれていると一般的には言われている。ラブホテルにおいては継続性の反対は一時性なのだ。

簡潔に述べれば、ラブホテルで生まれる愛、あるいは行為は継続的なものなのか、一時的なものなのか、そのどちらのためにラブホテルはあるのか、ということだ。男性であるテリー・ピーターソンが「継続性」と言い、女性であるリサ・リビエラが「一時性」と言っているのが、僕の中ではポイントではないかと思う。男性はロマンティックで、女性はリアリスティックなのだ。

当時は随分と論争が起きたようで、この二人は面識がなかったそうだけれど、アメリカのあるラジオ番組で対談のようなものも行われた。二人はそれぞれの説の具体例などを述べ、それぞれが自分の説の正しさを述べた。その録音は火事で燃えてこの世から消えている。実に惜しいことだ。僕も聞いてみたかった。二冊の本を読めばわかるけれど、どちらも興味深く説得力がある論を展開している。

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栃木県の山間の温泉地に「ホテル継続性」というラブホテルがある。このラブホテルの前には白倉山を源とする川が流れ、ちょうど向かい側に「ホテル一時性」というラブホテルも存在する。川を挟んで二つのラブホテルがあるのだ。

川を挟んではいるけれど、ほんの数十メートル歩いたところに橋があるので、この二つを行き来しようと思うと難しいことではない。生まれたての子鹿だって簡単に往復できる。ラブホテルをハシゴする文化があるのかと問われれば普通はないのだけれど、地理的には簡単という話だ。橋は偉大だ、という話にもなる。

もちろんこの二つのラブホテルが向かい合って存在するのは偶然ではない。考えられて建てられたのだ。「ホテル継続性」はお城のような形をしている。ロマンチックなのだ。山間の場所なので如何せん不釣り合いな建物ではあるけれど、我々がイメージするラブホテルのお手本のような建物と言える。オーナーの男性は自分が思うラブホテルを作ったと話している。僕もそう思う。このイメージだ。

一方で対岸の「ホテル一時性」はラブホテルのようには見えない。初めての一人暮らしで住むような鉄筋コンクリート三階建てで、入り口には部屋番号が書かれた銀色のポストが三段に渡り設置されている。部屋の名前はどれも普通だ。「106」「207」「303」のように。「201」の次が「205」になることはなく、「201」の次は「202」であり、「205」の前は「204」だ。そこに遊びはない。

「ホテル一時性」のオーナーは女性だ。ここは留まる場所ではない、留まる相手でもない。もっと清潔で簡潔であることが望まれると話した。どちらのホテルも同じくらいの需要があり、二人のオーナーはそれぞれに自分のラブホテルを正解だと考えている。

おそらくそうなのだ。この二人のオーナーは結婚しているのだ。それぞれにそれぞれの役割をそれぞれにこなし、立派に二つのホテルをそれぞれに経営している。継続性と一時性は共存することができるのかもしれない。

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「ラブホテル論」を書いたテリー・ピーターソンと、「ラブホテル存在論」を書いたリサ・リビエラもまた結婚した。本を出版してから三年が経ってからのことだ。ラジオ番組で共演したことをきっかけに二人に愛が芽生え結婚に至った。先に書いたインタビューの話(どちらが先に出版されたかは関係ないという話)は、二人の結婚をニューヨークの新聞社が取材した時のものだ。継続性と一時性が結婚したわけだ。あるいはロマンティックとリアリスティックが。

リサ・リビエラは二人が出会ったラジオ番組でこう話している。
「全てにおいて入り口があり、出口がなければならない。ラブホテルには入り口があり出口がある。それは一時性を示していることになる。全ては一時的なこと。出口の先にまた別の入り口があり、人は出会う」
ある意味では正解だろう。リアリスティックなのだ。

テリー・ピーターソンもそのラジオ番組でこう話している。
「愛には入口しかない。出口はないのだ。人は失恋をするととても悲しむ。それは出口を求めていないからだ。ラブホテルはその出口のないストーリーを紡ぐ場所だ」
こちらもある意味では正解と言えるだろう。ロマンティックなのだ。

ラジオ番組はエンターテイメント性を求めるものなので、感情論的な話も多いけれど、著書ではそれぞれ理論立てて説明してある。もっとも簡単に言えば、上記のようなことになるわけだけど。

このラジオ番組は後に都市伝説のようなものも生まれた。あの映画は実は劇場で公開された時はDVD版と違い、その先に少し違う描写があるんだ、のように。このラジオ番組ではテリー・ピーターソンが「出口があるとすれば、」と語ったという話があるのだ。

その都市伝説の発端はある事件の後に書かれた本だった。もっとも全ては僕が生まれる前の話なので、読んだり、人から聞いたものだ。それに確かめようがないのだ。このラジオ番組の録音は火事で燃えて残っていないので、誰も確かめることができない。事件後に書かれた本で僕も先の発言を知った。

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「ホテル継続性」と「ホテル一時性」はご夫婦で経営しているので、二つを訪れると特典がある。お盆の時にお墓に持って行くサイズのビールがもらえるのだ。普段だとまず買わないお盆の時にお墓に持って行くサイズのビール。僕は思う。ロマンティックとリアリスティックを兼ね備えた特典だと。

お盆の時にお墓に持って行くサイズのビールは、お盆の時にお墓に持って行く時以外で買うことはまずないので、ラブホテルでもらえることは非日常でありロマンティックとも言える。非日常はロマンティックなのだ。

同時にお盆の時にお墓に持って行くサイズのビールはリアリスティックでもある。ビールは高いのだ。それに特典でなくても買おうと思えば、お盆の時にお墓に持って行くサイズのビールはスーパーでそんなに高くない価格で買えてしまう。ロマンティックとリアリスティックを兼ね備えている。

一本ではない。二本もらえる。ラブホテルを訪れた二人には嬉しいのではないだろうか。二人で一本ずつ飲めるし、お盆の時にお墓に持って行くサイズのビールは買うとしても、だいたい一本だ。二本も手元にお盆の時にお墓に持って行くサイズのビールがあることは非日常でロマンティックと言える。非日常はロマンティックなのだ。

もっともこのラブホテルに来るには車でなければ少しキツい。山間のラブホテルなのだ。つまり持って帰ることになる。お盆の時にお墓に持って行くサイズのビールは邪魔にならない。お盆の時にお墓に持って行くサイズのビールは小さいから。リアリスティックなのだ。どこまでもロマンティックとリアリスティックを兼ね備えている。

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テリー・ピーターソンとリサ・リビエラは結婚し、子供にも恵まれ、幸せな家庭を築いた。二人がどこで子供を作ったのかはわからない。自宅だったかもしれないし、ラブホテルだったかもしれない。どちらにしろ二人は幸せに暮らした。ラブホテル論もラブホテル存在論もラブホテルでの愛を論じたけれど、二人の結婚で若者の間では愛の話として語られるようになった。

継続的な愛と、一時的な愛。当時は今のようにインターネットもないし、出会いも今と比べてばもっと現実的なものだった。愛の重みが違ったのかもしれない。いや、その表現は正しくない。いつだって愛は重いはずだ。愛の方向性のエネルギーが異なっていたと言った方が正しいかもしれない。何にせよ、愛を語る時代だった。だから二人の本は話題になった。

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僕は「ホテル継続性」にも、「ホテル一時性」にも行ったことがある。もちろん一人で。

「ホテル継続性」はやはりロマンティックだった。ホテルの部屋は全てフルーツの名前になっていた。僕は「ストロベリー」を選んだ。部屋に入ると壁紙はピンクで、シーツにはストロベリーがプリントされている。テーブルにはストロベリーが二粒だけ置いてある。ベッドには天蓋があるし、照明はシャンデリアのようなものだった。僕を淡く照らした。

「ホテル一時性」はやはりリアリスティックだった。僕は「101号室」を選んだ。部屋にはグレーのシーツのベッドがあり、LEDライトが明るく部屋を照らし、冷蔵庫には自由に飲んでいい飲み物として、第三のビールと、コカでもペプシでもないコーラが入っていた。住むにはとても良さそうだった。ただラブホテルと思うと「2+2=4」であるけれど、同時に「2+2=5」であることも信じられる気がした。そのようにリアリスティックを持ち合わせていた。

帰りにこの二つのホテルを経営するご夫婦が、二本のお盆の時にお墓に持って行くサイズのビールを持って来てくれた。僕はその二本のお盆の時にお墓に持って行くサイズのビールを持って家に向かい車を走らせた。今も僕の家の冷蔵庫で、二本のお盆の時にお墓に持って行くサイズのビールは冷えているはずだ。

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テリー・ピーターソンは結婚してから数年が経った夏と呼ぶにはまだ早い季節のある夜、ニューヨークの高層ビルから飛び降りた。薄い雲に隠れていた月が姿を現し彼を、あるいは彼だったものを照らした。右手に「ラブホテル存在論」を持ち、左手には何も持たなかった。遺書も残さなかった。なんの前触れもなく、彼は飛び降り死んだ。

先に書いた「ある事件」とはこのことだ。もちろん当時は話題になり、いくつかの本も書かれた。いろいろなことを本にする時代だった。全ては憶測であり、答えはなかった。死んだテリー・ピーターソンだけが答えを知っていたけれど、彼はもう何も論じることはできなかった。自ら出口をこじ開けたからだ。

一つだけわかっていることがある。

リサ・リビエラはその後、誰とも結婚しなかった。

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