精霊たちの棲む磐座の奇跡

高瀬甚太

 K市の高台にある高級住宅地の一角に清水浩一郎の邸宅がある。ヨーロッパの城を思わせる白亜の大邸宅は、多くの高級住宅がそびえ立つこの周辺でもひときわ異彩を放っていた。
 ただ、この邸宅に住居するものは五人しかいなかった。主人の清水浩一郎と妻の弥生、娘の美里、息子の洋一郎、他にお手伝いの女性が一人、広大な敷地と部屋数三〇を超える贅沢な家屋に、この人数はあまりにも少ないような気がした。
 清水浩一郎の職業は不動産業となっていたが、彼が不動産の仕事をしているところを見たものなど誰一人としていなかった。また、一代でなぜこんな豪壮な邸宅が建てられたのか、それすらも知っている人はいなかった。すべてが秘密に閉ざされている中で、唯一わかっていることは主人の清水浩一郎が毎朝、午前一〇時、決まった時間にトヨタの「レクサスLFA」に乗って家を出ることと、妻の弥生はほとんど家を出ないこと、息子の洋一郎は海外に留学していたが、最近、帰国して、大学の研究室で微生物の研究を行っているということ。家族の中では娘の美里が一番有名で、モデルとして海外で活躍し、最近は日本の有名化粧品会社の専属モデルとして頻繁にテレビの画面やグラビアに登場していることぐらいである。
 杉本翔太とは縁もゆかりもない清水家だったが、杉本は、偶然、ある事件を通じて親しくなり、年に数回、この家のパーティに呼ばれるようになった。
 その招待状が今年も届いた。日付は一週間後の金曜日になっていた。清水浩一郎の誕生日を祝うパーティであった。
 金持ち特有の鼻持ちならないパーティであれば欠席するのだが、清水浩一郎もその妻も、息子、娘にしても、金持ちであることを鼻にかけるようなところはまったくなく、優雅だが気さくなところのある楽しいパーティだったので、杉本はいつも、呼ばれれば喜んで出席することにしていた。
 杉本が清水氏と知り合ったのは今から五年前のことだ。その頃、杉本は磐座の本を作るための取材をしていた。
 磐座とは、古神道における岩に対する信仰、あるいは信仰の対象となる岩そのものをいう。
 日本には古くからアニミズム(自然崇拝・精霊崇拝)があり、神事において神を神体である磐座から降臨させ、その依り代と神威を持って祭りの中心としたところが多かった。しかし、時代の変遷によって神殿が常設され、信仰の対象は神体から遠のき、神社そのものに移っていった。だが、たとえそうなっても、アニミズムの基本的精神は失われることなく、境内には注連が飾られ、神木、霊石が存在する。
 杉本が磐座の本の出版を考えたのは、精霊が宿る磐座の存在に古代の神秘、精霊の存在を感じたからに他ならない。古代へのロマン、精霊たちに対する思いを抱いてもらうことで、古くからの森林、山、湖、岩……、自然を大切にする機運が少しでも高まれば、そんな思いが杉本の中にあった。
 日本の国土は今、開発という名目でなしくずしに環境破壊されようとしている。幼い頃、山や谷だった場所が平地になり、住宅地となるなどは序の口で、山が切り崩されてゴルフ場になる、木々が伐採されるなど、近年の自然破壊は目を覆うものがあった。そうした破壊活動の中で多くの精霊が消えているのではないか、怒っているのではないか、杉本はそれを危惧し、精霊の存在を広く一般に認識してもらうために磐座の企画を考えた。
 通常、出版企画は機密事項で出版・発売するまで表には出さない。企画によっては、同業他社に横取りされ、先に発売されてしまうといったことがよくあるからだ。従って、杉本が磐座を取材していることはほとんど知られていないはずだった。ところがある日、杉本は、磐座に関する相談を突然受けた。その電話の主、それが清水浩一郎だった。
 「私が磐座の本を作っているということをどこでお知りになったのですか?」
 清水浩一郎に尋ねた。すると、清水は、
 「杉本さん、最近、岐阜に行かれたでしょ。岐阜の寺にある磐座の取材。そこの住職と私、友人でしてね。磐座について相談をしたら杉本さんのことを教えてくれました」
 清水は、その時、磐座で困っているのだと杉本に告げた。電話では内容がよくわからなかったので三日後の夕方、杉本は清水と会うことにした。
 清水は、大坂梅田のリッツカールトンホテルのロビーを指名した。時間は午後五時だった。顔もわからないし、素性もわからなかったので不安はあったが、持前の好奇心が働いて、その日、杉本は時間通り、ロビーに立った。
 待ち合わせの時間が近づいても清水は現れなかった。一面識もない人だ。もしかしたらすでに来ているのでは、と思ってロビーの周辺に目をやるが、人が多すぎて判断がつかない。電話では、先方が杉本を見つけると言っていたが、自分の顔をなぜ知っているのだろう。不審に思ったがあえて理由は聞かなかった。
約束の時間、きっかりに携帯電話が鳴った。
「清水です。申し訳ありませんが、大阪駅南側のロータリーに出ていただけませんか。そこにレクサスLFAを停めています」
 大阪駅の南側に出ると、トヨタのレクサスLFAが停まっていた。豪華な車だ、と感心してみていると、清水が車から降りてきて、
 「どうぞ、乗ってください」と言う。
 助手席に乗り込むと、清水が
 「申し訳ありませんが予定を変更して、杉本さんには当家においでいただきます。時間の方はよろしいですか?」
 と聞く。強引な男だとは思ったが、特別な用がなかったので、杉本は「結構です」と答えた。
 高速を三〇分ほど走り、住宅地から坂を上って行くと前方にお城のような家が見えた。
 まさか、ここが……、そう思っていると、清水の車は門をくぐりぬけて中へ入って行った。
 「これは……、家と呼べるようなものじゃないですね。まるで中世のお城ですよね。ここが清水さんの自宅なんですか?」
 清水はそれには答えず車から降りると、
 「こちらへどうぞ」
 と杉本を城の中へ招きいれた。
 「城といっても中世ヨーロッパの城とは違います。私の父は、パーティが大好きでしたからダンスを踊るホールのような場所、大勢の人が宿泊できるようにとたくさんの部屋数を用意したら、こういったお城まがいの家になったというわけです」
 しかし、招き入れられた場所はまさしく中世ヨーロッパの城であった。壮大なシャンデリアが取り付けられた玄関ロビー、そのロビーだけでも100坪を超える広さがある。清水の妻が優雅な笑顔で杉本を出迎えた。
 「杉本さんが現在制作されている磐座の件でご相談したくて今日、ここまでお出で願いました。わざわざ申し訳ありません」
 豪勢な食事を前にして、清水は要件を切り出した。何もかも一切合財が普通ではない。食卓にしても、長方形の大きな食卓を囲んで、端と端に杉本と清水が座り、食事をするといった古典的なもので、ずいぶん距離があるにも関わらず、声はよく聞こえた。
 「私の別宅がここから数キロ北に上った山間にあります。今まであまりその別宅を利用することがなかったのですが、今度、その別宅を改造して、天文科学館を作ろうかと考えましてね。私の息子が星を見るのが好きで、私も星に興味がありましたから、計画したんです。建物の改造をするについても、客を天文科学館に招き入れるにしても道路の整備が必要になりましてね。公道であれば市か県に相談してやってもらうのですが、別宅のある山全体が私の所有物で、当然、道路も私道になりますから私共で整備を行わないといけません。そこで道路を広くして、トラックが入れるぐらいの道にしようと考えました。ところが工事を依頼して作業を開始した途端に、ある場所で次々に問題が発生しまして、工事が中断しているのです。そこで私もその場所に行ってみました」
 気が遠くなるような金持ちなのだろうなと、話を聞いていて杉本はため息が出た。山を所有していて、そこに天文記念館を作るという発想にも驚かされるが、道路の整備までするとなると大変な出費だ。それをいとも簡単にやってしまうなんて、貧乏出版社の杉本には想像もつかなかった。
 「今までは草に埋もれてわからなかったのですが、道路を広げようとして整備するうちに、現場の人間がその場所に大きな岩があることに気付いたのですね。それでその岩を除けようとしますが根っこが生えたように、どのようにしても動きません。そのうち、その岩を動かそうとした現場の人間が次々と事故に遭って……。これはおかしいということになったというわけです」
 「なるほどね。それが磐座かも知れないと言うわけですね」
 「そうです。磐座であるかどうかは別にしても、現場の人間はその岩に関わると事故を起こすと信じています。実際、岩に関わった者はすべて事故に遭っています。ですから、これは間違いなく祟りのある岩だといって、最近は近寄るのさえ怖がるようになり、工事が頓挫しています」
 「なるほど、この近畿地方にもそういった岩はたくさん存在します。そのため、災いを避けるためにわざわざ岩を道路に残したままにしているところも少なくありません。この岩をそのまま残して道路を作るというわけにはいかないのですか?」
 「それも考えました。だが、山間の道ですし、すぐそばに谷があるものですから道幅に限界がありまして、岩を残すと車が一台も通れなくなってしまいます」
 「そうですか……。それは困りましたね」
 「一度、その岩を見ていただけませんか。それで何かお知恵を拝借できたらと思っているのですが……」
 「でも、私は単なる出版社の人間です。磐座の本は作ることができますが、その岩をどうにかできる力はありません。残念ですが……」
 豪華な料理を腹一杯食べ、高級ワインを口にして言うことではないと思ったが、そのような岩をどうにかできる自信など杉本にはなかった。
 「岐阜のお寺の住職にお聴きしました。杉本さんはすごい力の持ち主だと。あらゆる謎を解き明かし、多くの悪霊に対峙してきた人だと」
 杉本は即座に否定した。
 「それは岐阜の和尚の買い被りで、自分にはそんな力の持ち主ではない」
 と。だが、清水はあきらめなかった。
 「その岩を見るだけでも見ていただけませんか。明日、お昼頃、また大阪駅に迎えに伺います」
 清水の強い意志を含んだ言葉に、それ以上、反論することができなくなった杉本は、仕方なく首を縦に振って「わかりました」と返事をした。その日は、食事の後、清水が呼び寄せたハイヤーに乗って事務所に戻った。
 翌日、大阪駅で待つ私杉本を清水が迎えにやって来た。この日は自宅には寄らず、そのまま、山間の工事現場まで直行した。
 「杉本さん、ここからは歩いてもらわないといけません。道路工事の途中なので」
 と断って、山間の道の途中で清水が車を停めた。
 緑深い、鳥の声のよく聞こえるのどかな場所だった。車を停めた先に、人が一人歩けるぐらいの細い道が続いていた。
 「別宅といっても年に数回、夏の間に行くだけでしたからね。山も自然のまま、手を入れていませんので荒れ放題です。まあ、今までは誰も訪れることのなかった場所ですから無理もありませんが……」
 細い道をしばらく歩くと、問題の岩のある場所に出た。登る途中、左側に谷があり、その下を川が流れている。道路の右側を開拓していくしか方法がないのだが、その草と木に覆われた場所に問題の岩があった。杉本が思っていたよりも幾分小さな岩だった。
 「杉本さん、この岩です。この岩さえ除ければ道を広げることができて車を走らせることができます」
 岩を指さして清水が言った。現場で働く人たちもゾロゾロ集まってきた。
 「この岩を除けようとした詫間は、帰り道、車が高速でスリップ事故を起こして重傷でまだ入院していますし、同じように酒井も深田も、貴志も、この岩を動かそうとして触った人間はすべて事故に遭って瀕死の重傷を負いました。この岩は普通じゃありません。祟りのある岩です」
 現場の責任者である幸田が悲痛な表情で杉本に説明をした。
 その岩は、一見、何の変哲もない岩のように見えた。この岩から漂ってくるものも霊気ではないような気がした。では、この岩の正体は何だろう。岩を凝視したまま、杉本は考えた。
 「杉本さん、ご覧になってどうですか?」
 清水の問いかけに、杉本は、すぐには言葉が浮かばなかった。
 「清水さん、もしも、もしもですよ。この岩に精霊が宿っているとしたらどう思います?」
 清水は少し驚いたような顔をして沈黙した。長い沈黙の後、一気に語り始めた。
 「この山は祖父の代から伝わる山で、祖父が何よりも大切にしていた山です。その祖父が、私が幼い頃、よく話をしてくれたことがあります。この山は多くの精霊に守られた山だと。精霊たちが住みいいように自然を野放しにして手を入れないようにしている。この山のおかげで私たちは安泰なのだ。私たちはこの山に守られているんだ、とそういう話を度々口にしていたことを、今、精霊という言葉を聞いて思い出しました。そういえば子供の頃、私は精霊の存在を信じていました。だからこの山に来ても、私は花一つ取らなかったし、木の枝一本折らず、虫の一つも採りませんでした。傷つけることを極端に恐れていました。でも、父はそうではありませんでした。父は事業欲の塊のような人でしたから、平気で人を傷つけて経済界でのし上がっていった人です。自然を啓蒙しようなどという気持ちはまったくなかったと思います。この山だってそうです。祖父が亡くなった時、この山を一大ゴルフ場にしようと考えたことがあります。でも、その計画は頓挫しました。五十代のまだこれからという時に、父は乗っていたプライベート飛行機が墜落して命を落としてしまったからです。
 私も同じようなものです。子供の頃、持っていた自然に対する慈しみの気持ちをいつの間にか失っていた……。それを今、気付かされました」
 先祖が大切にしてきたものの正体が山に棲む精霊であるかどうかは別にして、それを意識したのか、この日を契機に、清水は天文科学館を造る計画を中止し、道路工事も中止した。
 岩はそのまま、元の場所に置かれ、山は再び元の静寂を取り戻したかのように見えた。だが、そうではなかった。それからしばらくして清水が所有するその山で山火事が起きた。
 かなり広い範囲で火が燃え広がり、清水の所有するその山のほとんどを焼き尽くして火は治まった。
 杉本はその火事のことをテレビのニュースで知った。すぐに清水に電話を入れたが、清水の携帯は不通になったまま連絡が取れなかった。
 清水から電話を受けたのは、火事から三日ほど経った朝のことだった。
 「杉本さん、ご心配かけてすみませんでした」
 案外落ち着いた声だったので安心した。
 「それにしてもひどい火事だったですね」
 労わるように言うと、清水は、火事の原因について話し始めた。
 「あの山火事は放火でした。犯人の特定はまだついていませんが、容疑者として挙がっているのは道路工事を担当していた現場の監督です。火事のあった日、近隣の人にその男が目撃されています。でも、それ以上に確信があったのは、放火の前日、その男が私の家に電話をかけてきて、私を脅迫したことです」
 「清水さんを脅迫? どうしてですか?」
 「金目当てです。工事が中途で終わって資金繰りに困ったのでしょう。私からお金を取ろうと思い、精霊の棲む山を焼野原にしたくなければ金を出せ、そう言って脅してきました。声は微妙に変えていましたが、私にはよくわかりました。話の内容とアクセントに独特のものがありましたから」
 「でも、山に放火するなんて……」
 「私と杉本さんの話を聞いて思ったのでしょう。そんなに大切な山だったら、脅せば金になるんじゃないかと。そうでなければ、精霊の棲む山なんて言い方はしないでしょう」
 なるほどと思いながら電話を切った。犯人は清水が推理していたように、道路工事の現場監督だった。
 犯人の現場監督は警察の聴取にこう語ったそうだ。
 「天文科学館の開業をやめて、道路工事も中断するような山なら、他に金儲けの種を見つけたんじゃないか、きっとここにはもっと金になるものがあるんだろうと思ってね。あの時、そばで話を聞いていたら、精霊が棲むと盛んに言っていたので、もしかしたらその精霊というやつが金のなる木じゃないかと思って脅したんだ。するとあいつ、精霊の棲む山にそんなことをしたらとんでもない目に遭いますよって、この俺様に忠告するんだ。それでおれ、腹が立って、火を点けたんだ。あいつの金儲けの種を潰してやったわけだ。ざまあみろだ」
 清水に後で聞いた話だ。その後、清水は鎮火した山で慰霊祭を行い、千年かけてでも元の山に戻すと意気込んだ。
 だから年に一回のパーティに出ると、清水は必ず山の進捗状況を画像で紹介してくれる。それが楽しみで顔を出すようなところが杉本にはあった。決して、豪華な料理目当てではないことをしっかりと伝えておきたい。
<了>

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