五匹の子猫が殺された!

高瀬甚太

 野良猫が事務所の裏手に住みつき、ギャーギャーとうるさく鳴いている。最初は1匹だったものが、いつの間にか2匹になり、3匹になり、とうとう5匹に増えてしまったのでいよいよ手に負えなくなった。
 猫が嫌いというわけではなかったが、集団になると、うるさすぎて仕事がはかどらない。頭にきた私は、バケツにたっぷり水を入れて裏手に回った。
子猫ばかり5匹、固まって日向にいた。近よって来た私を見ても一向に恐れる気配がなく、逃げようともせずにじっとしている。
 その姿を見ると水をかけることなどできなくなってしまった。子猫たちはニャーゴ、ニャーゴと甘えた声を出して私にすり寄ってくる。子猫たちの母親はどこへ行ったのだろうか、姿が見えない。
 子猫の頭や背中、喉の辺りを撫でてやると、可愛い声を出し、目を細めて寝転がり足を上げて、もっともっとと私にせがむ。
 子猫の可愛さに魅入られた私は、その後も時間があれば裏手に回り、猫の世話をするようになった。そうなると、少々の煩さは気にならなくなった。今では泣き声を聞いただけで、子猫が何を欲しがっているのか、そんなことまでわかるようになっていた。
 
 三カ月ほど経った日、突然、猫の泣き声がしなくなった。気になって裏手に回ると、子猫たちの姿が見えない。周辺をくまなく探したが、やはり見当たらなかった。もしかしたら母親が現れてどこか違う場所へ連れて行ったのかもしれない。そんなふうに考えたのだが、ところがそうではなかった。
 三日後、近くにある郵便局へ向かう途中、公園で子供たちが騒いでいたので近寄って覗いてみた。子供たちが見つけたのだろう。5匹の子猫の死体が草むらの中に放置されていた。確かめるまでもなく井森の事務所の裏手に住んでいた子猫たちだった。
 5匹は何かしら劇薬を飲まされたのだろう、白い泡を吹き、横たわっていた。
 野良猫とはいえ、殺害するなんて許せなかった。怒りがふつふつと沸き上がって来た。私にすり寄り、甘えていた子猫たちの姿を思い起こし、思わず私は涙ぐんだ。犯人を究明して子猫たちに謝罪させなければ、そう考えた私は、その日から犯人捜しに取り掛かった。
 日本には動物の扱いに対して、罰則付きの虐待禁止を謳った動物愛護管理法がある。牛、馬、豚、羊、山羊、犬、猫、ウサギ、鶏、鳩、アヒル、人が占有している哺乳類、鳥類、または爬虫類に属するものを扱う上でさまざまな規制が設けられている。動物をみだりに殺し、傷つけると、懲役一年未満、または百万円以下の罰金、みだりに餌を与えたり、または給水をやめるなどして衰弱させた場合は五〇万円以下の罰金、愛玩動物を遺棄すれば、五〇万円以下の罰金となっている。
 しかし、捜査するにも手がかりが少なかった。唯一考えられたことは、子猫を殺害した犯人は、私の事務所のあるマンションに住まいするか、そのマンションで働いているかしている人間ではないかということだけだった。
子猫が飲まされた劇薬は、青酸カリなどの手に入れにくい毒薬ではなく、もっと簡単な家庭で日常的に使用されるものではないかと推理した。
 私の事務所は、梅田の繁華街から少し離れた位置にあり、ビジネス街でもなく、住宅街でもない曖昧な場所だ。近くに日本一長いと言われる天神橋筋商店街があり、天神祭が行われる神社もある。事務所が存在するのは十一階建てマンションで、私はその二階の一室を借りていた。マンションの裏手に別のビルが建っているのだが、隙間に人が一人通れるぐらいの場所がある。猫たちはその隙間に住んでいた。
 ビルとビルの谷間に子猫が住んでいることなど知っている人となると限られてくる。このマンションの住人か隣接するビルの住人ではないかと考えられた。
 なぜ、子猫を殺したのか、子猫を殺さなければならなかったのか――。思い当たるのは当初の私と同じように子猫の泣き声にわずらわしさを感じていた人物ではないかということだ。
 私の事務所のあるマンションはワンルームがほとんどで、当然、一人住まいが多かった。男性と女性の比率をみても、男性が四とすれば女性が六、比率的には女性の方が多く、事務所として使用している人は、全体の三割程度だった。一フロア十室、一階には管理人室以外なかったから、全体で一〇〇室あり、ほぼ満室だから最低でも一〇〇人程度が居住していることになる。
可能性として管理人も含めた一〇一人が考えられたが、裏手に出入りする人間となれば限られてくる。しかも猫の泣き声を気にする位置となるとさらに限定される。
 二階の一部、三階、四階、せいぜい五階の一部が関の山だろう。そうなると人数にして二十五名ほどが容疑者となる。また、隣接するビルは事務所専用のビルで、ほとんど猫の泣き声など聞こえそうにない防音設備の整った造りになっている。
 こうして私は絞った容疑者の中から子猫を殺害した犯人を捜し出すために一つの案を練った。
 
 子猫の遺体を引き取りに来てもらうため、私は子猫の死体を発見した日、保健所に連絡を取った。そこで、保健所の職員に子猫が何によって亡くなったのか、死因を調査してもらえないかと尋ねた。
 その返事が今日になってようやく届いた。
 保健所の職員は、子猫たちの体内からキシリトールが見つかったと井森に連絡をしてきた。おそらく、キャットフードにキシリトール配合の歯磨き粉を混ぜて食べさせたのではないかと、職員は教えてくれた。
 このことから私は、キシリトールによって、血液中の栄養素であるグリコースの濃度を低くし、低血糖に陥らせ、子猫たちを死に至らしめたのではないかと推理した。
 キャットフードを使用していることから、犯人は猫を飼っている可能性が考えられた。しかし、このマンションは動物を飼うことが禁じられている。果たして猫を飼っているものなどいるのだろうか。
 容疑者圏内にいる二十五室の人のうち、居住専門で借りている人が怪しいと睨んだ。そうなると一気に十二人が消え、十三人に絞られてくる。このうち八人が男性で五人が女性だった。
 猫を飼う、ということを考えた場合、どうしても女性に比重が傾むいてくる。一応、女性と限定して捜査に挑むことにした。
 二階フロアに三人の女性が住み、三階にはいなくて、四階に一人、五階に一人の女性が住んでいた。このうち、裏手に近い場所に住んでいたのは二階の住人二人だった。
 まず、その二人から調査をすることにした。
 一人目は栄美紀子と言って、三十代後半の女性で、朝8時に部屋を出て勤めに出かけ、夜は7時にきっちり帰宅し、土曜、日曜は休みのようで、どこへも出かけず部屋にいることが多かった。
 もう一人は近藤秋絵と言い、やはり三十代半ばで噂によればバツイチ、毎日、夕方になると派手な衣装をまとって出かけて行く。どうやら夜の仕事をしているようだ。
 私は二人のうち、栄美紀子が怪しいと睨み、その行動を監視した。栄美紀子を怪しいと睨んだのは、猫を飼っているのではないかと思われる生活をしていたからだ。
 生活のリズムを変えず、休日も外に出ることが少ない栄は、飼い猫を大切に思ってそうしている可能性が高かった。
 犬は散歩に連れて行き運動をさせる必要があったが、猫にはそんな必要がない。ただ、狭い室内で飼育していると猫にストレスがたまる可能性がある。そのため、部屋の中と外を行き来させる必要があるのだが、下手に外へ出すと交通事故に遭う可能性があり、野良猫と交わって病気をもらう可能性も否定できなかった。そこで、飼い主は、できるだけ猫と一緒にいるよう努め、猫のストレスを軽減してやるようにする。
 ――そうした見地に立つと、栄美紀子はその条件に見事に合致していた。
しかし、それはあくまでも私の考えであって、実際の栄はそうではなかったかもしれない。猫を飼育しているかどうかを確かめる必要があったが、その方法はとなると難しかった。栄の部屋を訪ねてみることも考えたが、訪ねる理由が見つからない。肝心の栄美紀子にマンション内で出会うことすらなかったからだ
 
 一週間が経過した。為すすべもなく時間を浪費しているうちに出版の仕事が多忙になった。子猫殺害の犯人を見つけることを忘れたわけではなかったが、ひとまず忘れて仕事に打ち込むことにした。
 ようやく一段落したのが一週間後のことだ。その日、井森は一段落した安堵感から夕刻近く、商店街の立ち呑み店に足を運んだ。とりわけ酒が強いというわけではなかったが、気分転換するのに立ち呑み店は役立った。一人でビールを呷っていると、隣に立った二人連れが何やら話を始めた。
 「それにしても子犬ほどかわいいものはおまへんなあ。女房が飼いたい言うんで買うたんやが、ほんま、子供よりずっとかわいい」
 中年の男性であった。肉体労働でもしているのだろう、筋肉質のがっしりした体つきが印象に残った。
 「子犬もかわいいけど、子猫はその倍以上にかわいいぜ。うちの娘が猫を好きで飼うてんのやが、わしまで夢中になってしもうてな。ハハハ」
 同じように中年で作業着姿の男性が今度は猫自慢を始めた。井森は思わず耳を傾けた。
 「子猫か――。子猫もかわいいやろなあ」
 子犬好きの筋肉質の中年男性がグラスの中のビールを一息に呷りながら言った。すると、作業着姿の男が、
 「ただ、娘を見ていると心配になってくるんや」
 とぼやきにも似た口調で言う。
 「何が心配やねんな。ええやんか猫好きでも」
 「違うねん。匂いや。服と言わず体と言わず、猫の匂いが染みついて取れへん」
 「そやなあ、犬と違って猫って独特の匂いがあるもんな」
 筋肉質の中年男性が同調するように言い、グラスの中のビールを一息に呷った。
 匂い――? そうだ、その方法があった。二人の会話を聞いていて、私は一つのことを思いついた。
 
 人には嗅覚の鋭い人間とそうではない人間がいる。井森の友人に、非常に嗅覚の優れた恵那俊夫という人物がいた。職業はフードコーディネーターだが、その嗅覚の素晴らしさで火災を未然に防いだことがあり、ガス漏れを防いだこともあった。そのことで警察から表彰されたことが何度かあった。井森とは、料理の本を作って以来の間柄で、何度か一緒に酒を酌み交わしたこともある。
 その彼に、栄美紀子の部屋から猫の匂いがするかどうかを確認してもらうことにした。
 「密閉されたドアから室内の匂いを確認することは難しい」と、彼は言ったが、新しい企画の話を持ち出すと、とたんにやる気になって私の事務所を訪れた。
 栄美紀子は仕事に出かけていて留守であった。誰もいない時間を見計らって、彼を栄美紀子のドアの前に立たせ、匂いを嗅いでもらった。
 「ああ、間違いない。この部屋には猫がいる」
 匂いを嗅いだ恵那は少し嗅いだだけでそう断言した。
 やはり彼女だったか――。すべて私の推理であり、根拠の乏しいものではあったが、私は、栄美紀子を猫殺しの犯人だと断定した。
 
 日曜日、午前の遅い時間、私は彼女のいる時間を見計らってドアのチャイムを鳴らした。
 彼女は鎖を付けたままの状態でドアを開け、
 「何かご用でしょうか?」
 と答えた。
「このフロアで事務所を借りている井森と申します。初めまして」
 私が挨拶をすると、彼女は怪訝な顔をして私を見た。色が白く、大人しい感じのする女性だった。とても5匹の子猫を殺害するような人間には見えなかった。もしかしたら自分の推理は間違っているのでは――、一瞬、そう疑ったほど栄美紀子はそんなものとは縁遠い人物のように見えた。
 「いきなりこんなことを申し上げて何ですが――。あなた、このマンションの裏手に住んでいた野良猫5匹をキャットフードのキシリトール入りの歯磨き粉を混ぜて殺害しましたね」
 唐突に結論を浴びせかけると、栄美紀子は一瞬たじろぎ、目を大きく見開いて私を見た。
 「言いがかりです。私は殺してなんかいません」
 「言いがかりではありません。確証があります。あなたが殺した、そうですね」
 断言するように言うと、栄美紀子は顔を真っ赤にして、
 「いい加減にしてください警察を呼びますよ」
 と叫ぶように言った。
 「私はあなたを断罪しようというのではありません。できれば、あの5匹の猫たちに謝ってほしいと思っているだけなんです。今のままでは、あの5匹の猫たちは浮かばれません。猫たちの魂が浮遊して一日も早く慰霊してほしいと子猫たちは願っています」
 「私は何もしていません。帰ってください。本当に警察を呼びますよ」
栄 美紀子が絶叫し、ドアを勢いよく閉めた。
 閉まったドアの前に立ちつくした私は、彼女の様子を見て、彼女が犯人であると改めて確信した。
 
 その日の夕方、事務所で校正作業に集中しているとチャイムが鳴った。急いでドアを開けると栄美紀子が立っていた。
 「井森さん、井森さんはどうして私が子猫を殺した犯人だと思ったのですか?」
 私は、栄美紀子を犯人であるとした論証の一部始終を丁寧に栄美紀子に話して聞かせた。じっと黙ってそれを聞いていた栄美紀子は、観念した表情で、
 「井森さんのおっしゃる通りです。私が子猫たちを殺しました」
 と意外にあっさりと自白した。
 私が推理したように、彼女は、キャットフードの中にキシリトール入りの歯磨き粉を混ぜて猫たちを低血糖に陥れて殺害した。
 「野良猫たちがしきりに私の愛猫を呼ぶんです。そのたびに私のフーガが外に出ようとして暴れます。野良猫たちがやって来るまでそんなことはなかったんです。野良猫たちが来てからというもの、フーガはひどく落ち着かなくて、暴れたり、外へ出ようとしたり、それはもう大変でした。もし、間違って外に出たら、どんな病気を移されるか、わかったもんじゃありません。それで決心しました。あの猫たちを殺そうと。井森さんがおっしゃった方法で猫たちの前にキャットフードを出すと、猫たちは先を争って食べました。しばらくして猫たちを覗くと、5匹とも冷たくなっていました。夜中、5匹の猫を袋に詰めた私はそれを公園の草むらの中に捨てました。まさか私が殺したことがばれるなんて思ってもみませんでした」
 私は彼女に聞いた。
 「どうしてすべてを話す気になったのですか? 黙っていたらわからないことなのに」
 彼女は少し考えていたようだったが、すぐに私の目を見つめて、
 「井森さんがおっしゃったでしょ、慰霊されない5匹の猫の魂が浮遊しているって。実は私、殺した猫たちが夢の中に出て来て、参っていたんです。今日、井森さんが現れて、私の罪を暴いてくださって、本当のところホッとしています。子供の頃から猫が好きで、猫のいない生活なんて考えられない私でしたから、自分の飼い猫フーガのことばかり考えて、野良猫たちのことまで思いが至りませんでした」
 と言った。
 「人間に魂が存在するように、生き物すべてに魂が存在します。野良猫だからといって殺していいというわけではありません。野良猫たちは野良猫なりに必死に生きているんです。そのことを忘れた人に生き物を飼う資格はありません」
 私がそう言い放つと、栄はその言葉を真摯に受け止めたのか、
 「罪にこそならないが、人として生き物を殺めた罰を受けたい」
 と言って、猫を飼うことをやめたいと口にした。
 「あなたが現在飼っているフーガという猫を捨てれば、また、亡くなった猫たちと同様の悲劇が起こり、野良猫の数を増やすだけです。あなたがあなたの猫を愛するような温かな気持ちで、生きるものすべてにやさしい眼差しを向けてください。それが今のあなたにとって一番大切なことです」
 と私は彼女を諭した。
 その日、私は栄美紀子と共に公園へ行き、野良猫たちを捨てた場所に花をたむけ、祈りを捧げた。
〈了〉


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