そう、あれは数ヶ月前でした。
随分と前のことなのに、ふと腑に落ちることってありませんか。
「あぁ、あの時のあれはこういうことだったのか」
「そういえば、あの時こんなこと言ってたよな」
と忘れた頃にやってくるあれです。
私は何でもかんでも忘れてしまうのですが、こうしてふと湧き上がってることが度々あります。
今回もそんな話です。
月に一冊本を読む
基mottのオンライコミュニティでは毎月読書をしています。
「もっと解体新書」といって、みんなで一冊の本を分けて読んだり、ただ感想をいったり、本にあるワークをしたりするオンラインの勉強会です。
勉強会といってもの、真面目に取り組むのも、ふざけて取り組むのも本人次第のとても優しい勉強会。
毎月課題図書がでるのですが、これまた自分では絶対選ばないよね、という本がたくさん。実は自分で選ばないいうのがとても大切で、そこには面白い出会いがこれまたたくさん。
人はついつい自分の好きなものに偏ってしまいます。
そもそも読みたくもなきゃ、興味もないものを買うわけがないわけで。
そんな「自分では絶対あり得ない一冊」を読む機会があるというのはなんともありがたいことです。
前置きはここまで(※前置きだったのか)
タイトルにもある通り、あれは数ヶ月前。
この解体新書というオンラインイベントで課題となった一冊の本がありました。
海からの贈物 アン・モロウ・リンドバーグ
あの単独での大西洋無着陸横断飛行を初めてしたことで著名なチャールズ・リンドバーグさんの奥さんです。
※どっちにしろ誰?って方はグーグル先生に聞いていください。
まさかの誰も読まなかった
本の課題はイベントの大体1ヶ月前に出される。
それを各自が各自のペースで読み進め、当日にシェアをするというのが毎回の流れ。ところが、この月、この本の時にまさかの事件が起こりました。
ちゃんと読み終えた人が一人もいない・・・・。
みんな本は持っている、読み初めもした。
でも、誰も読みきれていない。
衝撃の事実。
それは、それはみんなで笑いました。
こんなことがあってもいいのだろうか。
これまではみんな真面目に取り組んで、しかもとても楽しんでくれていた。
それなのに、いったい何があったのか。
本を読むということ
この本は(私はその後読破した)、文体としてはとても美しく、大変詩的と言いましょうか。文学的な表現が多く、読めない意味の分からない漢字も大変に多い。その詩的な世界観を理解したいのに、読み方の分からない、意味の深い多くの漢字に阻まれて全然前に進まない。
私は読んでみて気が付いたことがありました。
近頃の本は大変読みやすくなっているものが多いということに。
特に、自己啓発系の本、ビジネス書などは図解も多いし文字も大きめ。
パラパラとめくっても読みやすいものがとても多いように思います。
あとは、スマホで文章を読むことが多い。
スマホは一行が短く、サラサラ進みます。
いつの間にかそういった読みやすいものばかりを読んでいて、「文章」を楽しむこと、味わうことをしていなかったのかもしれないなと。
心を豊かにするには
本を読むというのは、知識を得ることと、心を豊かにすることという少し方向の違う二つの目的があるのかもしれない。
言葉から思い描く世界、感じるもの、言葉の美しさそのものを楽しむこと。これって大人になったから分かることがたくさんあるんじゃないだろうか。大人の絵本というのがありますが、それともまた違って、日本語の持つ美しさそのものを楽しめるようになれたらいいなと思うのです。
基mottは、「大人をもっと楽しもう」が大きなテーマ。
心を豊かにする、人生の余白を楽しむ。
こんな大人の楽しみ方も一つではないだろうかという気づきのある解体新書となりました。
本題
実はまだ前置きでした。
今回の本題はここからです。
この誰も読まなかった本を、しっかり最後まで読んだ私は、そこから数ヶ月経った今になって、この本に書かれていたことがしっくりきたのです。
何が書いてあったかの細いことは、もう全然覚えてないのですが、大変ざっくりざく切りで言うと、女性性についてが書かれています。
女性として、妻として、母として、自分とは。
そんなことです。
女性だからできること、女性としてのあり様。
決して、そんな聖母のようなことに気が付いたわけではないですが、ある日ふと、女性と男性には役割の違いというものがあり、それは太古の昔から連綿と続く変わらぬもので、とてもとても理にかなったものではないかとすとーんと腑に落ちたのです。
夏の間、せっせと農業に勤しんでいた私は、農家家族と共に働き、共に食べという暮らしをしていました。そこでは当たり前のように男衆が重いものを持ち、体力のいる作業をする、その傍らで、女衆は細やかさのいる作業をし、食事の準備をする。
もちろん、現代なので、男性の皆様も食事の準備も後片付けもしているし、女性陣も多少の重いものは持つし、動きもする。
しかし、大きく分けると、自然と役割が分担されていて、それがとても自然な形で動いている。
そういう状況にあると、日頃の小さなイライラとかストレスなんてものはまるでなく、それはありのままの流れに逆らっているから起こるのかもしれないなとふと思ったのです。
女性であること、男性であること、それぞれが、それぞれのありのままの役割を果たしている時、人はとても満足し充実しているのではないかな。
豊かさとはなんぞや
さっきも、基mottのテーマの一つは「心を豊かにすること」といったけれど、本は読んだり読まなかったりしても、そんなテーマがあったなと頭の片隅にちょっと置いておくだけで、こんなしっくりがやってくるから面白い。
頭の片隅にはこうして普段考えないようなことを、ちょんと置いておくのが心の豊かさにつながっていて、そんな置き場がほんの少しの人生の余白なのかもしれないな。
この夏の思い出と、誰も読まなくても解体新書のお話でした。
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