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2日間のワンオペ育児で気づく緩やかな依存


街がだんだんクリスマスな雰囲気になりつつある今日この頃。
息子の体調不良と旦那さんの子育て1日開放デーが重なり、
2日間連続で旦那さん無しオペレーションをすることになった。

ありがたいことに、義母や実兄家族が近くに住んでいるので、
躊躇することなく助けを求め、
ワンオペで回さないといけない時間は最小限にとどめられたものの、
体調が悪くて保育園から帰ってきた息子を見て、
2歳0歳を2日間、親が私しかいない状況で見るのかあ。結構しんどいなあ。
と戦々恐々としていた。

そして2日間、バタバタと愛子2人と過ごし切り、ふと
私、この2日間割と平穏に幸せに過ごしたな??
と振り返った時に気づいたことは
もし明日、旦那さんが私達の前から忽然と姿を消したとしても
2人の子どもを育てていけるくらいには
周りの人は協力してくれるし、私のキャパシティも広がっている、
ということだった。

と、同時に、
思っている以上に、幸せを旦那さんに依存していたんだなぁ、
ということに気がづいた。

もちろん、旦那さんがいてくれると
育児の大変さは何割減にもなるし、
家族が揃っていると幸せだな、と思うので
家族とこれからも一緒に暮らせたら幸せだなと思っている。
でも、それとは別軸で、
旦那さんがいないととても大変である。または、
旦那さんがいないと幸せじゃない。という状況を
この2日間で抜け出せれたような気がしている。

緩やかな依存というか、なんというか。
確かに、「病める時も、健やかなる時も」を誓い合った仲なので、
旦那さんのことはとても好きだし、一緒にいるととても心地よい。
(私達は人前式で、病める時も健やかなる時もは誓わなかったが)
だけど、時間の流れと無意識は怖いもので、
一緒にいるだけで心地よく楽しかった人は、いつの間にか
いて当たり前の存在となり、いつの間にか
私や、子ども達を幸せにしてくれる人、この人がいないと幸せになれない、
に変換されていたようだ。


依存と頼る、の境界線は人により違うのだろうなと思うけど、
永遠を誓い合った夫婦間や、血を分ける親子の関係であったとしても
この人がいないと幸せになれない
ではなく、
この人といると幸せだ
を感じることができるようになれればいいなと私は思う。
しかも、
明日いなくなってしまったら悲しいから、ではなくて、
一緒の時間を過ごすことができる今の瞬間が最高に幸せ
をサクッとすんなり感じれるような自分でありたいと
妻になって母になって少し経った今、改めて思うことができた。


そのために自分にできること。
難しく考えると、
自分の人生に責任を持つこととか、自分の機嫌は自分でとること
なのかな〜なんて思うけれども、
えっと何から始めればいいでしょうか感が拭えないのも正直なところ。
とりあえずは足元、目の前にあるあったかいコーヒーを飲みながら
昼寝をしている娘の顔を眺めて、
今日もゆるっと過ごせている人生にありがたみを感じるところから始めてみるとする。


最近息子がウルトラマンにハマり始めた。
ウルトラマンって、種類分けするとしても
3色ぐらいしか使えないし、それっぽいポーズにも限界あるから
広がりがなし覚えにくいね、と旦那と話した。
その脇では2歳の息子が「これはでっかー!これはもすもす(コスモス)
!」と元気よく見分けている。
つくづく子どもの吸収力と記憶力には脱帽するばかりである。

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