失踪者を探せ!

高瀬 甚太
 
 出版社を営んでいると様々な人との出会いがある。通常は事務所の中で執筆し、編集の仕事をして過ごすのだが、時には、打ち合わせや取材などで外に出ることがある。その時はたいてい人に会う時だ。
 画家でエッセイストの加茂凪洋平という人物にアポイントを取り、取材のために神戸の元町で会うことになった。約束の時間は午後1時だった。少し早く元町に着き、商店街を西に向かって歩いた。三宮商店街ほど人通りは多くないが、私はこの商店街が好きだ。通りの幅が広くて、雑多な感じがしない。
 商店街から少し外れた場所で、旧い昔ながらの喫茶店を見つけ、その店に入った。店内は昭和を感じさせるレトロなレイアウトで、照明や飾り付けのけばけばしいところが目を惹いた。
 加茂凪洋平のアトリエは西元町商店街の一角にあり、元町商店街をもう少し西に進めば西元町商店街に至る。アトリエを訪問する時間までまだ30分あまりあった。スポーツ新聞を手に、席に着くと、老婆がオーダーを取りに現れた。
 ホットコーヒーを注文すると、老婆は会釈を一つくれてカウンター内の厨房に立つ、老人に向かって言った。
 「ホット、一つ、お願いします」
 丁寧な言い方だった。老夫婦二人でやっている喫茶店なのだろう。テーブルが七つ、カウンターが8席、三十数人ほどが入る喫茶店は、まばらだが客は入っていた。
 BGMはモダンジャズだった。軽快な曲の調べがこの店に似つかわしくないもののように思われたが、店主の趣味でもあるのだろう。名曲の数々が止むことなく流れ続けた。
 「亭主が失踪して三年になるの。警察へ届けに行こうと思っているんだけど――」
 女性の声がカウンターから聞こえてきた。店主の老人がそれを聞いている。
 「不在者の生死が七年間、明らかでない時、家庭裁判所で利害関係人の請求によって失踪宣告されるって、聞いていたけど、私の場合、どうなのかしら?」
 「普通失踪は七年間ですが、特別失踪は、船舶事故などの場合、危難が去ってから一年間ということになっています。ご主人の場合はどのような形で失踪されたのですか」
 店主が女性に説明をしている。かなり博識の人と見える。法律に則った答え方をして女性を納得させていた。
 「三年前、結婚して七年目だったのだけれど、会社へ行くのを送り出してそのまま行方不明になってしまって――。いつも午後7時ぐらいに帰宅するのに、帰って来ないからおかしいな、と思って会社へ電話をすると、今日は出社していませんと聞いて驚いて。それっきり何の連絡もないまま三年が過ぎたわ。心当たりの場所や主人の実家や関係先、友人のところなど探し回ったけれども見つからなかった。警察に届け出をして、事件の可能性もあるのでよろしくお願いします、と言ったけれど、警察からはその後も何の連絡もない。いったいどうしたものか……」
 第三者的な話しぶりは、三年の時間の経過がそうさせるのだろう。切迫した感じは、話しぶりからは感じられなかった。
 「失踪宣告がなされたら、規定により死亡したものとみなされます。ご主人の失踪にまったく心当たりがないのですか?」
 店主の問いに、女性は初めて感情を吐露する言葉を吐いた。
 「大人しい人でね。その分、私が強くならなければ、そう思って亭主を尻に敷いていたところはあったわね。やさしい人で、思いやりも深かった。浮気なんてする甲斐性もなかったし、人に恨まれることもなかった。会社でも不思議がっていたわ。責任感の強い人で、仕事を途中で放り出してどこかへ行ってしまうような人じゃなかったし、社内でも人望は厚かったと聞いています。思い当たることと言えば、私が亭主を軽んじるようになっていて、失踪する前の晩、彼を強く叱責したことぐらいかしら。ストレスが溜まっていて、何でもないことで彼を攻撃してしまったわ。――今となってはとても反省している。帰って来たらやさしい奥さんになって迎えたい。そう思っているのだけど……」
 それまでの明るかった声のトーンが暗く沈んだトーンになって、私の耳に響いた。
 「事件に巻き込まれた可能性も否定できないですね。ご主人の周辺をもう一度調査されてはどうですか? このまま後、四年も待つわけにはいかないでしょう」
 店主が女性を諭すようにして言った。女性は時々、この店の店主に話を聞いてもらいに来ているようだった。失踪した者の事情はともかくとして、遺されたものの傷は深い。ある日、突然、消えてしまったのだ。なぜなのか、そのことを考え、思うだけでも三年ぐらいの年月はすぐに過ぎてしまう。
その時、ドアが開き、一人の客がやって来た。
 「マスター、コーヒー二つ、お持ち帰りで作ってくれる。1時に客がやって来るから」
 ドアを開けるなり、男は野太い声でそう言った。どうやらこの店の常連らしい。そう思ってその男を見た私は驚いた。1時にアトリエに訪ねることになっていた加茂凪洋平であったからだ。
 「加茂凪さん!」
 私に名を呼ばれた加茂凪は、ウワッという声を上げ、私を見て言った。
 「どうしたんですか編集長、こんなところで。驚くやないですか」
元町に早く着きすぎたので、この店で時間を潰していたと告げると、加茂凪は慌てて、マスターに言った。
 「お持ち帰りのコーヒーストップ! 今日、来られるお客さんとここで会ってしまったから、ここで打ち合わせをします」
 もじゃもじゃの髪にターバンを巻いた、いかにも芸術家といった趣のある加茂凪は、屈託がなく、自由闊達な印象を受ける。
 「加茂凪さん、今日は。お久しぶりです」
 カウンターで店主に相談をしていた女性が、加茂凪に声をかけた。三十を少し超えたばかりだろうか、エキゾチックな風貌の、まるでモデルのようなスタイルの女性は、加茂凪とは以前からの知り合いのようだった。
 「高見さん、お元気でしたか?」
 加茂凪が声をかけると、高見という女性は、加茂凪に近づいてきて言った。
 「亭主が失踪して今日で三年目。マスターに愚痴を聞いてもらっていたの」
 「そうか、三年になるのか。健ちゃんはいったいどうしたんだろうね」
 加茂凪は高見の亭主とも知り合いのようだった。
 「高見さん、そんなところに立っていないで、ここに座りなさいよ。編集長、いいでしょ?」
 加茂凪とは打ち合わせがあったのだが、そんな雰囲気ではなかった。
 「構いませんよ。どうぞ」
 私が答えると、高見は、「高見晃子です」と名乗って、加茂凪の隣にそっと腰を下ろした。
 「健ちゃんからはその後、何の連絡もないのか?」
 加茂凪に聞かれた高見晃子は、首を振って、
 「何もないから困っているの」
 と肩を落として言った。
 「もう一度、調査をし直してみる必要があるんじゃないか。もしかしたら何か、事件に巻き込まれている可能性だって無きにしもあらずだから」
 加茂凪の言葉に高見晃子は同調して言った。
 「マスターにも言われたわ。もう一度再調査をしたらどうかって。その上で私も結論を出して再出発したい。このままではいつまでたっても私、立ち直れない……」
 加茂凪は高見に同情の視線を向けながら、思い付いたように、私に視線を向けた。その瞬間、私は嫌な予感がして、思わず目を逸らした。
 「高見さん、この人、出版社の編集長だけど、すごい人でね。今までたくさんの事件を解決してきているんだ。井森編集長にお願いしたら、きっと健ちゃんの所在、生と死を含めて探し当ててくれると思うよ」
 加茂凪の言葉に、高見の目が光った。私は二人を前にして、先に宣言した。
 「申し訳ありませんが、私、一介の編集長で、何の能力も力も持ち合わせていません。これまでは確かに偶然が幸いして解決することができていますが、幸運がそう何度もあるわけではありません。依頼するのでしたら、いい興信所を知っていますのでそこをご紹介します」
 だが、二人は私の言葉をまるで聞こうともしなかった。高見が私に言った。
 「お願いです。私の主人を探してください。これまで興信所にも何度か頼んだことがありますが、すべて徒労に終わっています。お願いします」
 頭を下げる二人を前にして、私は嫌な予感が的中したことを知った。
 加茂凪との打ち合わせは出版する本に掲載するイラストの件で、加茂凪が快く引き受けてくれたおかげですぐに済んだ。イラストは加茂凪が責任を持って急いで描くので、高見の主人、健ちゃんの行方を捜してほしい、と一方的に失踪人の捜索を私に押しつけた。それはまた、高見の頼みでもあった。失踪者を探すのは非常に困難なことだ。しかも、興信所が探して見つからないものが、素人の自分に見つけられるとは到底思えなかった。だが、今となっては断ることが困難で、何とかしなければ、そう思って高見に尋ねた。
 「行方不明になる以前の話を、もう少し詳しく聞かせていただけますか?」
 私の問いに高見は目を瞑り、瞑想するようなしぐさを見せた。
 
 ――私と夫が出会ったのは、友人の結婚式場に出席した時のことです。新郎の友人だった夫と同じテーブルに座り、話をして――、というよりも私が一方的に喋っただけでしたが、それで親しく付き合うようになりました。大人しく、私の話を真剣に聞いてくれる夫に好感を抱き、私の方から積極的に誘いました。でも、その頃はまだ恋愛感情とはほど遠いものでした。
 私は若い頃から自己中心的なところがあって、常に自分を中心に置いて物事を考えないと気の済まない性質でしたから、夫も大変だっただろうと思います。結婚を言い出したのは私の方で、夫ではありません。私には別に彼がいて、その男性と結婚を意識した交際をしていたのですが、ある時、その男性が私の他に別の女性と付き合っていることを知って、それで頭にきて、その男と別れ、夫を呼び出して愚痴を言っている間に気が付いたのです。私の夫にふさわしいのはこの人じゃないかって――。
 夫はやさしく思いやりがあって、決して怒らない。私をいつも温かい目で見ていてくれる。そのことに気が付いたのです。それで夫に言いました。私と結婚して欲しいと。夫は一瞬躊躇して考え込みました。私は、夫は私に夢中だと思い込んでいましたから、せっつきました。別れた男に目に物みせてやりたかったのです。
 夫は口下手ですし、お世辞にも女性にモテるようなタイプではありません。だから私のような美人になびかないはずがない。ずっとそう思い続けてきました。でも、夫が結婚の返事を返してきたのは三週間後でした。結婚が決まると、式場選びも新婚旅行、新居もすべて私が決めました。結婚生活も、ずっと私がリードしてこれまでやってきました。すべてよかれと思ってやってきたことですが、失踪された今となっては少し後悔をしています。失踪する前日も、私たちは口喧嘩をしました。夫が私に言い返すなど、これまで一度もなかったので驚きました――。
 
 ひと通り話し終えたのを待って、私は彼女に尋ねた。
 「失踪する前日、口喧嘩をしたと言われましたが、どのような内容で喧嘩をされたのですか?」
 「子供のことについてです」
 「お二人にはまだ、お子さんがいらっしゃいませんでしたよね」
 「夫が、子供がほしいと言い出したのです。子供ができないなら仕方がないけど、できるのに作らないのはおかしい。産んでくれと言いました。私は子供があまり好きではありませんでしたし、出産すれば今のスタイルを維持するのだって難しい。そう言って断りました。すると夫は怒って口を利いてくれなくなりました。その翌朝です。いつものように家を出て、そのまま行方不明になったのは――」
 高見は、見るからにお嬢様然として美しい。スタイルもいいし、背も高い。だが、家庭の主婦としてはかなり欠損したものがあるように思えた。夫の失踪もその辺りに原因があるのかも知れない。そう思った私は、夫のことを昔からよく知っている友人、知人を紹介してくれるよう、高見に頼んだ。
加茂凪もその一人だった。加茂凪は、高見晃子の夫、健一とは学生時代からの友人であったが、健一の詳細については、高見と同程度のことしか知っていなかった。無理もないと私は思った。加茂凪もまた、高見と同様に自己中心的な性格で、他人である健一のことにさほど興味を持っていなかった。
高見は、健一の会社の同僚二人と、幼馴染の一人、そして学生時代の友人である一人の名を挙げ、その程度しか知らないと言った。私が今すぐにでも、その友人たちに話がしたいと告げると、高見は携帯を使ってすぐさま連絡を取ってくれた。
 会社の同僚二人とは、会社が就業した午後7時に約束が取れた。幼馴染の一人には翌日の午前、大阪でと決まり、学生時代の友人にはこの後、すぐに大阪で会えることになった。
 場所を新阪急ホテルのロビーでと高見の学生時代の友人に指定した私は、加茂凪と高見に一旦別れを告げ、大阪行きの阪急電車に乗った。
 失踪――。事件性は否定できなかったが、健一の失踪には何等かの大きな理由があるように思えた。そのためには、高見の話だけでは心もとなかった。健一の友人たちに確認する必要があった。
 神戸元町から大阪梅田まで特急電車に乗り、健一の失踪に思いを巡らせていると、いつの間にか梅田駅に到着した。阪急梅田駅構内に近い場所に新阪急ホテルがある。人ごみを縫ってホテルに到着した私は、目印である紅い表紙の文庫本を掲げた。
 「井森さんですか? 田宮です」
 ラガーマンのような体格をした大柄な男が目の前に立った。簡単な挨拶を済ませると、私は田宮をロビー内にある喫茶店に誘った。
 「突然、すみませんね」
 と詫びると、田宮は、
 「いいんですよ。この時間は暇にしていますから」
 と笑って答えた。
 田宮は、北新地でショットバーを経営していて、営業開始が午後7時なので、この時間はいつもゆっくりしていると話し、機会があれば覗いてください、と言って私に店名を記した名刺を手渡した。
 「高見健一くんのことですが、彼が失踪して三年になります。すでに何度も質問されていることと思いますが――」
 と断って、学生時代の高見健一のことを聞いた。
 「高見は大人しい男でしたが、骨のある男です。失踪するには失踪するだけの理由があったと思います」
 「なるほどね。その高見さんですが、学生時代、お付き合いされている女性はいませんでしたか?」
 「一人いました。大学二年の時に知り合った五条正子という女性です。しかし、彼女とは大学四年の卒業前に別れています」
 「なぜ、別れたか、理由をご存じですか?」
 「理由は教えてくれませんでしたが、多分、彼女の家の問題が大きかったと思います」
 「家の問題と言いますと……」
 「彼女の実家は和歌山の旧いお寺でしたからね。彼女はその寺の一人娘で、それが原因で結婚しなかったのじゃないですかね。高見は坊主になる気がありませんでしたから」
 「高見さんは彼女と別れた後、どうでした? かなりしょげている様子でしたか」
 「そうですね。かなり落ち込んでいましたね。よほど好きだったのでしょうね、彼女のことが――」
 「卒業して二年目に晃子さんと結婚されましたが、彼女を見てどう思いました?」
 「いやあ、信じられないぐらい美人だったので驚きました」
 「大学時代に別れた彼女と比べてどうでした?」
 「大学時代の彼女はとても地味な女の子でしたからね、まるっきり正反対だったので驚きました」
 田宮は、驚いた! を連発して、二人の女性の差を表現してみせた。その後も田宮にさまざまな事柄について聞いたが、失踪については心当たりがまるでないと断言した。誰に連絡しなくても必ず自分には連絡が来るはずなのに、それも来ない。そう言って田宮は立腹した。
 田宮と別れた私は一度事務所に戻り、加茂凪に依頼するイラストの整理をして、午後7時、高見の会社の同僚二人に会った。
 高見の会社は大阪のビジネス街、本町駅近くにあった。地下鉄本町駅に近い喫茶店で待ち合わせをする約束をして店の中に入ると、すでに二人は席に座って待っていた。
 「ぼくたちも彼のことを心配していましてね。失踪するなんて普通じゃありませんからね。しかも、いい加減な奴なら別だけど、真面目で仕事熱心な高見ですから、どうなっているんだと思いましたよ」
 同僚の一人、八杉隆弘は開口一番、高見の失踪を嘆いてみせた。それはもう一人の同僚、松村将太も同様だった。
 二人の様子から、高見のことを心から心配している様子が窺われた。
 「高見さんが失踪するにあたって、何か前兆のようなものは感じませんでしたか?」
 二人に聞くと、八杉が答えた。
 「今になって思えば、もしかしたらと思うようなことはありました」
 「どういうことでしょうか?」
 「失踪する二、三日前のことです。普段、マイペースの男が急に精力的に働くようになって、次々と仕事を片づけて行くので、何だか、明日にでも会社を退職するような雰囲気だな、と笑って言ったことがあります」
 「その時、高見さんは何か言いましたか?」
 「いえ、何も言いませんでした。元々、口数は多い方じゃなかったから、こちらも気にしませんでしたがね」
 松村の方を向いて聞いた。
 「松村さんは何かお気づきになったことがありましたか?」
 「失踪する前々日、珍しく彼に誘われましてね。八杉も誘ったんですが、女房に早く帰ると約束していると言って逃げられたので、高見と二人で呑みに行きました。居酒屋でしたけど、珍しくあいつ酔っぱらって、帰り、タクシーに乗せるのが大変でした」
 「酒には弱かったんですか?」
 「弱いのは弱かったけど、あんなに酔いつぶれたのは初めて見ました」
 「二人で酒を呑んでいる時、高見さんは何か言いませんでしたか?」
 「そうですね。しきりに思い出話をしていました。年寄り臭いぞ、と言って怒ったぐらいです」
 松村は笑って言った。
 「それにしてもあいつどこへ行ってしまったんだろう」
 二人はそう言って同時にため息をついた。
 その日の夜、私は、三人から聞いた話をまとめてみた。そこで出た結論が一つだけあった。彼は間違いなく、自らの意志で失踪したのではないかということだ。
 しかし、まだ、確信ではなかった。私の勘によるものだったからだ。
 翌朝、私は高見の幼馴染に会うために大阪駅に向かった。幼馴染は、私に会うためだけに岡山からわざわざ大阪へ出向いてくれた。早めに大阪駅に着いて、中央改札口で彼を待った。
 この日も目印を紅い表紙の文庫本にした。出口から吐き出される大群を前にして、紅い表紙の文庫本を掲げると、すぐに一人の男性が私の前に立った。
 「江藤浩二です」
 小柄だが、笑顔が印象的な男性だった。私が、岡山からわざわざ出向いて頂いて申し訳ありませんと謝ると、江藤は、たまには大阪の空気も吸わないとね、と笑って答えた。
 大阪駅構内のホテルにある喫茶店で江藤と話した。
 「高見とは小学生の頃からの付き合いです。高校までは一緒でしたが、それ以後、彼は大阪の大学へ行き、私は九州の大学へ行ったので、以後、年に数回程度しか会うことができなくなりましたが、私にとって彼は生涯の友だちです」
 江藤は、高見のことを強情で意地っ張りだが責任感が強い男と表現した。高校時代は活発で委員を務めてみんなの世話をしたり、学内行事にも積極的だったが、大学へ入る頃から人が変わったように無口になり、大人しくなってしまったと語った。
 「何か原因があったのですか?」
 と尋ねると、江藤は、実家の問題が大きかったのでは、と答えた。
 「高見の両親はどちらも教師だったのですが、よく衝突していまして――。高見が高校三年の冬にとうとう離婚して、高見は母と二人で大阪に住むことになりました。その影響で、彼はガラリと変わってしまいましたね」
 江藤は、コーヒーを飲み干すと、私を見て言った。
 「でも、家庭を放り出して勝手に失踪するなんてこと、絶対にするやつではありません。失踪なんて信じられません」
 と強い口調で語った。
 「高見さんのお母さんは今、どうしていますか?」
 江藤は私の質問に顔を曇らせ、ため息を一つ、ついた。
 「高見の母は、高見が大学を卒業する直前に亡くなりました。まだ五十代でした」
 「高見さんのお父さんは岡山におられるのですか?」
 「高見の父は精神を病んで、入院しています。離婚が堪えたのでしょうね。彼は時々、見舞いに行っていたようでしたが、このところ、ずっと面会謝絶の状態が続いていると私に語ったことがあります」
 「高見さんの結婚する以前の彼女のことをご存じですか?」
 「知っています。大阪で三人で会って食事をしました。いい女の子でした。やさしくてよく気が付いて、ぼくはてっきり彼女と結婚するものだとばかり思っていました」
 「現在の奥さんと会われたことがありますか?」
 「結婚式で会いました。美人ですが、苦手なタイプですね。高見も苦手なタイプのはずなんですが――」
 「高見さんの家に行かれたことはありませんか?」
 「ないですね。呼ばれても多分、行かなかったでしょう」
 「それはなぜですか?」
 「奥さんはぼくらと一緒にワイワイやるタイプではありません。だから家に遊びに行っても楽しくないだろうな、と思いました」
 江藤の高見晃子に対する印象は芳しくないようだった。最後に江藤に尋ねた。
 「江藤さんのところに高見さんからの連絡はありませんか?」
 江藤はしばらく黙った後、私に言った。
 「ありません。きっと彼は何か事件に巻き込まれたのだと思います。ぼくはそれを心配しています。それでなければ、三年もぼくのところに連絡がないなど、信じられません」
 
 四人の友人に話を聞き終えた私は、神戸の加茂凪と高見晃子に連絡を取り、至急、会いたいと告げた。
 神戸元町の、先日の喫茶店で合流することにし、私は大阪から神戸に向かった。
 失踪――。それは自らを消し去ることではない。新しい自分を創造するためのものではないか。高見健一の失踪を追った私のそれが結論だった。
老人夫婦が仲睦まじく店を営む喫茶店に足を踏み入れると、すでに加茂凪と高見晃子が待っていた。二人は私がやって来るのを待ちかねていた様子で、異口同音に、
 「どうでしたか、何か手がかりでも見つかりましたか?」
と聞いた。
 私は二人の前の席に座り、コーヒーをホットでお願いした後、高見晃子に言った。
 「ご主人は覚悟の失踪だったと思います」
 と告げた。高見は、
 「なぜ、それがわかるのですか?」
 と聞いた。
「昨日と今日、併せて四人の友人に話を聞きました。ご主人の失踪の手がかりを得たかったからです。しかし、厳密に言うと、四人の話では何の手がかりも得られませんでした」
 「それならどうして覚悟の失踪だなんてことがわかるのですか?」
 高見が聞いた。疑問に思うのは当然のことだ。
 「四人の友人たちは、多分、健一さんにとってかけがえのない友人たちばかりだと思います。彼らの話を聞いていて、私はそのように感じました。そんな大切な友人たちに一言の言葉も残さず、彼は姿を消しています。真の友人を持ったものならわかると思いますが、せめて友には何か言い伝えておきたいものです。だが、彼はそれもしていない。私は最初、事件に、巻き込まれたのではとも考えましたが、四人の友人の言葉の中でヒントを得た私は、ある場所に連絡を取りました。そして、そこに彼がいることを確認しました」
 「彼の居所を見つけたのですか!?」
 高見が驚嘆の表情を浮かべ、身を乗り出した。
 「見つけました。ただし、彼はすでに一人ではありません。彼は私に答えました。いつかわかるのではないかと思っていました、と。でも、もう、戻る気はありませんと晃子に伝えてほしい、彼はそう言いました」
 「そんな無責任な……」
 「それは彼も、申し訳ないと言っていました。彼は、失踪する最後の日、一縷の望みを持って、あなたと話したと言いました。しかし、期待する答えが得られなかったと言っています。迷える彼が決心したのはその時だそうです」
 「意味が分からないのですが――」
 高見はそう言って首を傾げ、悲痛な表情を浮かべた。
 
 ――四人の友人の話を聞き終えた後、私はあることを思い付き、インターネットで、その場所の所在と連絡先の電話番号を調べた。
 私の予感は当たっていた。電話をすると男性が出た。私が、
 「高見健一さんですね」
 と言うと、彼は、否定することなく、
 「はい、そうです」
 と答えた。
 「高見晃子さんが探しておられます」
 と告げると、彼は一瞬、沈黙して、
 「彼女には申し訳ないと思っています。一日も早く連絡しなければ、と思いながら今日まで来てしまいました。彼女には本当に申し訳なく思っています」
 と戻る意志のないことを匂わせて答えた。
 「どうして急に失踪されたのですか。あなたなら順序を踏まえて行動できたはずなのに」
 私の言葉に彼は動揺の兆しを見せ、電話の向こうでしばらく押し黙った。
 「――大学時代、私は、五条正子という女性と交際していました。卒業を前にして別れたのは、彼女が寺の住職の一人娘で寺を継がなければならない立場だったことと、私が寺を継ぐ決心を持てなかったことで、彼女との別離を決心しました。卒業して就職し、二年目に妻と出会いました。華やかで人目を引く美貌の持ち主である妻は、結婚式で隣り合わせになった私に、なぜか積極的に声をかけて来て、その後も頻繁に電話をかけてくるなどして、ずっと友人関係が続いておりました。妻には常に数人のボーイフレンドがいて、会うたびにその男たちのことを私に相談する、そんなことが続いていたある日、彼女は、結婚を前提にして交際していた男性が浮気をしていたことを知り、激しく怒って私の元にやって来ました。そして激昂した状態で、私の部屋に泊まり、結婚しようと言うのです。彼女に好意を持っていた私ですが、結婚には躊躇するところがありました。しかし、彼女と深い関係になった私には、結婚に同意するしか術がありませんでした。少し時間を置けば考えも変わるかと思いましたが、彼女の気持ちは変わっていませんでした。この時、私は彼女も私を愛してくれている、そう信じました。でも、結婚後、しばらくして、私と結婚をしたのは、その男を見返すためだったと、彼女から聞いた時、私の中で何か大きなものが崩れたような気がしました。
 それでも不幸だったわけではありません。妻には良いところもたくさんありました。結婚は互いの心を育てる場だ、そう思い努力してきました。彼女もまた、そのように考えてくれたと思います。結婚して三年目のことです。子供がほしいと彼女に言いました。子供が産めない体なら仕方がありませんが、そうではありませんでしたから、私は妻も了解してくれるはず、そう信じていました。しかし、妻は反対しました。子供は欲しくない。体型が崩れるのが嫌だと言い、セックスもしたくない、そう言うのです。私はショックを受けました。結婚とは家族を作ること、そう考えていた私は、その時、自分の両親のことを思い出しました。
 両親はどちらも教師で、父も母も教育熱心な人でした。しかし、どちらも自我が強く、折れることをしません。私が生まれる時も一悶着あったようなのですが、二人目の子供を産む時も、産んでほしいと願う父に対して、母は承諾せず、仕事ができなくなるといって断るなどして険悪な関係に陥りました。結局、二人目は産まなかったのですが、それがしこりとなって、二人の仲が疎遠になり、やがて別れました。
 子供を産んでほしいと願うのは自分のエゴなのだろうか。悩んでいた私は、そんな時、偶然の出会いを果たしました。営業で部下と共に奈良へ出向いた私は、一休みしようと思って入った喫茶店で、大学時代に交際していた五条正子と出会ったのです。
 私が店に入って来た時、彼女はすぐに私だとわかったようです。でも、私はわかりませんでした。彼女がウエイトレスをやっているなど思ってもみなかった私は、彼女が注文を取りに傍に来ても、まるでわからず、コーヒーを注文しました。わかったのは、レジに立って金を払おうとした時です。
 私の顔をじっと見つめるウエイトレスを不審に思って見つめて――、ようやく私は五条正子であることを知ったのです。
 なぜ、こんなところに彼女が――。私が、「元気でいますか?」と尋ねると、彼女は、特徴である大きな瞳に涙を一杯浮かべて、「元気です」と答えました。
 彼女は少し疲れているように見えましたが、学生時代とほとんど変わっていませんでした。このまま別れるのもどうかと思った私は彼女に、何時に終わるかと聞きました。彼女が午後5時に終わります、と答えたので、私はその時間にもう一度来ますからと話してその店を離れました。
 営業先で仕事を済ませた私は、部下を先に帰らせ、彼女の店に行き、仕事が終わるのを待ちました。仕事を終えた彼女は、「あまり時間がありませんが……」と言いながら、私の前に座ります。
 「ご主人が帰られる時間なのですか?」
 と聞くと、彼女は、「いえ、違います」と答え、
 「子供を迎えに行かなければなりません」
 と言います。
 「子供がいらっしゃるのですか? 何歳になるのですか」
と聞くと、彼女は、
 「三歳になりました」
 と答えました。
 「三歳――?」
 大学を卒業して三年、子供が三歳ということは、大学を卒業してすぐに結婚して子供が生まれたのか、そう思った私は、
 「あれからすぐに結婚されたのですね」
 と聞くと、彼女は立ち上がり、
 「子供を迎えに行かないと」
 と言って慌てた様子で私に別れを告げようとしました。そんな彼女の姿を見て、私はハッとしました。立ち去ろうとする彼女の腕を捕まえ、
 「正子さん、教えてください。もしかしたら、その子供はぼくの子供ではないですか?」
 と聞くと、彼女はそのまま、そこに泣き崩れてしまいました。
 
 ――大学を卒業した彼女は、私と別れて一カ月後に、妊娠していることを知ったのだと言います。妊娠三カ月でした。堕胎しようと思えばできたのでしょうが、彼女は、私の子供を産みたかったと話しました。実家に帰ることができず、私にも連絡することができなかった彼女は、一人で子供を育てる決心をし、大学時代の友人を頼って奈良に着き、その友人のマンションに間借りをして子供を産み、いろんな仕事をしながら育ててきたと言います。
 私の結婚も大学時代の知人に聞いて、彼女は知っていました。
 「成長するごとにあなたに似て来て、私、産んでよかったと思ったわ」
 愛息を抱きしめながら眠るのだと語った彼女の表情は、私に会い、何もかも話したことで気が済んだのでしょう、晴れ晴れとしていました。
 子供に会わせてほしいとお願いをすると、やんわりと彼女に断られました。彼女は、
 「この子供はあなたの血を分けた子供だけれど、今はもうあなたとは無関係の子供です。あなたは、あなたの家族を大切にして、どうか幸せになってください」
 と言い、私の手を握って「さようなら」と言いました。
 二度目にその店を訪れた時、彼女はその店を退職していました。店の人に彼女の住まいを尋ねると、教えられないと言ってすげなく断られた私は、呆然自失して、しばらく店のその席を離れることができませんでした。
 私は、その時、自分が求めているものを初めて知ることができました。何としても彼女を探し出さなければ、そう思った私は、店の人に自分が彼女の何であるかを話し、これまでのいきさつを詳しく述べて、住まいを教えてくれるよう頼みました。
 店の人たちも最初は、ストーカーか、暴力亭主が彼女を追いかけてきたと思ったようで、なかなか心を開いてくれなかったのですが、私の説得が功を奏したのと、息子の顔が私によく似ているとウエイトレス仲間の一人が言ったことから、ようやく私の言い分を信じてくれ、住まいを教えてくれました。
 ウエイトレスの一人と一緒に住まいを訪ねると、彼女は小さなアパートの一室に子供と共にひっそりと暮らしていました。
 ドアを開けた彼女は驚いて、すぐにドアを閉めようとしましたが、私が、
 「きみとやり直したい!」
 と叫ぶと、力なくドアを開け、私を部屋の中へ入れてくれました。三歳になる男の子がバタバタと私のそばへ走ってきて、足にしがみついてきた時、私はその子を夢中になって抱きしめ、頬ずりをし、二度と離すまいと決心しました。
 彼女を大阪へ呼んだ私は、それでも迷っていました。彼女は、そんな私を気遣って、離婚しなくても構わないと言いましたが、子供のこともあり、将来を考えると今のままでいいはずがありません。
 悩みぬいた末に私は、妻に「子供を産んでほしい」と言いました。しかし、妻は拒否しました。その時になって、私はようやく心を決めることができたのです。翌日、私は会社へ出かけると言って家を出て、そのまま彼女の元へ行きました。
 和歌山の彼女の実家に連絡をすると、実家の両親は、長い間、消息を絶っていた娘の声を聞いて驚き、泣いて喜びました。高齢の両親を気遣う彼女の気持ちを尊重して、私たちは彼女の実家であるお寺に住むことにしました。私は僧侶になるための資格を取るために猛勉強し、学校にも行き、昨年、ようやく資格を取ることができました。今は立派な寺の跡継ぎ、僧侶です。
 妻のところへ近いうちに行き、話をしなければと思っていたところです。妻には本当に申し訳なく思っています。そのことをどうかお伝えください――。
 
 高見健一と電話で話したことのすべてを伝えると、高見晃子は、しばらく放心した様子でいたが、すぐに生気を取り戻し、「離婚証書を用意しなくちゃね」と言った。
 「失踪して気を揉んでいたことを思うと、今の方が気持ちは楽よ。――でも、生きていてくれて本当によかったわ」
 素っ気ない口調だったが、私には、彼女の健一に対する愛情がしっかりと伝わって来た。
 愛にもさまざまな形がある、そのことを知らされた失踪事件の結末だった。
〈了〉

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