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読みたいことが書けるように、まずは書くことに慣れる

田中泰延著『読みたいことを、書けばいい。』何回目かの読了である。

「#読書の秋2020」課題図書のうち数少ない既読本だったのだけど、過去に読んだだけでイベントに参加する感じになるのはズルいような気がしたので、再度通読した。真面目か。

この本の場合、Web上の感想文は著者と編集者にすぐ見つかってツイートされてしまうという、プレッシャーがある。イベント最終日になってしまった。手に汗握っている。失礼がございましたら何卒ご容赦ください。


本書をはじめて読んでから一年以上経つが、SNSやブログなどでたくさんの人が感想を寄せていて、特に書くことを生業としている方にも衝撃を与えているのが印象的だった。はて、私が何を書けるのか。



本書は、プロの書き手にとってさえ、書くことについての姿勢を立ち止まって考えさせる力があるようだ。

そういった自己を振り返るような感想を書いている人たちは、本質的に真摯な書き手なのだと思う。そういう人の文章はたいてい心地よい。そういう書き手がこの本を評価している。

そういう本だ。

私はどうだ。どうでしょう。

ひとのことはどうでもいいのである。私は私のために書くので。


最初に読んだのは発売間もない昨年7月だった。ナンセンスで粋なギャグにニヤニヤしながら読んだが、内容は極めて本質的である。徹底して調べて考察を少し乗せる。学術論文の姿勢と全く同じである。

本書で引かれている利根川進(文中では「利根川博士」)の著書は、学生時代に感銘を受け、就職してからもその印象を大事にしている。私が当時読んだのは立花隆との対談『精神と物質』であったが、そこでは、最初に打ち立てた仮説が違うと、同じデータを得たとしても解釈が全く異なり正しい結論にたどり着けない、正しい仮説こそが重要、というような内容を、実体験とともに語っていた。ずっと肝に銘じている。それが本書に出てきて驚いた。

有能な科学者とそうでない科学者の差は、最初に立てる仮説の違いである。

まさにこれだ。私が当時受けたメッセージをここで読めると思わなかった。ずっと肝に銘じていると言ったが、実はその頃しばらく忘れていた。これを読めただけで、大事な本になった。


読みやすいだけでなく、読むたびに新しい発見があり、言葉の隅々から知性を感じる。本文中に夏目漱石についての記述がある。

それ、夏目漱石が、百何十年も前にほとんどやっている。

今年に入って、遅ればせながらこの歳になって、『猫』から順にようやく『門』まで読みすすめてきた。そうしてから再読すると、ここに書いてあることがスッと理解できた。ようやく書いてあることの意味がわかってきた(ような気になっている)。

(ギャグ以外は)無駄のない端的な文章の裏に、どれだけの読書量と知識の蓄積があるのか。気が遠くなる。

本書のおかげで積み本も一気に増えた。参考文献を読んでから戻ってくるたびに新しい発見がある。自分の経験値に応じて謎が少しずつ解けていくようで、非常に奥が深いのである。

こういう本って、なかなかないんじゃないだろうか。


そして、とにかく何か書いてみようか、と背中を押してくれた本だ。

正直言って「読みたいこと」を書くような力はない。だけど書いてみたいと思わせてくれる。

書いてみたいと思った、ということは、まだ書くことに慣れていないからだろう。まだ私はその段階だと思った。書くことの経験を積む期間が必要ということなのだろう。

書くことが怖くなったときが、その次の段階に入った証なのかもしれない。


これからも、折に触れ手にするだろう。有り難い本である。

途中で必ずたい焼きが食べたくなるのは、ちょっと困るが。

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