令和に蘇ったお侍さん

高瀬 甚太

 日々、たくさんの客が訪れるえびす亭であったから、「こいつ、変な奴だな」と思わせるような客がいても決しておかしくない。それでも一見しただけで、「ウワッ」と声を上げるほど変な奴となると話はまた別だ。とにかく、その客と来たら時代錯誤も甚だしい。江戸時代からタイムスリップしてきたような服装、いや、服装だけではない。話す言葉も時代がかっていた。
その男がえびす亭に初めて顔を出したのは一カ月ほど前のことだ。
 ガラス戸が開いて、その男がヌッと顔を出した時、「えびす亭」はちょうど超満員の大盛況だった。満員の客たち全員の目が入り口に注がれた途端、「ワオッ」という声が期せずして上がった。
 時代劇に登場する浪人のような風体、総髪にちょんまげ、小袖は汚れたグレーの生地、裏地は黒、小袖には見たことのない文様が入っていた。薄汚れた縞模様の袴に草履、手には編み笠を持っている。
 映画のロケのついでに寄ったのではと思い、もしかしたらタイムスリップしたのではと、誰もが興味津々の表情で男を見守った。
 「ご主人、酒を一合、つけて下さらぬか。それと干物などあれば、それを焼いていただきたい」
 えびす亭は立ち呑みの店である。カウンターに客がひしめきあっている。そんな中に混じって、浪人姿の男が、平然と落ち着いた口調で酒を注文する。なんとも不思議な光景に見えた。
 赤銅色の日焼けした精悍な顔、無精ひげが顔半分を覆っている。年齢は、三十代後半から四十代半ばといったところか、マスターは、男が腰に刀を差していないことを確かめると、ぬるめの酒とイワシの干物を男の前に差し出した。
 「かたじけない」
 どこへ行っても注目されるであろうと思われる男は、他人の目などまるで気にせず、酒を口にし、干物に箸を付けた。
 「ちょっとお聞きしますが、この近くで映画のロケ、やっているのですか?」
 男の隣に立った客がぶしつけに尋ねた。
 「映画のロケ? 知り申さぬがそれがどうか致したか」
 「いえ、お宅の服装が気になったものですから」
 男って客に答えた。
 「気にせずともよいではないか。人それぞれ、事情があり申す。それより、お近づきのしるしに一献、いかがでござるか。さあ、遠慮なさらずにどうぞ」
 男は、自分の周囲にいる客たちに、気前よく酒を振る舞った。
 「お名前は?」
 別の客が男に名前を尋ねた。
 「拙者でござるか。拙者の名前は、伊藤勇之進と申す。以後、お見知りおきくだされ」
 その名前を聞いて、えびす亭の面々は、やっぱりお侍なのだ、と誰もが感心した。この時から男は、えびす亭の面々から「お侍さん」と呼ばれるようになった。

 お侍さんは、週に三日から四日ほどえびす亭に顔を覗かせるようになり、それと共に客たちとも親しくなった。中でもとりわけ親しくなったのは、西松と呼ばれる質屋の店主で、えびす亭で二人が顔を合わせると、他の客たちが口を挟めないほど二人だけの会話に熱中した。
 「そうでござるか、西松氏は近江のご出身でござったか。拙者は泉州岸和田の生まれでござる」
 「泉州岸和田と言えば、だんじりで有名なところでおますやろ。わしも桟敷で何度か見たことがおます。ええとこでんなあ、岸和田は」
 「お褒めいただいてかたじけない。拙者、生まれ故郷を褒めていただくと嬉しゅうなるでござる。どうぞ、ご一献、傾けくだされ」
 「おおきに、おおきに。それはそうと、お侍さんは、ずっと昔からそのスタイルでいらっしゃるのですか」
 「大学を卒業して会社勤めをしていた頃は普通の生活をしておりました。父親が病に倒れ、亡くなる寸前、父から話を聞かされ、以来、このスタイルを続けているのでござる」
 「お父さんが亡くなる寸前――、お父さんからいったい、どんな話を聞かされたのでっか?」
 「拙者の家系は、先祖代々、侍の家系であったと聞かされました。今でこそ百姓だが、その血筋は由緒あるものだと、父は私に話したのでござる。命の灯が潰える寸前に、父がなぜ、そのような話をするのか、不思議に思った拙者は、父にお尋ね申した。すると、父は、侍として生きるのが夢であったと話し、出来れば侍として人生を全うしたかったと涙ながらに拙者に語ったのでござる。父が亡くなり、母が父の形見だと申して、拙者に、武士の衣服を渡してくださった。それがこの衣装でござる。父の意志を継ぐのが子としての拙者の宿命ではなかろうか、そのように考えた拙者は侍の衣服を身に着けて、会社に通うようにしたのだが、上司からこっぴどく叱られ、社長からも、そのような衣服で会社に通うことはまかりならんときついお達しを受けたのでござる。おまけに、交際しておった恋人からも、一緒に歩くのが恥かしいと言われ、三行半を突き付けられ申した。この衣服で会社に通うことをやめなかった拙者は、営業から倉庫係に左遷され、その年の暮れに賞与をいただいたところで退職致したのでござる。その後、数年間に亘って流浪の旅を続けた拙者にとって、この数年間は地獄のような日々でござった。ところが捨てる神あれば拾う神ありで、拙者に声をかけてくださった社長がおり申した。その会社に勤めるようになって、ようやく拙者の生活は落ち着きを取り戻したのでござる」
 「ちなみにその会社というのは、どんな会社でっか?」
 「いや、それは――」
 お侍さんは言葉を濁して答えなかったが、西松氏は気になるらしく、その後も何度かお侍さんに尋ね、その企業がどんな会社なのかを執拗に知ろうとした。だが、お侍さんは、西松氏の希望に答えることなく、その会社の名前を秘し、決してて口にしようとはしなかった。
 五合ほどの酒を呑み、干物とおでんを数個口にしたお侍さんは、さして酔うこともなく、えびす亭を後にした。えびす亭を去る時、お侍さんは、店の客たちやマスターに、
 「ご馳走様でござる。今日はよき日でござった。また来るでござる」
 と一礼し、ガラス戸を開けて去って行った。最近では、お侍さんのその言葉を真似て店を後にする客が続出し、店での言動もお侍さんの口調を真似るものが多くなっていた。それでもそれは決してお侍さんを茶化すようなものではなく、礼儀正しいお侍さんの影響を受けてのものであった。

 還暦を過ぎて間もない西松氏は、質屋という職業柄、さまざまな骨董品やブランド品を目にする機会が多く、目利きも利いた。ある時、一人の男性が質に入れたいと言って、陶磁器を持って来た。西松氏はそれを見て、「これはすごい!」と絶句した。
 男性が持ち込んだ品は、古伊万里と呼ばれるもので、伊万里焼の中でも骨董品として価値の高いものであった。古伊万里とは、江戸時代、佐賀県有田町で焼成された、歴史的、骨董的価値のある作品で、中国の王朝、明から清へ時代が変わる時期に発生した、中国陶磁器断絶に代わる最良の品として欧州へ輸出、ヨーロッパの王侯貴族に愛された陶磁器である。
 「しばらくの間、預かってもらえないか。すぐに取りに来るから」
 と、男性は断って三百万円を借りたいと申し出た。西松氏の目から見ても、数千万円は下らない品物であったことから、「わかりました」と返答したものの、男性の様子が気になって仕方がなかった。どう見ても、高価な焼き物を保存しているような人間には見えなかったからである。
 ――もしかしたら盗品ではないか。
 西松氏は一瞬、危惧したが、結局、男性に三百万円を用立てて、古伊万里を預かることにした。
 質屋を営むぐらいだから、西松氏が資産家であることは間違いなかった。西松氏が営む質屋は西松氏で七代目になる。江戸時代後期から続いている老舗の質屋である。西松氏ほどの資産家ともなれば、豪華なクルマを所有し、大邸宅に住んで贅沢三昧しそうだが、西松氏はそうではなかった。つつましやかな生活を心がけ、資産家のかけらなどまったく見せない生活をしていた。酒を呑むにしても、えびす亭のような立ち呑み店を贔屓にしている、とても資産家のすることではなかった。
 えびす亭の中でも、西松氏が質屋を営んでいることを知っている者は数少なかった。資産家であることを知っている者となると、一人もいなかったのではないか。お侍さんも同様で、西松氏がどのような人物であるか、知らずに付き合っていた。
 
 古伊万里を預かって三週間目のことだ。西松氏の質屋に警察がやって来た。
 二人の刑事は、警察の者であることを示し、
 「この男が店に現れなかったか」
 と、手配写真を見せて聞いた。
 西松氏は、もしかしたら、と思い、不安な面持ちで手配写真を見た。古伊万里を持って来た男性とは似ても似つかない男であった。
 「見ていませんね」
 と安堵の思いで西松氏が答えると、刑事はお互いに顔を見合わせ、ガッカリした表情を隠さなかった。
 「もし、この男がこちらへやって来たら、すぐに警察に電話をしてください」
 それだけ言って二人の刑事は店を出た。
 質店に犯罪者が盗品を持ち込む可能性は非常に高い。これまでも何度か、西松氏は警察に通報して、犯人逮捕に協力したことがあった。
 午後八時過ぎに質店を閉め、西松氏はえびす亭に急ぐ。今頃の時間だとお侍さんが来ているはずであった。西松氏は、お侍さんと出会って以来、一緒に酒を呑むことが無類の楽しみになっていた。年齢も違うし、生活様式も違う。相似する部分は何もなかったが、西松氏はお侍さんの律儀な態度に好感を持っていた。
 しかし、えびす亭に入ると、お侍さんはいなかった。
 「お侍さんは来てまへんのか?」
 マスターに尋ねると、マスターは首を捻って、
 「今日はまだ来ていませんねえ」
 と答える。西松氏は仕方なく日本酒を頼み、焼き魚を注文して周囲を見渡した。
 半円形のカウンターに客が鈴なりになっている。よく見る顔もあれば、初めて見る客もいる。ぬるめに燗した日本酒を呷り、焼き魚をつつきながら、西松氏は客たちの顔に見入っていた。
 ――あれ、あいつ、どこかで見た顔だな。
 西松氏の視線が一人の男の前で止まった。記憶にある顔だが、思い出せない。苛々した気持ちで再び酒を呷り、喉の奥を酒が流れたところでようやく気付いた。
 ――今日、刑事が見せてくれた手配写真の男だ。
 西松氏は、トイレに行くふりをして店の外へ出ると、すぐに警察へ電話をした。
 ――手配写真の男が目の前にいます。早く来てください。ここはえびす亭です。
 手短に伝えると、警察は「了解しました。すぐに駆け付けます」と答え、電話を切った。
 元の場所に戻ると、手配の男は西松氏の動向に気付くことなく、ビールを口にしながら赤くなった顔で隣の客に話しかけていた。
 五分とかからず、刑事が駆けつけてきた。質店にやって来た二人の刑事は、えびす亭のガラス戸を開けると、他には目もくれず、手配写真の男を見つけ出すと、
 「金本忠雄、盗品売買容疑と窃盗の疑いで逮捕する」
 店内に響き渡る声で男を恫喝し、手錠をかけて連行した。
 店を出る時、二人の刑事は西松氏を見つけると、それとなく目で合図して出て行った。その二人の刑事が改めて西松氏の元へやって来たのは、その翌々日だった。
 二人の刑事は、逮捕に協力した西松氏に礼を述べると、事件の概要について説明をした。
 「金本は泥棒から盗品を購入し、それを売買するグループの代表格でした。彼を逮捕したことで芋づる式にグループの人間を確保することが出来ました。すべて西松さんのおかげです。ところで逮捕したグループの人間ですが、この中に西松さんの知っている人間はいませんか?」
 金本逮捕によって確保した五人の男たちの写真を刑事は西松氏に見せた。
気乗りのしない表情で写真を眺めていた西松氏の顔が一瞬、強張ったのを刑事は見逃さなかった。
 「やはり、知っている人間がいたのですね。どの男ですか?」
 西松氏は、悲壮な表情を浮かべて、二人の男の写真を指差した。
 一人は、古伊万里を質草に三百万円を西松から借りた男、もう一人は、何と、お侍さんだった。
 「この男性は、多分、盗品グループとは無関係だと思うのですが――」
 西松氏がお侍さんの写真を手に弁明すると、刑事は、
 「わかりました。よく調べてみます」
 と答え、
 「時代錯誤の奇異な人だったので、頭がおかしいのかなと思っていました。調べて何かわかれば連絡します」
 と言って、店を出て行った。
 刑事の後姿を眺めながら、西松氏は複雑な思いでいた。律儀で生き方に嘘のないように思えたお侍さんが、盗品グループの一員として捕まるなど、思ってもみないことだった。嘘であってほしい、西松氏はそう願わずにはおれなかった。
 その日の夕刊に、大々的に盗品グループ摘発の記事が載り、首謀者の金本と共に、お侍さんの写真が掲載されていた。
 その日の夜、えびす亭は、お侍さん逮捕の噂で持ちきりだった。
 「信じられないよ。あのお侍さんが盗品グループの片棒を担ぐだなんて」
 「ほんま、きっと何かの間違いよ」
 「間違いに決まっているさ。あんな堅物人間が盗品売買なんてやるはずがない」
 「警察に掛け合ってみようか。お侍さんを助けるために」
 えびす亭の客の中で、お侍さんを信じない人間は一人としていなかった。もちろん西松氏もその一人であった。
 ――明日、警察へ行って、様子を探ってみよう。お侍さんを助けてやらねば。
 えびす亭の客たちの声を聞きながら、西松氏はお侍さん救出の思いを強くしていた。
 
 翌日、早朝に西松氏は府警本部に行き、二人の刑事に面会を試みた。
しばらく待たされた後、二人の方の一人が西松氏の元へやって来た。
 「伊藤勇之進のことですね。安心してください。彼は本日、釈放されますから」
 西松氏の顔を見るなり刑事はそう言った。
 「すると、お侍さんの無実が証明されたのですね」
 西松氏が勢い込んで刑事に問うと、刑事は困ったような顔をして西松氏に答えた。
 「いや、無実とも言えないのですよ。ただ、彼は首謀者の金本に利用されていたようで、金本が盗品売買の仕事をしているとは夢にも思っていなかったようです。金本やその仲間に聞いても、あいつは真面目過ぎて役に立たないから仕事には使ってないし、無関係な人間だと口を揃えて言うので、本部と相談をして釈放することにしました」
 どのような事情であれ、お侍さんが釈放されたことは、西松氏にとって朗報だった。
 「それでお侍さんはどちらに?」
 西松氏が尋ねると、刑事が西松氏の後方を指さす。
 「そこにいます。どこへも行くあてがないようで――」
 刑事の指さす方向に、ぼんやりとした目を宙に向けて、放心状態のまま椅子に腰かけている、お侍さんがいた。
 「ありがとうございます。連れて帰りますよってに、ほんま、ありがとうございました」
 繰り返し礼を言って、西松氏はお侍さんの元へ駆け付けた。
 
 警察から歩いて数分の距離に、まだ真新しい喫茶店があった。警察関係者が集まっているのか、会社関係なのか、意外と込んでいて、座る席を探すのに苦心した。
 「かたじけないでござる」
 疲れた顔を覗かせて、お侍さんはトーストに齧りついた。
 「なんでまた、盗品グループの仲間なんかに――」
 西松氏の言葉に、お侍さんは深く頭を下げ、
 「お恥ずかしい話で、本当に面目ない。言い訳もでき申さん」
 と、コーヒーを左手に、トーストを右手にして再び頭を下げた。
 お侍さんは、金もなく職もなく、ホームレス状態で町をうろついていた時、金本に声をかけられたと言う。金本は、お侍さんを見て、気の毒に思ったのだろう。食事をご馳走し、共にサウナへ入り、そこで、お侍さんの身の上話を聞いた。
 金本は、前科数犯の泥棒上がりの男だったが、気持ちのやさしい男だったようで、お侍さんに同情して、「うちに来い」と誘った。
 盗品売買の仲間は、金本が連れてきたお侍さんを見て、「こんな変な奴、仲間にできない」と敬遠したが、金本は、「しばらくの間だ」と断って、強引にお侍さんを仲間に引き入れた。
 お侍さんは、金本たちが盗品売買をやっているなど、夢にも思っていなかったようで、命じられるままに動いていて、捕まるまでまったく気付いていなかった。
 「あいつは何もしていないから釈放してやってくれ」
 金本を含むグループ全員が、お侍さんのことを無関係な人間だと警察に申告したという。
 「拙者、父の夢をかなえるためにサムライとして生きてきたが、ここへ来て、挫折感を覚えているでござる。人と違った振る舞いをし、人と違う生き方や服装をすると、今の世の中は、つまはじきにして誰も相手にしてくれないでござる。金本氏は、盗品売買の罪で捕まり申したが、人として決して悪い男ではござらんかった。仲間の方々も同様に、最初こそ拙者のことを毛嫌いしておったが、そのうち仲良くしてくれるようになり申した。アウトローの人間、世間からつまはじきにされている人間だからこそ、拙者のような人間に愛情を持って接してくださったのでござろう。拙者、あの方々に感謝しているでござる」
 お侍さんの話を聞きながら、西松氏は感慨深い思いでいた。西松氏の先祖は、『えらぶるな、おごるな、高ぶるな』と代々家訓を残している。質屋は、物を見る目が大事なように人を見る目もまた必要とする仕事だ。えらぶったりおごったり高ぶったりしては、人を見る目が曇ってしまう。先祖は、それを強く戒めてきた。
 西松氏がえびす亭に通うのは、人を見る目を曇らせないためでもあった。えびす亭にやって来る面々の中には、社会から疎外されるか、受け入れてもらえず悶々としている人たちが多かった。その人たちと酒を酌み交わし、話をすると、曇った目がサラッと拭われることがあった。嘘偽りのない人間性が垣間見れるからである。
 お侍さんと出会った時もそうだった。スタイルこそ異様だったが、お侍さんの純粋さが西松氏にヒシヒシと伝わって来た。
 父親の残した言葉に共鳴し、父の夢を実現するために、普通の人間がサムライになった。抵抗もあっただろうし、恥ずかしい思いもしてきただろう。だが、お侍さんは、どのような苦境に陥っても堂々とサムライであり続けてきた。それもまた、立派な生き方だと西松氏は思った。西松氏もまた、お侍さんの一途な思いに共感する一人だった。父の言いつけ、先祖の言いつけをしっかりと守り、時代がどのように変わろうとも変節することなく、生きてきた。
 「拙者、サムライを卒業しようかと思っているでござる。天国にいる父親には申し訳ないが、世の中と向き合っていかないと生きられないということがようくわかり申した。しかし、サムライを捨てても、父親が望んだサムライの精神は、ずっと持ち続けるでござる」
 コーヒーを飲み終えたお侍さんが、決意の眼差しを込めて西松氏に言った。
 「拙者、父親が存命の時、自分のことで精いっぱいで親孝行らしきことは何もして来なかった。父親が亡くなる時になって初めて悔やみもうした。サムライになったのは、父のためというより、父に対する罪滅ぼしであったかも知れぬ」
 ひとり言のように語るお侍さんの言葉に西松氏はじっと耳を傾けていた。
 ――お侍さんの力になりたい。何ができるかわからないが、力になってあげたい。
 西松氏は、お侍さんを警察に迎えに行くにあたって、ずっとそのことを考えていた。お侍さんさえよければ、質屋の手伝いをしてもらってもいいし、知り合いの会社を紹介してもいい。そんなふうに考えていた。だが、お侍さんの言葉を聞いて、自分の思いがいかに傲慢であったかを悟った。
 「どんな生き方をしても、お侍さんなら大丈夫や。きっと天国にいる父親を満足させる生き方が出来るはずやとわしは思うてる。お侍さん、何かの時は力になるから頑張りや」
 喫茶店を出る時、西松氏は、お侍さんにその言葉を送った。お侍さんは、意気揚々と肩を怒らせ、アスファルト道路に草履を滑らせながら、大きく手を振って去って行った。
 
 ――古伊万里もどうせ盗品に違いない。そのうち警察がやって来るやろ。三百万円、損をした。えらいこっちゃ。
 事件の後、古伊万里を眺めながら、西松氏はそう思っていたが、不思議に何日経っても警察はやって来なかった。
 仕事に忙殺されていた西松氏が、ようやくえびす亭に顔を出したのは、お侍さんと別れて二週間後のことだ。
 ――えびす亭に行っても、きっとお侍さんは来ていないだろうなあ。
 仕事が忙しかったこともあるが、えびす亭に足を向けなくなっていた原因の一つにそれがあった。西松氏は、もう二度とお侍さんに会えないのでは、と思っていた。お侍さんがどこか遠くへ行ってしまう。そう信じて疑わなかったからだ。
 えびす亭のガラス戸を開けて店内に入ると、カウンターに群がる人たちの中に自分に向けた熱い視線があることに気が付いた。ハッとして、視線の先を見ると、一人の男性が西松氏を注視している。西松氏は、それが誰であるか、すぐには気付かなかった。男と目が合い、ようやく気付いた西松氏が、
 「お侍さん!」
 と、声を上げて近づくと、スーツにネクタイ、髪型を七三に分けた、以前の扮装とは似ても似つかないお侍さんが、西松氏に向かって大きく手を上げた。
 「お久しぶりです。なかなか見えられないので心配していました」
 言葉つきまで変わったお侍さんが、しっかりと西松氏の手を握る。西松氏は、思いがけない出会いに、涙をこらえきれなかった。
 「何やねん、その恰好。その言葉、もうお侍さんと呼べないやないか」
 西松氏が冷やかすと、お侍さんは、笑って答えた。
 「スタイルも言葉も普通に戻りましたが、精神はサムライのままですから語安心ください」
 その言葉を聞いて、西松氏は大声を上げて笑った。
 「そうか、そうか。それでこそお侍さんや」
 その夜、西松氏はお侍さんと遅くまで痛飲した。お侍さんは、IT企業に就職し、その会社の営業社員として働き始めたと語り、いずれは自分の会社を持って経営に携わりたいと西松氏に夢を語った。
 その時、西松氏はお侍さんから意外な話を聞かされた。例の古伊万里のことだ。古伊万里を西松氏の質屋に持って行ったのは、西郷幸吉という盗品グループの一員だが、あの焼き物は盗品ではないのだと、お侍さんは西松氏に語った。
 「なぜ、そんな話を知っているんや」
 と西松氏が聞くと、お侍さんは、留置場の中で西郷から聞かされたと話し、あの古伊万里は、西郷が九州に住む亡くなった祖父から形見としてもらったもので、西郷は普段からとても大事にしていたと話した。
 九州にいる一人暮らしの祖母が病気になり、病院への入院と手術の費用を作るために質屋に持って行ったと西郷から聞かされ、その時、初めて、西松氏が質店を営んでいること、資産家であることを知ったと言う。
 「わしが資産家で金持ちやとわかったら、金貸してくれとか、ご馳走してくれと言って甘えて来るものが多い。だから黙っていたんやが、あんたは何でそうせえへんかったんや」
 「西松氏が資産家だろうが金持ちだろうが、私には関係ない。こうやって一緒に呑んで話して、それが出来るだけで私は十分満足しています」
 ――お侍さんは、やっぱりサムライや。
 西松氏は、こんないい男と出会えたえびす亭に感謝した。
 「お侍さん。その西郷という男に会うことがあったら言っておいてくれ。お侍さんに免じて、古伊万里の骨董品、質流れにせんと待っておいてやる。金が出来たらいつでも取りに来いと」
 えびす亭には、今夜もたくさんの人がやって来る。さまざまな人間の思いが交錯するこの店の中で、また一つ、確かな友情が生まれたことをえびす亭の古びた暖簾に、しっかりと刻んでおきたい――。
<了>
 

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