猫を愛でる人を愛でる
猫はかわいい。
テレビで岩合光昭さんの『世界ネコ歩き』を見つけたら優先的に観る。ツイッターでは猫の写真が載っているだけでいいねを押しそうになる。
しかし、自分で猫を飼ったことはない。住環境も理由のひとつではあるが、かといって猫カフェのような場所に行きたいとは思わない。ぜんそく持ちだし、服に毛がつくのもちょっとイヤだ。
もしかしたら、猫そのものはそれほど好きでないのかもしれない。
では私は何を好き好んで猫の番組や写真を観ているのか。
猫好きというものが親しい友人たちの中にもいて、その寵愛ぶりを目のあたりに、呆れたことがあった。身も心も猫に捧げつくし、恬として恥じるところがない、と思われる場面もあった。(『ネコの客』平出隆P13)
これだ。猫ではなく猫好きを見たいのだ。
猫にぞっこんな人を、少し離れたところから客観的に愛でたいのだ。思い返せば、以前は少し冷ややかな気持ちもあった気がするが、そういう姿を愛らしいものとして受け入れられるようになったのだ。猫ではなく。
『世界ネコ歩き』は、猫がかわいいのもあるが、猫にぞっこんのカメラマンを見るのがなにより楽しい。猫を愛でる姿には嘘がない。まさに、心から「対象を愛する」(『読みたいことを、書けばいい。』田中泰延)姿を、猫を愛でる人に感じるのだ。
猫はかわいい。 いや、猫好きこそかわいい。
猫が出てくる本は私の書棚にもいくつか並んでいる。
『ノラや』(内田百閒)、『猫の客』(平出隆)、『なぜ、猫とつき合うのか』(吉本隆明)、犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい(松本ひで吉)、『寅ちゃんはなに考えてるの?』(寅次郎/前田将多訳)、『猫たちの色メガネ』(浅生鴨)。
いずれも、猫を愛でる人が、猫を愛でた経験をベースに書かれた本である。そして、いずれもちょっと狂っている(ほめている)。そこが、なんか、いいのだ。著書の偏愛を通して猫を愛らしく感じるし、猫の魔力に魅入られた気分になれる。
なお、猫といえば『吾輩は猫である』(夏目漱石)がおそらくもっとも有名な小説である。これだけはちょっと方向性が違う気がする。無条件で猫が愛される姿はそこにないのだ。漱石のすごさはそういうところにあるのではないか、などと適当なことを言ってみたが、具体的に話を広げられないので深く突っ込まないでいただきたい。