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つまらない国語の時間も悪くはなかった

国語の授業ってあんまり熱心に受けていた記憶がない。教科書を順番に朗読させられたけど、正直つまらない時間だった。黙読したらあっという間に終わるのに。まぁ、そうすると、はなっから読まない奴がいるからだろうけど。

つまらない朗読の間、好き勝手に教科書を読み進めていた。授業中に別なことをする背徳感からか、その時間がいちばん集中した読書だったかもしれない。授業はつまらないけど嫌いな時間ではなかった。

さすがに教科書の読み物ってほとんど忘れてしまったけど、不思議と「山月記」「羅生門」「こころ」(抜粋)は、よく覚えている。やはり文豪と呼ばれる人はすごいのだと思う。

特に「山月記」で李陵が語る「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」は、まるで自分のことじゃないかと心底驚いた記憶がある。ほかの人が別のところを朗読させられているときに。

そういう経験は、あとあと読書に誘われる要因になっていると思う。たとえ授業はつまらなくても、その時間に文学の面白さに気づく人間がいることは、国語教育の成果と言ってもよいんじゃないかと、偉そうに考えてみたりする。