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あたまのなかのしらない世界

他人の頭の中をのぞけたら良いのになと、思うことがある。そして、次の瞬間、やっぱり見たくないと首をふる。知らない方が良いことだって、あるだろう。

目に見えるものは現実に「存在」するけれど、頭の中で考えていることは、他の人には見えない。自分以外には頭の中の「存在」を見せられないから、他人に完全に理解してもらうのは難しい。

それでも、自分が大事に考えていることを、他の人も同じように思っていることがわかると、とても嬉しいものだ。


本が好きだが、どうもエッセイだけは、昔から苦手意識があった。それがつい一昨年、作家の浅生鴨さんの『雑文御免』を読んで、とても心に響いて楽しかった。

浅生鴨さんのエッセイはどれも響いた。エッセイって面白いと思って、別の方のエッセイに手を出したが、そうでもなかった。

その後、あるとき浅生鴨さんのツイートを見かけて、とても腑に落ちた。

たぶんエッセイって、同じように世界を見ている、見ようとしている仲間を見つけるためのツールなんだよね。

私の場合は、浅生鴨さんの見ていること、見ようとしていることに共鳴したといえるのだろう。この場合、あくまで私の中だけでのことだが。

あわなければ、それは仕方ない、無理はしなくて良いのだ。



私が毎日だらだら続けているnoteも、しいて分類すればエッセイになるのだろう。

読んで♡を押してくれている人は、間違いなく素晴らしいです。絶賛します。私も大好きです。良いことあります。