ホテルおくのほそ道
松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出かけたのは、一六八九年のことだった。江戸を出発し、俳句を詠みながら秋田まで進んだ。「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢のあと」や、「一家に 遊女もねたり 萩と月」など誰もが知る俳句を詠んだ。
そんな「おくのほそ道」を名前にしたラブホテルが岐阜県にあった。「ホテルおくのほそ道」。そのままの名前だけれど、「おくのほそ道」の終着点である岐阜にそのホテルがあることを素敵に感じる。ホテルのネーミングとしても、「おくのほそ道」にはいろいろな意味を感じることができていいように思える。
「ホテルおくのほそ道」は市街地から離れた場所にある。田んぼに囲まれ、季節にもよるけれど、僕が訪れた時はカエルの大合唱が響いていた。夜になれば蛍が飛び幻想的な世界を作り上げた。ホテル自体も電飾等は派手ではなく、景観に調和していた。
二階建ての建物は一昔前の旅館を連想させた。ホテル名の看板も行書体で、実に趣を演出していた。もしかするとラブホテルと思わないかもしれない。もちろんよく観察すれば、控えめに休憩2990円、宿泊5990円、フリータイム3990円と壁にパネルが貼ってありラブホテルとわかる。フリータイムをどうにか漢字で表現する方法はなかったものだろうか。
………
誰かが「今は何をしているの?」と僕に聞いた。三十代も後半になり、前回会ったのはいつだろうと考えると随分と頭が痛むほど会っていない人には、それ以上にない適切な質問だった。「来週は何をしているの?」ではない。「今日は何をするの?」でもない。未来を語る必要性はまるでなかった。過去か限界まで時間を進めて「今」だった。
僕は今の自分のことを話した。結婚はしていない、彼女はいない、仕事はそうだね、生活できるくらいはありがたいことにある、写真を撮ったり、動画を作ったり、原稿を書いたり、そんな仕事だね、と。あまり興味がないようだった。時間は止まっているのだ。聞いてはみたけれど興味はないのだ。
僕が話し終えると「変わらないね」と誰かは続けた。そうだね、あまり変わらない。状況も環境も仕事も何もかも変わらない。そこまで言って自分でも変わらないことに驚いた。人は変わらないのだ。それはいいことでもあるし、悲しいことでもあるように思えた。いや、悲しいことでしかないような気がした。僕は変わらないのだ。
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紐のれんをくぐり、木枠に白い薄ガラスで構成された玄関の引き戸を開けると、薄暗く、少し重い空気が立ち込めるフロントが広がっていた。土間から上がる際に靴を脱ぐか迷ったけれど、「靴を脱がずにおあがりください」と筆ペンで書かれた紙が壁に黄ばんだセロハンテープで貼られていた。脱がずに上がった。
部屋のタイプはいくつかあるようで、日焼けし色落ちした四方が少し丸まった写真が部屋の名前と共に貼ってあった。「日光」、「出羽三山」、「新庄」など芭蕉がおくのほそ道で歩いた地名が部屋の名前になっていた。その横には、もともとは従業員の上半身が見える普通のフロントだった部分に板をはり、ペットボトル二本分ほどに開けられた小窓があり、光が漏れていた。
光に向かい「平泉で」と僕が言うと、抑揚のない疲れた女性の声が「兵どもが戦っております」と言った。使われているということだろう。空いている部屋を訪ねると「敦賀と加賀です」と言われたので「敦賀」を選んだ。特に深い意味はない。敦賀に深い意味を感じるほど敦賀の知識が僕にはないのだ。
長い半透明のキーホルダーが付いた鍵が小窓から出てきて、部屋に入る際は靴を脱ぐようにと言われた。薄暗い廊下を歩き、階段を昇った。扉がいくつかあり、薄暗い廊下に一つだけ申し訳なさそうに光り輝く電球があり、そこが敦賀の部屋だった。
鍵を開けて部屋に入ると畳の部屋だった。部屋の中央にはピンク色のシーツがかかるベッドが置かれていた。どこか不釣り合いに感じるが、これがおくのほそ道なのかもしれない。何がおくのほそ道なのか、僕は語れるほど知識がない。だから、これこそがおくのほそ道ということだろう。
………
深夜、パソコンの前に座っていた。特にやることもなかった。ただ座っていた。スピーカーから知らない音楽が流れた。音楽配信のサブスクリプションで聞いているので、ランダムに音楽がかかる。世の中には僕の知っている曲より知らない曲の方が多いので、当然のこととして知らない曲はかかる。それでも好みを登録することで、自分の好みとあった曲が流れるとそのサービスは言っていた。
甘ったるい愛の歌だった。日本語だった。とても聞きやすい声で甘ったるい愛を歌っていた。僕がいつこの曲を好みと思ったのかと問いただしたくなった。でも、好みから察するにこの曲は僕の好みなのだろう。
僕の好みは甘ったるい愛であり、甘ったるい愛の歌ではないのだ。三十代後半が甘ったるい愛を好みと言っている時点でどうかと自分でも思うけれど、そうなのだ。変わらないのだ。昔から甘ったるい愛を求めている。
次の曲にスキップした。僕の知らないさっきとは違う歌手が、僕の知らないさっきとは違う甘ったるい愛を歌った。変わらないのだ。何もかも。
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ベッドの脇に小さな机があり、「感想ノート」と達筆に書かれたノートが置かれていた。よく観光地で見かけるノートだ。利用者たちが感想を書くのだろう。パラパラとノートをめくり眺めた。
日付と共に「どこが敦賀なんだよ!!!」とテンション高く荒い字で書かれていたり、卑猥な絵が描かれていたりした。僕も思った。この部屋のどこが敦賀なのだろうと。とりあえず名付けただけなのだ、たぶん、おそらく、きっと。
近代的なお風呂ではなく、タイルで作られた湯船にお湯を溜めながら、そのノートの続きを読んだ。薄暗い部屋なので文字は読みにくかった。それでもやることがないので読んだ。一人でラブホテルに来てもやることは特にないのだ。
おくのほそ道は、松尾芭蕉だけが旅したわけではない。河合曾良と一緒だった。彼が松尾芭蕉をエスコートしたのだ。きっと大変だったろうと思う。今よりもスケジュールを立てるの難しいだろうし、一緒に旅すれば嫌なところも見えてきたはずだ。実際は知らないけれど、当然のこととしてそのようなことは起きるはずだ。
河合曾良はモテたのだろうか。詳しくは知らないけれど、どこかの藩主の娘と恋仲になっていた記憶がある。おそらくモテたのだ。彼はエスコートが上手なのだ。僕とは違う。彼はスマートなのだ。僕とは違う。そんなことを考えながらぼんやりと「感想ノート」を読んだ。
しばらく読んでいるとあることに気がついた。日付の下にある感想や絵はどれも荒々しく、卑猥で、それはたとえば誰かに見せるには憚られるものばかりだった。しかし、それだけではなかった。
………
僕があの街を初めて訪れたのは高校時代だったと思う。その時は自分が三十代になることなんて微塵も想像できなかった。二十歳になることだって信じられなかった。今だって信じられない。何も当時から変わっていない。何かの書類に記入する年齢欄だけが毎年一つだけ大きくなり、私は三十代になった。
多くの三十代も私と同じなのかなと思うけれど、全然そんなことはない。働き、結婚し、子供が生まれ。私にはそのような変化もない。本当に時間が平等に流れているのか心配になる。おそらく平等ではないのだ。安部公房が何かの小説に書いていた。平等なのは死ぬことと性病になることだけだと。
人は変わらないのだ。残念なことに。変わりたいと思っても変わらない。非常に残念なことに。
………
趣味の悪いベッドから起き上がり、ベッドの脇にある明かりに近づけて「感想ノート」を読んだ。
2022/12/20
どこが敦賀なんだよ!!! エアコンの効きが悪い!!!
卑猥な絵
「秘め事で 腹上に咲く 雪の花」
詠んだ、俳句を詠んだのだ。「どこが敦賀なんだよ!!!」と悪態をつき、「エアコンの効きが悪い!!!」とラブホテルに怒っていた。卑猥な絵も描いた。しかし、急に落ち着いた俳句が書かれていた。きちんと季語も入っている。これが「ホテルおくのほそ道」の力なのだろうか。
人は秘め事が終わると俳人になるのかもしれない。あんなに荒ぶっていたのに、あんな卑猥な絵を描いていたのに、終わったからだろう、その様子を俳句にしていた。情景が浮かんでくる素晴らしい俳句だった。
人は変わるのだ。とても短時間で。さっきまでとはまるで違う人にだってなれるのだ。
その証拠にそんな感想がいくつもあった。中には荒れる、俳句、荒れる、俳句、荒れる、俳句というものもあった。休憩なのか、宿泊なのかわからないけれど、変わっていた。何度も変わっていた。どれも名俳句だった。人は変われるのだ。これが人の営みなのだ、可能性なのだ。僕はそう感じた。
お風呂の水を止めると、外からカエルの鳴き声が聞こえた。雨が降るのだろうか。あるいは、カエルもまた兵どもと戦っているのかもしれない。ここでは室内でも室外でも兵どもが戦っているのだ。
僕は窓を開けた。カエルの鳴き声が大きくなった。夕暮れだった。明日になれば変わっているだろうか、そうであって欲しいと思った。遠くで子供の笑い声がした。僕は赤く染まる空を見ながらコーヒーを飲んだ。苦味が全くないコーヒーだった。
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